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マトリョーシカ🪆で自己肯定感を例えてみた。

マトリョーシカ🪆で自己肯定感を例えてみた。

マトリョーシカ🪆(ロシアのお人形で中に何重も重ねてあるやつ)で、その1番最後の1番小さいヤツが本来の自分なんですよ。

それは、どんな事であれ「価値がある存在」なんです。で、その1番小さいヤツに「私は価値がない」という殻を被せているだけの話。

1番最後のあの小さいヤツはどんな事であれ「価値がある存在」「誰にも侵されることのない価値ある存在」というのがマトリョーシカ🪆の1番内側の小さいヤツ。

そこに「お母さんに気に入られる私」「お父さんのご機嫌をとる私」「先生に評価される私」「友達に好かれる私」ていういろんなキャラの殻を何枚も被っているわけです。

でも、1番最初のヤツはなにも影響を受けることなく、ただただ「存在するだけで価値がある」なんです。

例えば、何かをして失敗した、上手くいかなかったことがあったとしても、それはその時のやり方や在り方が適していない間違っているやり方がわからないだけで、そこを修正をしていくだけ。

ゲームなんかと同じで、例えばスーパーマリオをプレイしていて、マリオがクッパにやられて「うわ〜、クッパにやられた私わ価値がない!」とか別に自分と関係ないでしょ?

マリオを上手にクリアできないのは、自分に価値がないんじゃなくって、自分のその操作の仕方が悪いだけ。
だから、操作を練習して上手くなればクリアできる。

で、操作の仕方が分からなくて「あ〜、クリアできないから私は価値がない〜」っておかしいでしょw?

自分が今までやってきた、「習ってきた、学んだきたやり方が、その時その人、TPOには適してないんだな」ということであって、「私は、このジャンルをまだ知らなかった、間違った認識をしてたんだ」っていうだけで、自分の価値が下がるわけでなく、ただ経験不足だったんだなぁって受け入れる。

「私、これ知らなかった、こうだと思ってた!ゔ〜」って、でやり方を修正していって終わり。

やり方がわからない自分は価値がないっていう風になって自分責めしちゃうと、次に進まないので、現状をまず受け入れる。

マトリョーシカ🪆の1番最初のヤツは、「唯一無二」のいるだけで価値のある存在なんで、「自分もそうなんだなー」とただただ受け入れてみてください。

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