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特撮女子の結婚 第一話

「ローカルヒーローって、なんですか?」

 私は助手席から、メイクの最終チェックをしつつ運転席の鵜崎さんに投げかけた。ジル・スチュアートのコンパクトに映る私は今日もキラキラしていた。鵜崎さんは運転中なのでこちらを見ずに笑った。奥さんが選んだに違いない北欧のアウトドアブランドのパーカーと、優しい熊みたいな髭がテレビマン然としている。

「ははは、まあ、女の子だもんな。知らなくて当然か」

 私はキー局のアナウンサー試験に失敗し、滑り止めだった関東近郊の地方局に就職して一年目。その日は、その地方のローカルヒーローの取材のため、地域密着のアクションチームへ向かっていた。今日は鵜崎さんとの二人ロケなので、当然、メイクさんなんて、いない。

「美妃ちゃん、一応、取材の前に下調べくらいしような。まあいいわ。ローカルヒーローってのは、主にその地方のPRを目的に、地方の企業や自治体資本で作ったキャラクターのことだよ。仮面ライダーとか、戦隊ヒーローとかはさすがにわかるだろ? それの地方版だよ」

鵜崎さんから説明を受けてもいまいちわからなかったので、私はスマホでローカルヒーローを検索した。

「地域密着ヒーロー…かあ」

 スマホ画面いっぱいに表示されたローカルヒーローの画像は、いくらスクロールしても途切れることはない。子供向けテレビ番組で既視感のある、ヘルメットの様なマスクで顔を覆い、カラフルな全身タイツの上から鎧を付けたヒーローが上から下へ消えていく。正直、どれも同じに見えた。大体センターがレッドでブルー、イエロー、グリーン、ブラック、紅一点のピンク。この国には自分で企画立案して、特撮ヒーローになりたがる人間が、スマホ画面に有り余るほど存在することを、私は正直不快に思った。

 どれくらいの経済効果があるのか知らないけど、たぶん地方のPRなんて後付けの理由。コスプレを仕事にしようとする、オタクっぽいノリ。大体その手の男は、自分を客観視できていなくって、合コンで自己満足のつまらないことを喋る。スーツにネクタイ、その日見た目でわからなくっても、大体喋り方で私たちはオタク男を見分けて避ける。

「現地着いたら十一時までロケハン、俺は現場見て構成考えるから、その間に美妃ちゃんはアクション班五人、サウンドエフェクト班三人、造形班一人の三班に挨拶してきて。ああ、サウンドエフェクト班三人が声優も兼ねてるらしいから、オタク層には刺さる画が取れるかもしれないね。

ロケハン終わったら打ち合わせ、構成伝えるからそこで原稿考える。原稿早く終わったらメシ。十四時から撮影。オーケー?」

「了解でーす」

 安定の行き当たりばったりなスケジュール。尺が十分の地方局のニュース番組なんて、だいたいこんな感じ。

「ああ、そういえば造形班、美妃ちゃんと同い年の女の子ひとりだって」

 そうなんですかー。と私は返し、メイクの最終チェックに戻った。

 *

 そのローカルヒーローの事務所は、郊外の元々食品工場だったという場所にあった。工場が廃業した場所に安く入居したに違いなかった。関東郊外の都市部から車で一時間、周囲を落花生畑に囲まれている。その日は六月だというのによく晴れていて、畑にはスイートピーに似た黄色い落花生の花がたくさん咲いていた。蒸し暑い日だった。

 車を駐車場に止め、鵜崎さんは機材の準備を始める。時間ないから先に挨拶行ってきて、と指示を受け、私は事務所らしきコンクリート打ちっぱなしのトタン屋根の建物に近づく。薄汚れたアルミのドアが開けっぱなしだった。

「こんにちはー。柏南ケーブルテレビでーす。お世話になっておりまーす」

 薄暗い室内に向かって声をかける。中は強すぎるくらい冷房が効いていて、建物の入り口に近づくと室内からひやりと風が吹いた。じゃあなぜドアが開けっぱなしなんだろう、と思い、すぐに気づいた。

「…くっさ!」

 息ができない程の悪臭が薄暗い室内に一杯に満ちていた。お腹の底から吐き気が沸き上がる、思わず反射的に顔をそむける強烈な生臭さとアンモニア臭。不意を突かれ、私はうっ、とえづいてしまう。私はその臭いを知らないわけではなかった。いわゆる、栗の花に例えられる、男性の精液や股間の臭いが室内一杯に満ちていた。

「はーい、中へどうぞー」                  

 室内から若い女性の声が聞こえる。正直感じていた身の危険が緩む。そういえば、同い年の女の子がいることを思い出し、私は意を決して室内へ進む。臭いを直接嗅がないよう、口だけで息をしながら。

 一歩、二歩、先に進み暗い室内に目が慣れたとき、紫色の目をした巨大なヘビと目が合った。

 見る角度によって紫と緑に色が変わる瞳のまわりを、爬虫類独特のつるりとしたウロコが囲んでいる。私は驚いて一歩あとずさってしまい、鼻で息をしてしまう。そして、室内に満ちたあの男性の股間の臭いをモロに嗅いでしまって豪快に咳き込んだ。

 最初に見たヘビに視線を戻す。壁から吊るされているそれは顔があり、身体があり、四肢があり、人間サイズの人形だということにようやく気付いた。ウロコに囲まれた瞳は紫色で、その肌は爬虫類独特のぬらめきがある青灰色、良く見ればエキゾチックなメイクのように瞳を強調するための金色のアイラインが引かれている。少し開いた口には象牙質に見える尖った細かな牙が何十本も並んでいて、その中には蛇らしい赤く細く長い舌が見え隠れする。身体は全身の筋肉を強調するように筋張っていて、腹筋に当たる部分はきれいに六つに割れている。腕や足は長く、指は節くれだっていて爪は赤く塗られていて、何故かブロンズ色の塗料で繊細なネイルアートが施され、輝いていた。

 見れば、室内にいたのはヘビだけではなかった。壁から、人間と同じくらいの大きさの豹やカラスやフクロウといった巨大な獣類、鳥類、カメレオンやイグアナといった爬虫類、蜂やカマキリといった昆虫類、他にも魚類、ロボットっぽい無機質なものが見ただけで少なくとも二十体はぶら下がっていた。それらは顔も体も手も足もすべてきれいにそろっていて、私には何十体もの異形の死体が壁から吊るされているように見えた。背筋にぞっと寒気が走る。

「触っても大丈夫っすよ。優しくなら」

 吊るされた人形たちをかき分けて、部屋の中からさっき返事をした女の子が出てくる。染めていない髪をひっつめて、当然化粧はしていなくって、絵の具がたくさんついてカラフルになった汚い、黒いつなぎを着ていた。左の耳に、ヴィヴィアンウエストウッドの銀色のピアスが揺れている。そしてなぜか、手には紙コップと割り箸を持っている。…彼女は食事中だった。


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