Hayato Sumino CONCERT TOUR 2023 Reimagine, Muza Kawasaki (Feb. 10th)
期待を遥かに上回る素晴らしいコンサートだった。今までにない斬新なプログラム(選曲も曲順も)は事前に(以下1月17日のツイート参照)公開され、1月14日のCateenラボで解説も聴いたが、実際にホールで聴いた生の音はグルーヴ感に溢れ、さまざまな演出(仕掛け)も相まって、角野隼斗と(磐石の布陣を整えた)チーム角野にしか創り出せない世界、宇宙を感じ、至福の時を過ごした(ヘッダーは開演前のホールと入口で撮影)。
2月10日(金)、大雪警報が出され、交通機関の遅延等も心配されたが、7公演目も無事開催される運びとなった。川崎駅周辺は雪は積もらず、開場前には雨になっていた。
ミューザ川崎は、2月5日(日)の6公演目(岐阜県・多治見バロー文化ホール)以来、私には2公演目だった。
まっさらな状態で鑑賞したかったので、1月半ばのCateenラボと公開されたプログラム(に基づくプレイリスト)での予習に留め、各公演後の皆の感想を見るのを我慢し多治見に行った(拙い感想ツイート)。
感動ポイントが多すぎ、素人の私が言語化を試みるのは困難に感じたが、自分にとっての2公演目(ミューザ)は記憶が鮮明な内に何か残さずにいられず、翌日一気に書き上げた。数日後、読み直して加筆修正の上、公開してみることにした。
今後行く方には、私がそうであったようにまっさらな状態で「Reimagine」コンサートを楽しんで頂きたいので、拙い文章で「ネタバレ」とか言うのは誠に烏滸がましいが、以下読み進めることをお勧めしない。
ミューザ川崎は舞台の周りを360°座席がぐるっと囲む形となっており、音響には定評があり、個人的にもお気に入りのホールである。私はFC先行の抽選で中央ブロック右側2列目(グランドピアノの蓋の前あたり)、最前列の方々の間からアップライトも見える席に恵まれた。
前半〈過去との邂逅〉
バッハのインヴェンション1番で始まり、同パルティータ2番で終わるバロック色が濃いめ、私は〈過去との邂逅〉がテーマと解釈した。アップライトでの演奏が(後半より)多く、ハンマーの音(鍵盤がカタカタいう音)、温もりや懐かしさを感じる音色に惹き込まれ、時に夢見心地になりながら聴き入った。硬質な音色で高貴な響きのグランドピアノとの音の対比も味わえた。照明演出でより没入感が増したように感じた。
J.S.Bach: Invention No.1 in C major BWV772
場内は暗くなり、グランドピアノにスポットライトが当てられた。にこやかな表情で颯爽と登場した角野さん(以下敬称略)は、白シャツをアウト、上下ダークスーツのスタイリッシュな服装で、客席に向かって深くお辞儀をした後、グランドピアノに前に座り、しばらく間をおいた。短い時間だったが、私はいよいよ始まる興奮を抑えられず、膝の上で両手をギュッと握り合わせた。
程なくして、角野は姿勢を正し、楽譜通りに弾き始めた。なんとスタイリッシュなんだろう。想定より速め、いとも容易くトリルを披露し、シンプルな旋律だが、鮮烈なインパクトを放っていた。弾き終えたかと思ったら、観客に拍手する間を与えず、軽やかにアップライトの前に移った。それからの1番のアレンジがJazzyで、一瞬にしてBlue Noteに来た気分に。音色は温かみがありやさしかった。
(余談1) 仕掛け: 高性能なスピーカー
ここでしばし脱線。
帰宅後、アップライトの音色がホールの観客に心地良く届けられる秘密(仕掛け)の1つを調べてみた。アップライトの横(後ろ)に立っている8角錐のスピーカー「WRAPSOUN」は「聴く人を包み込む心地よいサウンドを実現し」、「360°の球形状の指向性を備えており、広範囲に音を届けることができ」るらしい(引用HPはこちら)。
こちらがアップライトの裏側のマイク(以下の写真参照)で拾ったハンマー音(鍵盤のカタカタする音)を含むアップライトから奏でられる全ての音をホールに自然な感じで響かせるのに一役買っていたようである(諸々、素人の推測)。少なくとも私の席からは、スピーカーからの音と残響音のバランスがとても良く(スピーカーから鳴っていると全く感じない自然な音響だった)、これはWRAPSOUNの機能に加え、ミューザのホールの設計のお陰もあるだろうと思った。
