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親父の故郷に行ってみたいんだ「柿崎」

ツレが、「親父の生まれた柿崎に行ってみたい」と言った3年前。
「親父」は我々が一緒になる前に、この世を去っていたので私はお会いしたことがない方だ。
7人兄姉で、男兄弟はすでに他界し、コロナが蔓延していた頃。

新潟県柿崎は日本海沿い、信越本線沿いにある町だった。ツレが言い出すまでその町がどこにあるかも知らなかった。
コロナ禍であったが、旅行気分で楽しく行こうと決めて、その10月、郡山から磐越西線に乗り換え、1泊目は亡き父(私の)の故郷に近い喜多方に降りた。
喜多方周辺には従妹やと父の実家があって、子供の頃から親しんだ町だ。

駅前沿いに従妹がやっている居酒屋があって夜はその店で従姉と会した。
従姉とは母の葬式に会って以来だ。
互いに歳を重ね、思い出話にお酒が進んだ。

喜多方ラーメン

翌朝は、ホテルに迎えに来てくれた従姉に案内してもらい「一平」朝ラーした。朝から食が進んだ。
喜多方駅で従姉と別れて、磐越西線の終点、新津で乗り換え、柏崎方面に向かった。

磐越西線を走るSL

以下中略

柏崎から柿崎へ

柏崎から柿崎へ向かう列車は左に海を見ながら進んだ
柿崎に降り立った時、ツレは辺りを見回し、「静かな町だな」とつぶやいた。寂しい感じはなかったが、閑散としていたし、バスも見当たらなかった。
まず、タクシーを呼んで、調べておいた「親父の実家」に向かう。

今も親父の実家は残っているのだろうか。どんな佇まいの家だろうか。
いるとしたら、どんな方が住んでおられるのだろうか。と、ツレの気持ちは複雑だったと思われる。
住所と思われる場所を見つけて玄関に立った時、表札が我が家の苗字と同じなのを見てホッとした。
丁度、中から高齢の男性が出てきた。不審者に思われないよう、すぐに名乗った。
そしてそこが、ツレの父親の実家であることを確認した。
今はコウジさんというツレの従兄の息子さんが跡を継がれておられた。
コウジさんと庭先でしばらく歓談し、旧知を確認しあった。別れ際に一緒に写真を撮った。

「良かったな。親父の生まれ育った家が今でも続いていて」
「立派な家だったな」
越後の寒村で生まれ育ち、大正時代の終わりごろ、故郷を後にし、身を立て、子供を7人育て、下駄職人として生きた「親父」。
父親のルーツ=我がルーツ。を確認して安堵したと思われる。

最後に、「付き合ってくれてありがとな」と言ってくれたが、私も充分に楽しませてもらった。



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