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食事が苦手だから考えること

僕は、会食恐怖症を持っている。
誰かと食事をしたり、外食をしたりが苦手な精神疾患だ。

食事に出ると、喉が詰まったようになって、食べられなくなる。
少し食べて、吐き気を催す場合もある。
これは、子供の頃に受けた完食教育が原因となっている。

父親の食ハラ

食事をする際に、父親から小言を言われて育った。
「子供には卵焼きでも食わせとけばいい」
と言い、自分だけ刺し身や肉を焼いて食べる父親だった。

だから、食事を残したときは、ダラダラと嫌味をこぼされる。
現代風に言うと、食事に対するハラスメント。
食ハラだ。

父親は、教育するつもりで言っているのだが、子供の僕から見ると苦痛で仕方がなかった。

グルメブームの影響で、変わった食べ物が食卓に並んだ。
それは、本当に苦痛だった。

ある日突然、シャコを買ってきたり、鴨肉を買ってきたり。
子供が好むものではなく、父が食べたいものが食卓に並ぶ。

当然、子供の口には合わない。
虫が苦手なので、シャコだってグロい。
鴨肉は、そもそも肉を食べ慣れていないので、美味しく思えない。

肉といえば、ソーセージやウインナー、マルシンハンバーグだった僕にとって、鴨の肉というのはなんとも言えない味だった。
普段の食生活を思えば、シャコだの鴨だのは、口に合わないのは仕方がない。

食事を残せば、
「せっかく高いものを買ってきてやったのに!」
なんて具合で、嫌味を言われ、グチグチ叱られる。

そんな環境だったので、あまり食事に対する興味が持てなくなっていった。

小学校の完食教育

小学校に進学すれば、給食がある。
当時は、教諭による完食教育が当たり前にあって、給食を残すことは基本、許されなかった。

僕は元々、少食だったのもあって、給食が苦手だった。
食べ切れない量が出てきて、食べきるまで先生が付きっきりになる。
かんたんには、残させてもらえない。

しかも、それは毎日繰り返される。
地獄のような日々だった。

毎日、給食の時間が近づけば、パニック発作を起こし、吐き気やめまいを覚えた。
不安による過呼吸、体の不調を訴えても、教諭は僕を許さなかった。

「食べろ!」
と、僕の口に給食を押し込んだ女性教諭がいた。
彼女の存在は、強烈だった。

親子ほど年の離れた大人が、バカのひとつ覚えで、僕に給食を食べろと言い続ける。

「世界中で食事ができない子供がいる!」
「恵まれない子供のことを考えたら、お前は贅沢だ!」

よくある論法で、子供の僕は恐怖に突き落とされた。

たっぷり1時間怒鳴られ、叱られ、クラス中の視線を独り占めにした後、やっと給食の時間が終わる。
給食センターへ食器を返す時間ギリギリまで、見せしめとして怒鳴られる。

「お前のせいでクラス中が迷惑してる!」
ぶっ飛んだ女性教諭は、悪びれもせず、正義を振りかざして毎日繰り返した。

毎回、僕は泣きながら、給食のおばちゃんにご飯を返した。
ごめんなさい、と言いながら持っていくと、おばちゃんは優しくしてくれた。

「泣かなくてもいいんだよ。給食残したぐらいで謝らなくていいんだから。大丈夫だからね?」
いま思えば、理解のある、とても優しいおばちゃんだった。

その頃から、食事をほとんど摂取しない学校生活を始めた。
食べられないなら、最初から食べなければ良いのだ。
食べる量を圧倒的に減らすことで、小学生活を乗り切った。

空腹の限界と外食

食事を残しても許されるようになった中学時代は、食事の時間に感じるプレッシャーが減った。
思春期で身体が栄養を欲して、給食を食べられるようになっていった。

しかし、大人になってから、再び食事が食べられなくなる。

お昼ごはんは、簡単なものをそこら辺で食べる。
おにぎりひとつ。
ハンバーガーひとつ。
ジャムパン、カレーパン。
コンビニなどで、手に入るものを少しだけ食べる。

夜になってもお腹は減るが、気分が悪くなるので我慢する。
寝る直前まで我慢する。
体重は、減る一方だった。

仕事で街を歩くようになると、筋肉がついて空腹度が上がった。
精神的な問題で食べられなかったけれど、エネルギーの枯渇に身体はあえいでいた。

少しずつ食べる量が増え、次第に普通の食事が摂れるようになった。
最初は、食べすぎて吐き気を感じていたけれど、それも徐々になくなっていった。

場所を気にせず食べられるようになると、食べることが楽しくなった。
お金がなくて、食事にありつけない問題はあったけれど、美味しく食事をすることができていた。

会食恐怖と今後の課題

一度、改善された会食恐怖も、とある事件がきっかけで悪化してしまった。
食事をまったく受け付けなくなったこともある。
食べなさすぎて、病院から医療用のカロリードリンクを処方されることもあった。

ご飯に関する問題は、人生のテーマのひとつだ。
僕にとって、食事とは好ましいものではない。
多くの人と同じように、楽しいものではない。

だから、会食恐怖という精神疾患について、理解を深めたい。
理解を深めて、この悩みを解消したい。

精神疾患は、人の影響で生み出せる。
胃腸風邪で辛い思いをした場合などでも、会食恐怖と似たような好き嫌いが発生する。
似た苦痛を与えることで、人は会食恐怖症になってしまう。

僕が考えたいのは、人の影響で会食恐怖症を改善することだ。
少しでも多くの苦しみが取り除かれるよう、願ってやまない。

会食恐怖への理解を深めるために、この記事を読んでもらえたら嬉しい。


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