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ちいクラ全国大会で釧路にきてからの人生を振り返る


今回地元釧路市での全国大会で優勝、
感激で感謝の思いでいっぱいです。

本当に、温かな応援ありがとうございます。

振り返ると、
2022年12月に946BANYAで開催された
ちいクラにプレゼンターとして
出させていただいたのが
わたしにとって初参加のちいクラでした。

地域クラウド交流会という
イベントがあるらしい。という認識で
当時アルバイトのわたしは、

起業やビジネスとは全く関係ない
自分が行ってもいいものだとは
思ってもいなかったのです。

釧路市では2016年6月から始まり
なんと全国でも最多の12回を
開催されています。

一つ一つ積み重ねられてきた
歴史あるちいクラの全国大会に
出場させていただいたことを

現時点で振り返りました。

①CLS道東への参加が全てのはじまり

ちいクラに出るきっかけは
946BANYAのみなさんと出会ったことです。

オープンすることを新聞で知り、
性教育の活動をしていきたいと思っていた
わたしは、CLS道東に飛び込んだのをきっかけに946BANYAの四宮さんはじめ
素敵な方々に出会いました。

今回もオーガナイザーをしてくれた
小渡さんとも出会えたのは
946BANYAがきっかけなので

わたしは
このTシャツを着て全国大会に
チャレンジしたい!と思っていました。

どうしても着たかったので
着ていいですか?と事前に質問せず
朝から着ていきました。

けど主催である
946BANYA Tシャツを着ていいのか
ちょっと不安があり

全体リハのとき、
スタッフのみなさんにもTシャツが
配られたときに
オーガナイザーとプレゼンターは
ご自分の服装で、とのことで脱ぎました。

その後、
天野さんに、けどやっぱり着たいんですよね!

(朝から到着した時点で天野さんには
相談していました。
天野さんは東京から移住後
哲学カフェを釧路で継続して開催されており
946BANYAの運営メンバーのお一人です。
人生の先輩ですが、
こうやって安心して気軽に話せる天野さんが
身近にいてくれることもしあわせなことです。)

と再度相談しているときに、

小渡さんが赤い946BANYATシャツを
着てるのを遠目で発見!

急いで小渡さんに、
わたしも着て出ていいですか!
と話し、

わたしたちが出会ったのも946BANYA
なのでこれでいきましょう!!と合意。

本番直前のオーガナイザー小渡さんとわたし。
この全国大会出場が決まってからも
登壇の直前も終わった後も
『秋田さんの想いは必ず伝わります!!』と
支え続けてくださいました!
サイボウズ代表の青野さんとわたしたち
946BANYA Tシャツで表彰された喜び!



わたしはワンピースの上にきたので
若干、不思議な格好だったかもしれませんが
このTシャツをきてるわたしたちが
釧路新聞の一面に!!


感無量です。


ふんだんに内容を盛り込んでくださった
記者の小西さんはじめ
釧路新聞社さん
ありがとうございました!


記事はYahooニュースにも!!


②わたしは釧路が嫌いだった


タイトルが衝撃でごめんなさい!
最後まで読んでくださると幸いです。

愛知県の小学校は
9月2日くらいまで夏休みで
その年も祖母宅に長期滞在していました。

8月も終わるころ突然、
今日からここに住むよ!と言われ、
わたしはそのまま愛知県の学校に
通うことはなく、転校。
6年生の秋のことでした。

愛知県との違い、
いろんなカルチャーショックは
ここには書ききれないので省略しますが

子どもの頃の傷を癒すのには
時間がかかります。

釧路はなんもない!!!
10.20代のわたしの心の中に
染みついた反発精神が
30代になっても
いまだにどこか拭いきれないでいたのです。


ですが今回の全国大会をきっかけに
わたしは釧路での自分を振り返りました。

どの記憶をたどっても
わたしは釧路の
『人』の中で育ってきたのです。

お一人お一人を書ききれないので
人と一言で書いていますが
一言では現しきれない

本当にたくさんの励ましの中で
わたしは回復し生きてこれたことを
思い起こしました。

たしかに都会にあって
釧路にないものはあるけど。


人生の先輩でもあり友人でもあるかたが
ちいクラの本編が始まる直前に会場で

『途中で頭が真っ白になったらどうしよう?
ってなぜ自分は思うと思う?

失敗したらちょっと恥ずかしい思いを
することはあるかもしれないけど、

あなたが今から話す3分間で
誰かに嫌な思いをさせることはありますか?
誰かに迷惑をかけますか?

(中略)

かけないでしょう。
だから大丈夫よ。
目立ったもの勝ちだよ!』

と教えてくれました。

日頃からいろんなことを
具体的に話して教えてくださるかたなのですが

本番直前、いただいた言葉が
ほんとうに感激で

ますますわたしには
あの日釧路にきてから
やっぱりどう思い返しても

釧路の人たちに数えきれないほど
励ましてもらい、育てられてきていて

そして、いまこの全国大会の場にいることが
自分の人生にとって
どれくらい計り知れない
意味をもっているんだろうと、

そして今日この日まで
たくさんの人が動いてくれたから
この会場にいま自分がいることも

全部巻き戻しのように回想されて

江南高校のテニス部の仲間たち。
いっさい病人扱いしないで
いつの時もわたしを受け入れ遊びに誘ってくれた。
プレゼンの練習も子どもを抱っこしながら
聞いてくれて付き合ってくれた。
会場にも子どもたちを連れてきてくれた
夫のお母さんとお父さん。
ママは3分間発表するんだよ!と色んな人に
紹介してくれた5歳長女も
舞台の下でママーー!と叫んで泣いていた3歳次女も
ミルキークラウンさんのアイスや
ハイホームさんの託児で満喫していました。
イペさんの子ども食堂で記念撮影したときの。
長女が生後6ヶ月の頃に
子育て支援センターのサークルで出会った仲間たち。
孤独じゃないから子育てができた。
当日も応援にかけつけてくれた。
常に練習につきあってくれて
励ましてくれたmラボのみんなは
自分のことのように喜んでくれました。
人生の先輩たちは、わたしたち親子を
どんなときも励ましてくれださって
杖をついて会場にきてくれた方もいて、
安心の涙がとまらなかった!
最後までいてくれたみーたんファミリー!
ママと絵本をいっしょにつくっています。
本当に釧路にきてくれて出会えたことが必然に思える。
だいすきな潤ちゃんも応援に駆けつけてくれた!
潤ちゃんはわたしの憧れでもあり
戦友にも思える!!


関係者席に座り
ちいくらが
始まった途端にみんなの顔が浮かんで
涙がとまりませんでした。


釧路が大好き!って
もうそろそろ言ってもいいよ!と

子どもの頃の傷も癒えたことを教えてくれた
全国大会でもありました。



今日はここまで。
続きます。

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