自分と相手の『イヤ!』を尊重していますか?
先日、北海道新聞ひと2023に
ご掲載いただきました!
全道のみなさんが
ご覧になる素敵なコーナーでご紹介いただき
恐縮ですが、とてもありがたいです。
①自分は嫌と言えなかった経験から
性教育について調べ始めたときに、
『自分のからだは自分だけのものだから大事』
ということは
わたしにはわかっていそうで
わからなかった感覚でした。
メディアの影響で、壁に手をドン!
みたいな状況に憧れ(笑)、キスは自然と始まるものだなんて思ってたくらいだから
触れてもいい?と同意をとることが
自分と他者を大事にすることの基本だなんて
思いもよらなかった。
自分が嫌だと感じたら嫌と言ってもいいし、
最初はよかったからオッケーしたけど、
やっぱり途中で嫌になったら嫌って言うことも
当たり前にあっていいこと。
わたしにとっては目が飛び出るほど驚きの感覚。
(反対に相手の嫌も尊重できてなかったということですね。)
嫌と言っていいんだよ、と教えてもらって、
嫌と言える子は、特に年齢があがるほど
少ないんじゃないかなあと想像します。
(自分そうだったからです。)
思春期になって好きな人ができて、
もしもセックスの場面になったら
どうでしょうか。
もし嫌だと思ったときに嫌だと言えるのかなあ…
もしお互いに『触れてもいい?』が基本で
どんなに好きな間柄でも『嫌なときもある』し、『嫌って言ったら尊重する』
が共通の認識だったなら、
言いやすいのではないでしょうか。
②幼児期からの性教育が大事だと思う理由
嫌と言えるには、自分が嫌だと言った時に、
その嫌!を、受け止めてもらった経験があるから、嫌と言ってもいいんだと納得し、
体感していきます。
だからこそ幼い頃からの
積み重ねが大事だと思います。
こちょこちょをしていて
もし子どもが嫌!と言ったらすぐにやめる。
おむつを替えるときに
おむつを替えるね、きれいにしようね。
服をぬがせるときに
急にぬがせない。お風呂に入るからぬごうね。
からだを洗うときに
洗うね。
(プライベートゾーンは特に大事なところ失礼しますって言って最近洗うようにしてる)
他にもいろんな場面があると思います。
当たり前にできている
ご家庭もあると思いますが、
わたしはそういうことすらも
わからなかったのです。
少しずつそうやって
からだとこころを大事に尊重され、
大事なのだという感覚を育てていけるのが
家庭での性教育の良さだと思います。
③性をともに学び語り合う会の活動について
長くなりましたが、
性をともに学び語り合う会@くしろ では、
相手の嫌を想像することや、
実際に嫌といってみる練習
子どもたちも大人も一緒にします。
茶話会では性教育のわからないことを話したり
みんなで学べる企画を月一回しています。
こちらから何か専門的なことを
教えられるようなことはないですが
いっしょに絵本を読んだり、調べて
知ったことをシェアさせてもらったり
みんなで話し合う会です。
④目指したいプラスαの効果
記事にご覧の通り、
わたし自身は統合失調症という精神の病気と
高校時代から付き合っています。
100人に1人の割合で発症する
そんなに珍しい病気ではないはずなのに
精神疾患ということに
どこか引け目を感じる自分がいたり、
知る機会がないがゆえに
逆に偏見のようなものもまだあると思います。
活躍できるところ
生きる場所が分けられるのではなく、
地域の中でわたしのような人も
いるんだなあって知ってもらえたら
ありがたいです。
じっくり話しをきいてくださり、
まとめくださった長谷川さん
ありがとうございました!
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