20200209登山2

【登山】山に登り続けるたったひとつの理由~南アルプス百名山制覇物語【後半】

こんにちは。

前回の続きになります。まずはこちらの記事からご覧いただければ流れが分かると思います。

3.北岳、間ノ岳(社会人3年目 単独行)

社会人3年目になると私の山熱は更にヒートアップしていった。仕事にも慣れてきたし学生の時はバイトばかりやっていたので金銭的にも辛かったが、社会人になると固定給やボーナスが入ってくるし、有給休暇を有効活用することによって行動の幅が広がった。当然私の行動範囲はますます拡大し、登山も国内だけでなく海外の山にも一人で登りに行くようになっていた。

北岳、間ノ岳、農鳥岳は「白峰三山」と称し、3000mを抜く山5座が、南アルプスの北部に連なっている。北岳(3192m)、中白峰(3055m)、間ノ岳(3189m)、西農鳥岳(3050m)、農鳥岳(3026m)の5座のことで南アルプスの黄金ルートと呼ばれている。北岳は富士山に次ぐ日本で2番目に高い山であり、その雄姿は南アルプスの顔として有名である。もちろんそれなりの標高と2泊3日の縦走ということで事前準備として八ヶ岳や北アルプスなど他の山々も時間を見つけてはあちこち登っていた。

社会人になると誰かと都合をつけて行くスタイルが段々面倒臭くなり、近場の山などはもちろん、急に休みが取れたりすると突発的に自分で車を走らせてソロ活動を好むようになった。雪山はさすがに単独では行かなかったが、ひとりで登ることの気楽さに勝るものはなかった。北岳はひとりで行こうと決めてからすぐに有給を利用して甲府駅まで普通列車で向かった。

北岳の山頂で食べるためのおやつとして甲府駅のマクドナルドのフィレオフィッシュを買った。山の頂で食べるものが一番美味しい。だから普段は「下界」で食べるジャンクなものを敢えて買って行った。

前日はビジネスホテルに宿泊し、翌朝6時甲府駅からバスを乗り継ぎ登山口の広河原に到着したのは午前10時。結構遅い出発時間となった。登山届の提出や準備などで結局登山を開始したのは午前11時。本日泊まる予定の北岳山荘に予約を取ってあるが、このペース的に大丈夫かなと心配になりながらも、ひとりで歩き続けた。途中前を歩いていた男性登山者と一緒になった。雑談をしながら一緒に北岳まで行くことになった。しかし男性の様子がおかしい。私はコースタイム通り、決して早いペースではないが、男性は既に息が切れて苦しそうだ。慌てて「大丈夫ですか?気分悪いんですか?」と駆け寄ったが、「大丈夫です」と言ってまた歩き始めようとする。男性のことも心配だが、私もこのままのペースだと日が暮れてしまう。だんだん心配になり恐る恐る声を掛けた。「このままだと北岳山荘に着くのが日が暮れてしまいます。危ないのでここで引き返すのが良いのではないでしょう?いかがでしょうか」私の呼びかけに男性はニッコリ笑って、「そう仰ると思っていました」…なんだ、よかった。分岐道で男性と別れ、私は驚くほどのペースで急登をグイグイ高度を稼いでいた。幸い百名山ともあり道迷いは心配なさそうだが、すれ違う下山者に「今から登るんですか?」と怪訝な顔をされる。それもそうだ。登り始めた時は青空だったのがガス空になり体感温度もどんどん寒くなる。ガスが立ち込める中急登が続き、最後の力を振り絞って北岳山荘に到着したのは17時を回っていた。コースタイム6時間のところ実質4時間で駆け上った。私の登山人生至上こんなに遅く到着したのは初めてのことだった。本当に怖かった。標高差は約1500m。

「翌日は雨になるらしい」と山小屋の人に言われたので、ここで意を決してザックを置いて北岳山頂まで空身で目指す。既に周りは暗くなり始めていた。北岳に着いた時「また来なきゃな」と思った。山頂にはただ一人、ガスで景色が何も見えない状態のなか、北岳の頂で昨日買ったマクドナルドの冷たいフィレオフィッシュを食べた。本当に美味しくない。冷えた体に冷えたパサパサのハンバーガー。感動よりも早く山荘に戻って眠りたい。酷く疲れた夜だった。冷え切った体は心も冷えてよく眠ることはできなかった。

