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「街とその不確かな壁」と一角獣の封印

一角獣というコンセプト

1985年発表の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」において、偶数章の「世界の終り」では、夢読みの「僕」が一角獣のいる街で暮らし、奇数章の「ハードボイルド・ワンダーランド」では、計算士の「私」が一角獣の頭骨を手にして、説明を聞くシーンがあった。

東洋と西洋では同じ一角獣といってもこれだけ違うのね。東洋では平和と静謐を意味するものが、西洋では攻撃性とか情欲とかを象徴することになるんだもの…一角獣の頭骨が発見された記録があるのよ…ウクライナの戦線で一人のロシア軍の兵士が塹壕を掘っている最中にそれをみつけたの。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 第9章
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で一角獣の頭骨が発見されたするヴルタフィル台地は、 ウクライナ北西部のVolhynian Upland (volynska vysochyna) 地域と想定される。
Igor Luzhanov, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

一角獣は1980年発表の「街と、その不確かな壁」で登場し、その従兄弟作品ともいえる1985年発表の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に引き継がれた。おそらく村上がジャズバーを経営していた青山近くの一角獣像から思いついたのではないかと想像されるが、その由来の地を、当時ソ連の一部だったウクライナとした理由や背景は不明である。

聖徳絵画館前の一角獣像

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では、一角獣は「街」の住人の自我を吸収し、吸収した自我の重みによって死ぬ。死後は門番がその頭を切り落とし、夢読みは頭骨に刻み込まれた自我を読んで大気に放出する。そして、そんな一角獣がいったい何を意味するのかの判断は、読者に委ねられている。



湾曲する現実世界

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」発表の6年後、1991年にソ連は崩壊してウクライナは独立した。そして2020年にコロナ禍が世界を襲い、村上春樹は「街とその不確かな壁」の執筆を始めた。

コロナ禍3年目の2022年2月24日、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まった。ロシアの侵略行為の根底には、ロシア帝政期を含めた「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」というプーチン大統領の史観があり、双頭の鷲とともにロシア帝政のシンボルだった一角獣は、思いもよらない形で、その攻撃性を示すこととなった。

現ウクライナを含む「全ルーシのツァーリ」を名乗ったイワン雷帝(1530-1584)の印章には、現在もロシアのシンボルとして使用される双頭の鷲と、帝室のシンボルである一角獣が示されている

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では、ウクライナの大地から掘り起こされた一角獣の頭骨が、何かを解き放った予感を持ちながらも、それが読みきれない計算士の「私」は問いかける。

「あの一角獣の頭骨はいったい何を意味してるんだろう?」「それが私にわかっていれば、すぐにでもあなたを救ってあげることができるんだけれど」と娘は言った。「僕と世界をね」と私は言った。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 19章

1985年なら、洒落た軽口として通用した「一角獣の頭骨の意味を理解して世界を救う」という科白は、2023年に改めて読むととてつもなく重い。



虚構による現実への侵入

1985年に村上が「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を執筆した時点では、壁に囲まれた街も、そこに住む一角獣も、作者の純粋なイマジネーションの発露の結果だった。それらは現実世界と並行的に存在する仮想空間上の風景であり、それ以上でもそれ以下でもなかったはずである。

しかしながら、2020年のコロナ禍は、村上が従来表現してきた「壁の中に住む」「自分の影と語らう」「空井戸の底に潜る」といったメタファーが、現実世界のソーシャルディスタンスとして、いきなり現実となった。

2021年には、壁に囲まれた街の反転世界として描かれた「ハードボイルド・ワンダーランド」でやみくろの巣の真上にあった国立競技場の周りに、ベルリンの壁とそっくりの壁が建設された。

2022年2月には、西洋で攻撃性や情欲を示す一角獣をシンボルとする帝室の後継者が、あろうことか、村上が小説の中で一角獣の頭骨の収集地として名前を記したウクライナに侵攻し、戦争が始まってしまった。

まるで「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の計算士が、わけのわからない内にやみくろとの闘いに巻き込まれてしまったように、村上の創造した虚構が現実に侵入する事態となってしまった。

村上春樹の小説には「平凡な生活を送っていた青年がいきなり非日常の出来事に巻き込まれる」という類型がある。例えば、羊の写真について詰められたり(羊をめぐる冒険)や、パスタを茹でている時に電話を受けたり(ねじまき鳥クロニクル)、少女の作品をリライトするアルバイトをしたり(1Q84)など、日常生活に偶然降りかかってきたことをきっかけとして、主人公たちは冒険に立ち向かい、現実と非現実の世界を行き来する運命に巻き込まれる。

