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統合失調症になったわたしは、なぜ病気のことを公開するのか?

わたしは、高校1年で統合失調症を発症し
16年ほど経ちます。
この病気について開示することの意味を
いまの現時点で整理をしました!


①社会の偏見に対抗したいから


わたしは、精神疾患とか精神障害ってゆう
日本語に違和感があります。

精神っていうと、心とか人格、性格、意志など
目には見えないけれど、
わたし自身を構成している重要な要素に
あまりにも直結してすぎているように感じます。


その『精神』に疾患や障害があるって
捉えられると、わたしは怖い。

脳の伝達物質の病気なのに、辛い。


15-17年前のことだから、
いまの閉鎖病棟はどうなのかは不明ですが
以下は、屈辱的だった経験や環境についてです。

  • 閉鎖病棟に入院したときのショックが
    高校1年生のわたしには大きすぎた。
    自分からは出られない空間。


    大学1年に入院した病院の個室の
    ベッドには身体を拘束するための
    バンドがついてあった。
    ふつうに怖かった。


    ベッドの隣には
    ポータブルトイレが置いてある。
    あのときはなんとも思ってなかったけど
    せめてベッドとトイレは別が良かった。


    便をするたびに毎回ヘルパーさんがきて
    便器を持っていって掃除されるのが
    恥ずかしすぎて嫌すぎた。


    妄想状態で夜に廊下を
    徘徊しているわたしに
    夜勤の女の看護師さんは、口を押さえて
    わたしの苗字を呼び捨てにして呼び
    頓服を無理やり飲ませてくれた。
    すごく怖かった。


    大部屋に移ってから
    夜勤の看護師さんが
    寝ているわたしの顔に
    懐中電灯を遠くから当ててきたときには
    師長に抗議した。


    大浴場に入ってるときに
    急いで入って出ないと
    次の介助が必要な患者さんのために
    男性の看護師さんが来るのも
    ふつうにめちゃくちゃ嫌だった。


一方で助けられたこともたくさんありました。

  • こんなバンドがあったら怖いよね、
    嫌だよねと言って
    すぐ取りのぞいてくれた看護師さん。

  • 6月の東京はもう暑かったときに
    喉かわいたでしょうと
    氷水を持ってきて飲ませてくれたこと。

  • 師長さんがお家の庭に咲いた薔薇を
    袋に入れてたくさんもってきてくれて
    大浴場のお風呂に浮かべてくれたこと。

  • 部活の仲間たちが
    変わらず接してくれたこと。
    励ましてくれたこと。

  • 登校したものの、怖くて
    保健室で泣いていたときに
    弁当を届けてくれたこと。

  • 高校の担任の先生が
    足繁く家に通ってくれた。

    先生方が全員味方になってくれ、
    クラス替えや進級について
    配慮してくれたり
    一対一の補修授業に
    付き合ってくれたこと。

  • 高校を卒業してからも友だちは、
    わたしを病人扱いしないで
    遊びに、飲みに誘ってくれたこと。
    デイケアには行かなかった分、
    友だちがわたしにとって自然と
    リハビリになってくれていた。


みんなわたしを『精神疾患の麻耶子』とは
見ないで、1人の人として接してくれました。

それがわたしの感じる
偏見や差別とは反対の世界です。


②病気になったことをプラスの意味に変えたいから

わたしは病気になったことが不幸とは
思わないです。

幸せになるために生まれてきていることを
わたしは根底で信じている派です。


急性期や消耗期と言われる時期は
いい歳こいて、なんで夕方まで
寝てるんだろうって。自分を責めて、


なんでこんな
病気になっちゃったんだろうって
時には嘆いていました。


浪人までさせてもらって入った大学を中退して、
地元に帰ってアルバイトで働けても
休んでばかりで
親に養ってもらってることが不甲斐なかった。

薬の副作用で15キロ増量した外見も
受け入れられなかった。


世界の平和に貢献したいという
わたしの夢はいつのまにか遠い彼方へ。


夢や理想と現実のギャップを受け入れられず
苦しんでいたのだと思います。

ですがいまになって
この青春時代の経験を振り返ると、


病気になったからこそ出会えた人や
挑戦しようと思える新たな目標が見つかったりと

全部わたしの人生において必然、
必須なことだったと思えるのです。

一見、不幸そうに見える出来事も
自分の人生の中で
プラスの意味に変えていける力が
人には備わっている。そう信じています。


③もしかしたらこの経験談が誰かの役に立つかもしれないと思ったから



20代になってからありがたいことに
自分の経験してきた生きづらさを人前で語る
とあるプロジェクトに
参加させてもらったことがあります。

大学の授業や、
支援をお仕事とされている方の研修会など

生きづらさをそれぞれ経験してきた仲間たちと
参加して語ってきました。


このプロジェクトに参加したことで、
もしかしたら自分の経験談が
誰かの役に立つこともあるのかもしれないと
思いました。

この病気によって経験してきたことを
開示することで
誰かの何かの勇気になるかもしれないと。


ただ息を吸って吐く。
生きているだけで

本来、自分という存在は
宇宙でいちばん尊いはずなのに。

何もしていなくても
価値のある自分であるはずなのに。

社会から外れてしまった瞬間、
わたしは自分自身に自信を失い

価値のある自分だということを
信じられなかった。


いまだ自分の中で
はっきりと言語化、解明が
できていない部分もあるのですが、

こういう生きづらかった経験を
燃料のように燃やして
生きることの意味を
自分の体験を通して発信していく。


それがいまだにわたしにとっては
社会と繋がっていくことなのではないか
と思うのです。



まとまりがないのですが
わたしが統合失調症のことを開示する
現時点での理由について書きました!



最後まで読んでくださり
ありがとうございました。



【追記】

こうして詳細に思い出すと、
いまだに涙が出てきてしまうほど
自分の生きてきた中では大きな出来事なんだと
認識している。

どうして泣いてしまうのか?
悔しさなのかあの時の辛さが蘇るのか
整理はできていない。

公開してみて、
誰からも求められていないのに
自らこうやって発信することについて
どんなふうに受け取られるのかが怖くなった。

研修会などで話すときは、
その場でフィードバックがもらえたことや
自分だけでなく仲間がいたことで
安心して話せる空間(?)だった。

誰の目にも触れる状態にしておけるほど
鋼のようなそれこそ精神は、
わたしにはないんだと気づいた。



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