翌日も予想していたとおりの雨。間ノ岳までは本来は黄金ルートと呼ばれ天空の散歩が楽しめるのだが、ガスに次ぐガスの連続。あまりお目にかからない雷鳥の親子があちこちいた。天候の悪さに強風が突きつけ身体も顔も寒さに震えた。時折休憩するためにザックから取り出すお菓子を食べるのすら億劫だった。寒さで指がかじかむ。

間ノ岳に到着した。ガスはどんどん酷くなり強風で記念撮影どころではなかった。珍しく誰もいないだだっ広い間ノ岳の山頂で私は標識をタッチしてすぐに歩き始めた。ここから二百名山の農鳥岳を経て今日は大門沢小屋で宿泊予定だ。大門沢下降点からの下りは急坂だった。天候の悪さと滑る坂を慎重に下り、何度も転びながら大門沢小屋まで到着した。

小屋では何やら宴会が行われていた。誰かを囲んでおばさま達がはしゃいでいる。「こんにちは、本日同じお部屋で泊まらせていただきますAKIKOです」と軽く挨拶をして私は自炊の準備を始めた。とりあえず温かいスープとカップラーメンを準備していると、取り囲んでいたおばさまのひとりが声をかけてきた。

「あなたあの人誰だか知らないの?」
え。存じ上げないんですけど。その人はみなみらんぼうさんだった。そういえば山と渓谷にコラム連載をしていたことを思い出した。「みなみらんぼうの一歩二歩山歩」の本を図書館で借りて読んだこともあった。そうかあんなお顔をなさっていたのか、と世間知らずな私はみなみらんぼうさんにお詫びをし、宴会に混ぜていただいた。この日500ℓの缶ビールを2本いただき、まだ登山が終わっていないにも関わらず酔っ払った。おばさまの甲高い笑い声とらんぼうさんの柔らかい表情が今だに忘れられない。「明日早いのでお先に寝ます」と失礼をしたら、らんぼうさんは、この先の吊り橋が非常に滑りやすいから気を付けること、他にもいろいろなアドバイスをしてくださった。このアドバイスはすごくありがたかった。連日の雨に濡れた吊り橋は高所恐怖症の私を絶句させるほどの、一歩間違えたら真っ逆さまな危ない吊り橋だったからだ。

翌日、夜明け前に小屋を出発して慎重に吊り橋を渡り冷や冷やものでようやく奈良田に下山した。前泊を除く2泊3日の工程はとても長くハードだった。いつものことながら天候には恵まれない。それでも白峰三山を達成できた喜びをかみしめて奈良田温泉に入り、バスと電車を乗り継いで帰路についた。

これで南アルプスの百名山は9座登ったことになる。残るのは甲斐駒ヶ岳だけとなった。甲斐駒ヶ岳くらいだったら年内にきっと行けるだろう。そんな呑気なことを考えていたが、その甲斐駒ヶ岳の存在を忘れてしまったかのように時は過ぎていった。

  新しい生活、私は抜け殻になった

そして私は結婚して会社を辞め新しい生活に期待を膨らますのかと思いきや、それ以上に人生におけるショックな出来事が重なり徐々に精神のバランスを崩していった。会社を辞めた後は福祉関係の専門学校に入学した。ITという分野と全く対照的な福祉という対人援助職に就きたいと漠然と考えて毎日とは言わないが心理学や福祉関係の色々な書籍を読み漁り、毎月のレポート課題に追われ、いつしか登山とは縁遠い生活になってしまった。特に実習があると毎日何枚も日報を書かないといけない。知らない世界で知らないことを勉強するのは楽しかったが、この道で生きていくのか、その覚悟を持つ決断力は私にはまだなかった。

勉強の合間をぬってたまに行くのは近くの奥多摩や奥秩父の日帰りで行ける山。珍しく北アルプスの平ケ岳や蝶ケ岳に登ったこともあった。しかし脳裏にはいつも国家試験の勉強のことやレポート課題のこと、これから毎日やらなくてはならない家事のことなどが頭をもたげていた。好き勝手にやっていた生活や人生はこの頃から大きく変わっていた。自分だけの人生ではない。二人で歩む人生。その変化と国家試験へのプレッシャーは日に日に大きくなっていた。

私はどんどん痩せて食べれなくなった。スクーリングのある8月のある日、久しぶりに会った同級生に「どうした?ガリガリじゃんか!」とまるでゾンビを見るような目で本気で心配された。ストレスなのか胃が何も受け付けない。同級生で仲が良かった人は2人いて、どちらも同世代の男性だった。私の悩みを聞いてもらったり、一緒にマクドナルドに行ったりした。マックシェイクを一口飲んで吐きそうになる私の姿を見て、「入院したほうがいいんじゃないか」と言われた。それを全力で拒んでいた。

