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大変だった正月の話

先ずは、能登半島地震の犠牲者のご冥福をお祈りいたします。
現在も避難生活を送られている方々も、一日も早く復興し安穏とした日常に戻れるよう願っています。

さて、もう10日も前のことですが、私もあの正月元旦を振り返ってみます。

私は新潟の上越、関東甲信越の方に住んでいたので、震度5強を家で寝正月中に食らいました。
あの揺れは東日本大震災以来でしたね。
更に、今回は日本海側からの津波が来る可能性がありました。実際に石川県珠洲市、能登町には津波災害も発生していました。
私達の家も津波災害警戒区域に入っていました。
元旦から震度7~震度5の大地震が起きて、大津波警報とか忙しいことしてくれるじゃないの。
おかげで夕方から、おせきを突きながら格付けチェックを見る予定が台無しだわ。
もちろん、私以外の沢山の人達も、せっかくの正月がおじゃんになったと思っていたことでしょう。

それでも、慌てず騒がない。
私が最低限やったのはMyPCとスマホとタブレットらを纏めて入れられる手提げバックに詰めて、生理用品と水と財布と免許証車のキーを持ち出した。
ちょっと反省するのはもう一本は飲料水を、いつもあちこちに保管しているUSBメモリーを一個も持ってこなかったこと。
家族は猫含めて全員連れて行くし、兎に角最低限と必須の物だけ持って指定される避難所へ。
着の身着のままなのでパジャマにコート羽織ってで移動した。一番温かい格好だし着替える必要なし。

避難所は家に一番近い小学校。
海岸も近い所に住んでいるのでなるだけ高所で山側に移動した。

SNSで探ろうとすると5Gがいきなり4Gになり、どんどん重くなる回線。やはりというか、震災発生地域だと通信障害が如実に表れる。

コンビニも、混んでいたと耳にした。おそらくでもなく流通が今日止まっているから、品薄状態。

職員室をお借りしてその中で見られたテレビはずっと緊急地震速報の特番で、数分毎に同じシーンが切り替わるだけ、新情報が入る度にじょじょに構成が変わるという、これも東日本大震災以来の有り様。

それでもまあ、我慢強いもんだ。と思いました。我々も皆さんも。

図書室の本を3冊以上お借りして、読んで時間を過ごす。
卓球台があったのでピンポンを打ち合っていたり、将棋を打つ若者もおる。
ゲーム機で気分転換してたり、ネットが使えなくともこうしてメモ帳に書き綴るだけにノートPC開く奴もおる。
一緒に避難してきた猫も犬も空気を読んで大人しく、丸くなる。

帰省中の弟とテレビを見ながらあることを話し合った。私は飲食店に勤務していて、年末年始が繁忙期で、正月元旦だけ休みを取れていた。一方弟は虫歯にかかっていた。ちゃんと治療してから来んかいと思いつつも、もし弟の体調が良かったら、私は彼を連れて都市の方に遊びに行っていたかもしれない。そこで震災を食らったら、間違いなくそ道路を封鎖され、一日か二日は足止めされていたでしょう。そしたら家には母と猫だけで気が気でなかった。家に居て良かったと心から思います。

仕事先に関しては結局七連勤することになり、新年会のキャンセルあったり予定通り出れたり、閉店まで居座る人もそこそこで、震災の影響による交通のドタバタで都に戻る予定もズレたか、5日も6日も宴会があったり、そうして溜まる私の疲労。お風呂はマジで癒し。終わった日の翌日には殆ど動けませんでした。

すっかり体力や落ち着きを取り戻したので今こうしてnoteを書いている、という次第です。

最後に、私がした義援金サイトの紹介。
普段使い所が分からないが、気が付けば貯まっている。それはTポイントカード。

Tサイト[Tポイント/Tカード] (tsite.jp)

Tポンイトを使う→募金一覧→緊急募金の能登半島地震災害義援金にてざっと喜捨しちゃいます。

それでは、再度告げますが、一日も早い復興を祈って。


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