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街歩き - 田園調布 「私の癒しとは」

昨今のような「Stay Home」の日常化でストレスの溜まる日々、そんな時にこそ「癒し」につながるような気分の転換が必要であろう。

では、一体、「癒し」とはどのようなことであろうか?

「癒される」とは、穏やかな気分になること、ストレスが軽減されること、という意味の言葉だそうである。

「そこに行くと穏やかな気分になる」或いは「その人といると安心できる」ということであろう。

そういう意味では、特定の場所や空間、或いは特定の人といると穏やかで良い気分になれるということなのかもしれない。

癒されるということは、人によって、その状態も、もたらされる対象や要因も、異なるのであろうし、そこに客観的な尺度等ないのであろう。

私の場合でいえば、かなり前から、東京大田区にある田園調布界隈を気の向くまま歩くことで何故か気持ちが和らぐことが多い。

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特に、田園調布の旧駅舎を起点に放射線状に作られている田園調布三丁目あたりは、春は桜、秋は紅葉と環状八号線あたりまで散策するのに最適なコースである。

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高級住宅街である、立派な家が多い等といったことよりも、都内にありながらも、何か全体的に避暑地を訪れたような安らぎを感じさせてくれる空気感がある。

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道行く人も少なく、ゆったりとして静かな空気感に、私の場合はとても癒されるのである。

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何時も、目的もなく歩きながら、歩き疲れると、どこか静かな場所で「お茶」か「ランチ」でもということで、私のお気に入りは、玉川田園調布にある「Café Les gourmandises at えんがわinn」 という古民家風のCafé Restaurantである。

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広い庭と樹木に囲まれたお店、そして店内のクラシックなインテリアな等でとてもゆったりと落ち着ける空間である。

また、料理もとても美味しく新聞や本を読みながらゆったりとした時間を過ごすことができる私にとっては、大変、貴重な空間である。

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もうひとつ、私は、このお店を経営するYさんの人柄に大変、癒されるのである。

静かながらもその言動の内面にあるYさんの思いやりと暖かさを感じることができ、ここにいると、交通事故で突然死した妻への容易に収束しない私の心のうちにある寂しさや悲しさ等を忘れさせてもらえる時間なのである。

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そういう意味で「癒される」というのは、場所や空間といった物理的なものもさることながら、そこで出会う人の人柄や心情的なものにも大きく影響されるのでないだろうか。

ものごとや世の中は、喜びと悲しみ、正と死等など全て対から成立しているので、そのことの真理とは、対になっているもの、即ち世俗がなければわからないし、気がつかないのかもしれない。

いろいろなものが制約され、ストレスの真っただ中で生活している今、「癒し」という言葉を改めて思い起こすことができただけでも、大変な「心の癒し」を得ることができたように思えるのである。

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