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一発殴っておけばよかった

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2019年1月、行方不明だった父親から20年ぶりに連絡が届いてから、訃報が届くまでのとても短い時間について。それから49日が経ち、旅立ったことも少しだけ。
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49日

74年前に多くの人が亡くなった3/10。 8年前に多くの人が亡くなった3/11。 その2日に続く3/12は、あなたが亡くなってから49日目だったよ。 自分の意思や人生に一切関係なく、無常なまでに命を奪われた多くの人がいた過去を思うと、色々あっても何よりまずはこうして元気に生きていられることが有難いことなんだなと感じる。そんなことを考えていたら、こちらは春のような暖かな日も増え、まもなく桜の花も芽吹きそうだ。 そちらはどう?閻魔様、最終的にどう判断された?あなたの地獄行きを

一発殴っておけばよかった(3)

(1)はこちら (2)はこちら 父親は自分勝手で調子のいいやつだった。担当してくれた看護師さんから聞いた話を踏まえ、そう結論付けることにした。 一つ目の話は、昨年から入退院を繰り返す中で「家族や兄弟に連絡をしたほうがいいんじゃないですか?」と看護師さんは何度も提案したくれていたらしい。しかし、なんだかんだ言って連絡はしなかったそうだ。なぜしなかったのか、その理由は今となっては知るすべもないし、勝手な想像で答えを考えてもしかたがないが、最終的に連絡するならもう少し早く連絡し

一発殴っておけばよかった(2)

(1)はこちら 父親を名乗る男性からは「明後日、自分の症状について病院から電話する」と伝えられた。電話の後、自分の心境や状況について家族や友人に相談し、かかってくる電話を待ったが約束の日に電話はなかった。その際様々な相談に乗ってくれた全ての人に心から感謝したい。 結局質の悪いイタズラだったのかと思った矢先、私がインフルエンザにかかってしまったこともあり、徐々に電話の件は頭の中から消えていったが、突然また見知らぬ番号から着信があった。 「〇〇病院です」。そう述べた男性医師

一発殴っておけばよかった(1)

2019/1/23 7:00、父が他界したと病院から電話が入った。 私と父はかれこれ20年近く会っていなかった。最後にその姿を見たのは当時住んでいた東横線の日吉駅。家を出た父を追いかけ、駅前で父を呼び止めたものの、双方罵声を浴びせ合い口論をしたのが最後だ。 その日から今に至るまで生死を含め、父に関することは一切なにも分からなかった。今年の初めに突然父親を名乗る男性から連絡があるまでは。 留守番電話に残された父親を名乗る男性の声は、およそ自分の記憶にある父の声色と全く違う