【2/14深夜追記】WRAPSOUNと舞台両脇にあった黒いステレオ群(2, 3の立方体の物体が重ねられていた感じに見えたが、写真無し)が繋がっているのか、黒いステレオの機能は考察材料無し(笑)。
Rameau: Pieces de clavecin "La Poule" "Les Sauvages"
インヴェンション1番の後、角野はいったん立ち上がって深々とお辞儀をした。グランドピアノに再び向かった角野は、ラモーのLa Poule(雌鶏)を弾き始めた。産卵前後の雌鶏(たち)が周りにいる小動物たちを次々に威嚇するようにヒステリックに鳴き叫ぶ様が、八分音符の同音連打や分散和音で見事に表現され、リズミカルな演奏に身体も揺れてしまった(タイトルが雄鶏ではなく雌鶏である理由はこの鳴き声か!笑)。
ほぼ間をおかずに始まったLes Sauvages(未開人)も、耳に心地いいリズムが一定のペースで鳴り響き、かつて訪ねたベトナム北部の村で共に過ごした少数民族の大家族の牧歌的な生活風景が脳裏に浮んで、懐かしい気持ちになった。角野劇場の魅力の一つは脳の引き出しの奥に大事に仕舞われていたものを引き出して、過去の自分と邂逅できることにもあると思った。
Gulda: Prelude and Fugue in E-flat minor
グランドピアノでそのままグルダへ。弾き始める前に左手で拍を取りながら、首を上下に振る姿を見て、私も一緒に指を使って小さく拍を取る真似をした。始まってからの迫力、グルーヴ感がすごかった。角野の身体全身が打楽器みたいで(指パチンも頻繁に入っていた)、細かいことは殆ど忘れてしまうほど、演奏に没入した。フーガのカデンツァは多治見の時よりもダイナミックな展開になっており、記憶違いでなければ、グリッサンドを終えるか否かで軽やかに立ち上がったのが本当にカッコ良かった。
以下はかてぃんラボでめちゃくちゃカッコいいとお勧めされたトリスターノの演奏だが、角野のグルダも負けず劣らずカッコ良かった。多治見公演の時はグルダの時のビートが数日、私の頭の中で鳴り響いていたほど鮮明なインパクトを受けた。
(余談2) 仕掛け: 照明演出
今回のツアーでは、チーム角野の照明演出班の活躍も素晴らしい。照明に関するアイディアは各曲の曲調や流れに合わせ、最初は角野から出されたところも多いと思うが、チーム角野の知恵が絞られ、細やかな演出が効果的に行われ、角野劇場をよりドラマティックなものにしていた。各ホールや舞台の設計(設備)を最大限に生かした照明演出(後で触れたい)もあり、角野の演奏の明と暗、動と静をより一層際立たせていたように感じた。持ち込みの4本のライトの話は後半で触れたい。
Hayato Sumino: Recollection
渾身の演奏を終え、いったん舞台袖に戻り、再登場した角野がここで初めてMCをしたと記憶している。以下、私の記憶にある範囲で(多少の記憶違いはご容赦を)。
角野がアップライトの前に座ってすぐホールが真っ暗になり、アップライトの鍵盤あたりに天井から3つほどの照明が落とされ、それが天空の下でピアノを奏でているみたいでもあり、とてもロマンチックだった。
冒頭、低弦を引っ掻くような内部奏法(思い出すと胸の奥に痛みを感じるような音)の後、静かに始まった。インヴェンション1番の時とはまた違う音色、温もりを感じつつも何か神秘的でもあり、ノスタルジックな雰囲気も醸し出していた。追憶の旋律やハーモニーに加え、空間の暗さとアコースティックなアップライトの音色が、奏者との距離を縮め、自分のため(だけ)に聴かせて貰えているような特別な感覚を抱いた。
途中の低弦が鳴り響くところ以降、星空を仰ぎながら聴いているような気分になり、今夜限りの想像力を膨らませて没入した。途中からは無我の境地になっていて、細かい記憶はないが、そこまで没入できたことは幸せなことだと思った。
ショパコンに向けてショパンと向き合った日々を思い出して自然に生まれてきた曲と本人からラジオなどで聞いたことがあるが、今回は遠い昔の出来事を落ち着いて俯瞰して聴けた気がする。
J.S.Bach: Wohl mir, daBich Jesum habe BWV147
追憶から一呼吸おいて「主よ、人の望みの喜びを」をそのままアップライトで。ここでの照明演出がタイミング含めて素晴らしかった。
(脱線) 照明演出について少し触れたい。