しかしながら70歳を超えた老作家が2020年から2023年に見たのは、自分が過去に書いた作品のモティーフが、現実転移するという事態だった。もちろん、コロナ禍もウクライナ戦争も、村上の責任では全くないし、明示的予言をしたわけでもないが、虚構の創造者としての村上には、この状況を自らの小説として昇華することによって、この時代を記録する使命が課せられた。

私の直面した問題は何ひとつとして解決しない。私はある種のきわめて厄介な問題に直面しており──あるいは巻きこまれており──自分一人の力ではどうにもならなくなってしまっているのだ。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 13章

そこで村上春樹が選んだのは、1980年の未刊行作「街と、その不確かな壁」のリライトだった。過去に自分が蒔いた種を回収し、新たな物語として再構成し、決着をつけた。

普通、地位を確立した老作家が、40年前に自分が雑誌に投稿したが没にした作品に再び手をいれることはない。既にそのボツ作品をベースにして再構成した作品が高い評価を受けている場合はなおさらである。「ああ、この作家は老いぼれてしまい、ネタが尽きてしまって自己模倣するしかなくなったのだな」と呼ばれるリスクを取る理由はないし、身辺雑記の延長でお茶を濁す方が明らかに楽である。

しかし「街とその不確かな壁」において、村上春樹は、敢えて厳しい道を選んだ。過去に自らが創造した主人公に年齢を重ねさせ、壁で隔てられた二つの世界を行き来させつつ、どうにもならない状況に対して、主人公ができる数少ない方法で、物語の出口を見つけさせた。

それはやはり僕にとって(僕という作家にとって、僕という人間にとって)大切な意味を持つ小骨だったのだ。

街とその不確かな壁 (p.669)


作家としてのミッション

2020年8月、村上はコロナ禍によって夏休みが台無しになった高校生からインタビューを受けることによって、若者に忘れられない経験を提供した。

2020/8/29 読売新聞夕刊

そのインタビューの中で、作家が同時代の事象を表現することについて、このように述べている。

「コロナについて書くやり方は二つあります。一つは具体的に書くこと。もう一つは、全く別なものに置き換えて話を書くこと。小説家としてはそちらが本業のような気がするけど、多くの作家が何か書き始めているんじゃないかな」

2020/9/5 読売新聞夕刊

今から思えば、当時村上は「街とその不確かな壁」を執筆していた最中である。その作品世界では、1980年の未刊行中編「街と、その不確かな壁」をベースにして、それの発展形である「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と世界を共有しながら、微妙な形でずれを表現している。

一つの例としては、「街とその不確かな壁」では、一角獣 (unicorn) は外見的には「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と同様の姿だが、単角獣 (single horned animal) と呼ばれる。そして夢読みは一角獣の頭骨ではなく、卵のような形をした古い夢を読む。つまり一角獣の残滓が慎重に除去されていることがあげられる。

「街とその不確かな壁」で村上は、自らのモチーフを最大限に活用し、借景とすることによって、テキストの地平線を拡張するという、ベテランの作家にのみ許される特権を縦横無尽に駆使すると同時に、既に多くの物語資産を読者と共有している作家にだけ許される「何を表現するかというより、何を表現しないか」という「引き算の美学」を適用し、流麗な文体でまとめあげた。

その中で、一角獣の存在を消し、主人公に壁の内外を行き来させ、次代の少年に未来を託した上で、最後に自らの存在を消す覚悟を示すシーンでは、これまで作者が見てきた夢の総和を端的に表現し、過去の「やれやれ」に呼応するかのように「おそらく」という言葉で、照れながら締めくくる。

私は胸に大きく息を吸い込み、ひとつ間を置いた。その数秒の間に様々な情景が私の脳裏に次々に浮かんだ。あらゆる情景だ。私が大切にまもっていたすべての情景だ。その中には広大な海に降りしきる雨の光景も含まれていた。でも私はもう迷わなかった。迷いはない。おそらく。

街とその不確かな壁 (p.665)

こうして、コロナ禍とウクライナ戦争が同時並行的に勃発した時期に執筆された「街とその不確かな壁」は、リリカルな装いと過去のモティーフを潤沢に使用しながら、現実を昇華させて、小説として成り立たせることによって、後世に残る作品となった。おそらく。





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