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朝日新聞が報道した「平和よみがえる南京」の写真特集。④(日本軍による虐殺などなかった証明)を紹介します。


『中国の旅』の影響とその背景

 日本国民の多くは、日本は戦争に負けたことでもあり、東條元首相以下七名が戦争の責任を「問われて処刑され、その中に松井大将もいわゆる南京大虐殺」の責任でくわえられた、やむを得ないことかもしれない―――程度の認識であった。

 それから約二十余年、人びとの南京事件に関す る記憶もほとんど薄らぎ、忘れられつつあった時、 突如として衝撃的なレポートが朝日新聞に連載さ れた。本多勝一記者による「中国の旅」と題するルポである。
 
 この連載は、昭和四十六年八月から十二月まで の間に《平頂山事件· 万人抗· 南京事件・ 三光政 策》の順に、四部にわかれて報じられた。
 各部は およそ十回程度、合計四十回、いずれも旧日本軍 および日本の民間人が戦前・戦後を通じて中国人 にあたえた数々の残虐行為の告発である。  そこに描かれた非道な暴虐の数々、その結果生じた途方もない死者の数々・・・。

 「南京大虐殺」の名を一 挙に広めたのは、この本多ルポのあまりにも衝撃 的な残虐無惨な記述だといっても過言ではない。
 
 朝日は昭和四十六年の本多ルポをきっかけに、 それ以後はあることないことを、意図的にニセ写 真や、兵の日記まで偽造して、「南京大虐殺」を 煽りたてた。本多氏はさらに、「南京への道」を 「朝日ジャーナル」に連載した。また朝日は、洞 富雄、藤原彰氏らの虐殺派の著書を相次いで発行し、「南京事件を考える会」まで結成した。異常なまでの『南京大虐殺”に対する熱の入れようである。
 
 私は文藝春秋に「朝日新聞に拒否された五通の 反論」と題する一文を草したことがある(昭和五 十九年六月号)。明らかにそれは事実とは違う、 と言って証拠を示して訂正をもとめ、あるいは私 を名指した投書に反論しても、朝日は一切ノーコ メント。大虐殺があったという記事なら、どんな にまやかしでも、嘘いつわりでも大きく取扱い、 これに反する記事はすべて没にする。抗議にも回答しない。そこには記事の公平も報道倫理もない。

 「朝日は日本のプラウダである」と言われ るゆえんがよくわかった。すなわち、自社の主張 にそったものは取りあげるが、これに反するもの は一切取りあげないという方針である。
 
 そうした朝日の背景には何があったか。新聞評論家として著名な片岡正巳氏は、次のごとく述べ ている。

 「いかに朝日新聞が、そして時の社長広岡知男氏が、日中国交回復に並々ならぬ思いで尽力したか。………………文化大革命を礼賛し、そして四十五年に広岡社長は、日中関係の改善を胸に抱い て、議長を務めるべき株主総会まですっぽかし て一カ月も中国に滞在し、そして四十六年の世 界卓球選手権大会、翌四十七年の上海バレー団 の招待・公演と、朝日はまさに八面六臂の役割 を自ら買って演じたのである。

 しかもそれは中 国の立場を重視し、中国の言いなりに無理を通 したのであった。・・・・・・そして四十六年八月から の「中国の旅」の連載であるが、“南京大虐殺”なるものを、中国側の言い分だけでまとめて いった理由がここにある」。(「間違いだらけの新聞報道」二五五頁=傍点,田中)

 片岡氏は朝日が時の中国政権にすり寄った醜態 を暴露し、文化革命の礼賛、かの有名な林彪の失 脚と死亡の否定、そして遂にはありもせぬ「南京 大虐殺」を捏造するまでにいたる経緯を克明に紹 介し、朝日の「親ソ反米」「親中反日」の根源を 同著の中で鋭く衝いている。


     朝日新聞が報道した『平和甦る南京』の写真特集
              著者:田中正明  ( p、9~10)
 
    ※ 深田先生から本の紹介の了解を得ています。




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