多治見バローホールでは、真っ暗な舞台で、両袖の壁の繋ぎ目(凹んで見える部分)に数本ずつ、灯りがついて、それは教会に灯されたロウソクの細い炎のようでもあった(以下写真を参照)。
ミューザではパイプオルガンの中央あたりに照明が施され、その瞬間、私はドイツのケルン大聖堂(天井の高いゴシック様式)に誘われたような神聖な気持ちになった(かつて出張で頻繁に通ったボンの隣町にある大聖堂だからか、急に脳裏に浮かんだのだろう)。
私事で恐縮だが、ミッション系の中高に通っていたため、このカンタータは合唱やリコーダーで合奏した経験が何度かある。個人的な思い入れもあり、過去の自分の体験も思い出しながら、パイプオルガンのようにも聞こえる美しい音色に無心で聴き入り、身も心も浄化されたような感覚に。
J.S.Bach: Partita No.2 in C minor BWV826
2021年10月にミューザで、ブレハッチのパルティータ2番を聴いており、それが天に召されそうになるほど美しかったので、角野ver.はどう聴こえるか、比べる訳ではないが、興味津々だった。
1音目からクリアな音色で、I. シンフォニアのシンプルだけど美しいハーモニーに聴き入った。思い返したら、角野ver.が始まったら、ブレハッチもグルダも忘れて没入していた。
特筆すべきは、アップライトに移って弾いたIII. クーラントとIV. サラバンド。クーラントではハンマー音(カタカタ音)が耳に心地よく響き、少し籠ったように聞こえた和声がバロック時代の雰囲気を醸し出していた。音色がマリンバみたいな木の温もりを感じたのはミューザの音響の効果もあるだろうか。その後のサラバンドはゆったりとしたテンポで、弦が鮮やかに鳴らされている感じがピアノを弾いているというより、チェロやコントラバスの弦を弾いて(はじいて)いるようにも聞こえた。ハープのように聞こえるフレーズもあった。始まる前に右手で、アップライトの上の蓋を開けていたように見えたから、クーラントの時は閉じていたのかもしれない。音響工学の分野での研究の経験がある角野と調律師按田による様々な試行錯誤、実証と研究により、アップライトの音色の幅が無限大に広がっていることを素人なりに感じ、今後の創意工夫にも期待が高まった。
その後のロンドーとカプリッチョは、踊っているような指の動きが見えるようで、高貴なグランドピアノの音色がピッタリあっていた。
パルティータ2番での2台のピアノの弾き分けの発想、素晴らしかった。音色の移ろいが絶妙でReimagineってこういうことか!と体感できた。そして、私はパルティータ2番がやはり好きだと再認識した。
休憩時間
皆さん、アップライトをこの目で見ようと舞台正面に集まって来た。ミューザではアップで撮影しそびれたため、多治見バロー文化ホールの時の写真を載せる。改めて内部を眺めると美しい職人芸。
後半〈宇宙の神秘〉
後半では宇宙の壮大さや神秘を体感し、振り返れば、前半は地上から過去を振り返る意識だったが、後半は宙に浮いた状態で現代から遠い未来に思いを馳せるような感覚になった。
選曲のジャンルは現代音楽がメイン(言い換えると、角野隼斗とカプースチンの二本立て)で、殆どの曲がグランドピアノで演奏された。
Hayato Sumino: New Birth
中のシャツも上下スーツもダークカラーで統一した服装に着替えた角野が登場した。渾身の演奏を終え、休憩を挟んだ後の角野の表情に全く疲れは見えず、楽しくて仕方ない感が溢れていて、こちらも自然と笑みが溢れた。
ホールが暗くなり、鍵盤に僅かな光が照らされる中で胎動が始まった。左手で奏でられるダイナミックな旋律、グランドピアノから煌めきを放つ右手のアルペジオの調べ、恍惚とした角野の表情、全てが相まって、冒頭から感極まってしまった。以下のMVの2’25”(左手が低音域でファーラーで始まる)のところ(以下の追記を参照)で、ホールがぱっと明るくなり、それが未来の希望の光みたいに感じられた。
【追記2023.3.10】
3/10のNHKのあさイチで、角野さん自身が照明演出を手掛けていたと明かされていた。それを上手く書いて下さっていた読売新聞エンタメ!さんのツイート↓
Hayato Sumino: Human Universe
2021年6月にBlue Noteで聴いたHuman Universeの変幻自在ぶりが凄まじかった。バロック調の旋律は何となく記憶していたが、その後の畳み掛けてくる展開がドラマティックで、グランドピアノ1台で弾いているとは思えない荘厳なハーモニーにただただ圧倒された。
角野スペースシャトルに乗り、人跡未踏の深宇宙で小惑星の衝突を間近に観たり、隕石の嵐に遭遇したり、青い地球を眺め、そこにいる小さな自分の存在に思いを馳せたり・・・サイエンス・フィクション映画を3D動画で観ているような感覚に陥り、角野が描く宇宙に没入した。
プログラムには以下の記載があった。11次元も11拍子も、私が理解するには難解な概念だが、前半MCで言われたように、まっさらな状態で、目の前で生まれる音楽をただ楽しむことは無意識のうちに行っていたとは思う。
MC
宇宙の話と二進法の説明部分を中心に、記憶に残っている範囲で。
Kapustin: Eight Concert Etudes Op.40 / J.S.Bach: Invention
カプースチンの演奏がカッコ良かったのは言うまでもないが、カプースチンのエチュードの間に挿入されたバッハのインヴェンション3曲(プログラム順に13, 4, 14番)はいずれも角野アレンジがかなり効いていて、今ここで即興を織り交ぜた感も満載で、グルーヴ感に溢れ、本当にカッコよかった。300年前の音楽に新たな息吹を吹き込む、再構築することの面白さをここでも体感した。
個人的には、自分が好きな13番のアレンジがラテン調で印象に残っている。超高速な4番は最初の数秒、何の曲か分からず、二進法のライトを思わず確認、長いトリルが魔法みたいだった。
カプースチンでは、VII. Intermezzo(間奏曲)がアップライトで弾かれたが、途中、さっと立ち上がって、グランドピアノに移ってからのクリアな旋律、脳裏に焼きついている。
エチュード8曲にバッハ3曲を加え、11曲の組曲は実に自然な流れで繋がっていて、この曲順を思いついたことに改めて感心してしまった(多治見公演の翌日、ブラッド・メルドー(Brad Mehldau)のアルバム「After Bach」(ご関心ある方はこちらを)を思い出して聴いたが、こちらはざっくり言うとバッハのプレリュードとメルドー自作曲が交互に演奏されるアルバムで、角野はメルドーからのインスピレーションも受けたのかな?と。その夜、角野からメルドーのコンサートに行って感動したツイートが上がり、私がメルドーを聴いていたタイミングと被り、驚いた)。
また、11曲は超ひも理論でいう宇宙の11次元を意識していたのか。11という数字に込められた意味を色々考えてしまう(笑)。
En core
帰り道、アンコールの曲目、SNSにアップしていいことになっている30秒動画は掲載したので、そのツイートを載せておきたい。
カプースチン×バッハの世界の余韻に浸っていた身には、Ecの1曲目でGershwinのSwaneeを聴けたのは嬉しかった。
Ecの2曲目は、スタインウェイ購入報告で弾いている動画を貼っておきたい。実際は、アップライトで弾いてくれ、心に沁みる音色だった。
あと9公演も残っているのが嬉しい、楽しみだって話しているのを聞けて、私も嬉しくなった。角野さん、本当に素敵な人だなと思った。
私なりの拙いまとめ
今回のツアー、目の前で2台のピアノから生み出される多彩な音色、立体的な音楽に自然に惹き込まれ、クラシック音楽の新しい魅力、楽しみ方を知る貴重な機会となった。
中学生の頃から、学問のみならず、バンドや音ゲーなどさまざまなことに興味を持ち、いろいろ経験を積んだ末に、音楽家を目指し、音楽のジャンルの壁を意識せずに行き来し、ショパコン以来、国内外でさまざまな音楽家と触れ合って来た角野だからこそ、それら全てからインスピレーションを受け、今回のプログラムも舞台・ホールの空間も自由にReimagine(再構築)できたんだろうと思った。
もっと何か書きたいが、言葉が出てこないため、思いついたら後日追記したい。
おまけ:公式グッズ販売
限られたお金はグッズ購入よりリアルなコンサート代に充てたいと冷静に考えていたが、この日、以下のツイートを見たら、全部揃えたくなる自分がいて苦笑した。
売場のカバーも可愛かった。これが欲しくなったファンは他にもいたはず。私の家のピアノのカバーにしたい!
(以上)
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