専門学生2年生の冬、国家試験は1月の末に2日間実施される。私が受験した年は1月25日、26日だったと記憶している。受験会場の東京ビックサイトまで息も絶え絶えに行き、1日目が終了した瞬間動けなくなった。帰宅できず新橋にあるビジネスホテルに宿泊した。倒れてもまだ力はあるだろう。残りの時間とほぼ動かなくなっている脳をカフェインで無理やり覚醒させ、最後の悪あがきをした。

翌日も試験は行われた。もう手ごたえだとかそんなことはどうでもいい。とにかく早く終わってほしい。1年で17キロも痩せてしまった私は座っているだけで尾てい骨がが当たって痛くてたまらなかった。

2日間にわたる国家試験が終了し、合格発表日の3月31日までは何も考えずただただ眠りについた。春が近づいているというのに私は冬眠しっぱなしだった。少し充電した後友達に誘われて河津桜を見に伊豆へドライブに行ったり、雪景色を見に札幌の街を歩き、学生時代に貧乏旅で知り合った移動パン販売のおじさんと一緒にパンを売り歩くという経験をすることで徐々に元気になっていた。

  長いひきこもり生活を経て

それから8年。私は国家試験に合格したが就職活動が思うように行かず、アルバイトや派遣を転々とし、長い長いひきこもり生活を送ることになる。

ひきこもり生活の大半はもう記憶にない。もう山に登ることはないだろう、とあれだけ愛用していたミレーのザックも大事に使っていたノースフェイスのゴアテックスもボロボロになるまで履きつぶした登山靴も全て捨ててしまった。その他、山で撮った写真や旅の最中で撮った写真の数々も自分の写っている写真は全部捨てて、友達が写っている写真はまとめて郵送で送りつけた。手元に置いておきたくなかった。自分が輝いていた時代を思い出すと辛くなる。だから徹底的な断捨離を行った。日記の類も全て捨てた。もう手元に大事なものは何もない。その簡素感が心地よかった。もう何もかも無くなればいい。

そんな鬱屈した日々から抜け出したのは近所の人づてで誘われた仕事だった。役所関係の仕事を紹介してくれた。当時リハビリとして週に2日たった2時間半のアルバイトしかやっていなかった私は二つ返事でやってみようと思い、短時間パートとして入職した。

入職して3年目、私は経理関係の仕事を任せられるようになった。会計ソフトを導入しようという動きがあり、基本知識として必要な簿記2級の資格も取った。それから毎日朝1万歩を目安に歩くようになった。朝の散歩は脳が活性化すると同時に単純に気持ちが良かった。毎日すれ違うウォーキングに勤しんでいるおばあちゃんがまるで知り合いのように感じた。

そうか、私にはやり残したことがある。
そう、あの時の甲斐駒ヶ岳。

甲斐駒ヶ岳を登り切れば南アルプス百名山全山制覇という目標が達成される。私の目標は既に定まった。そこに向けてただ行動するだけだ。

4.甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳(再び社会人 単独行)

私は甲斐駒ヶ岳の頂上にいた。あれから毎日の散歩に加え休日は奥秩父の金峰山や八ヶ岳、丹沢を登り、体力をつけていった。それに時代は山ガールがブームとして定着していたため、登山用品コーナーは色鮮やかな可愛らしいウェアに軽量化されたザックやコンパクトなガスバーナー、小型なのに威力抜群なヘッドランプなどがずらりと並んでいた。思わずその時代の変化に圧倒されて、全くのド素人丸出しで店員さんを質問攻めにした。自宅近くのモンベル、好日山荘。神保町まで行けばさかいやスポーツ、石井スポーツなどとにかく山用品に関しては何でも揃っている。アウトレットで調達することもあれば、都心まで行って何店もの登山用品店をハシゴした。学生の頃は聞いたことがなかったマムートのゴアテックスを買い、ノースフェイスの速乾シャツにFireFoxの帽子。LEKIのストック、完全に見た目はミーハーな山ガール仕様と化していた。ザックだけはこだわりのミレーを選んだが、その軽さと機能性に驚いたのは言うまでもない。

そんな山ガール(年齢的には無理がある)な恰好に包まれた私は甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳の2座を踏破する山旅に挑んだ。

甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳のちょうど中間地点にある山小屋に泊まった。夜ごはんがやたらと美味しかった。今までは山小屋を利用しても極力自炊をしていたが、この山小屋のご飯は格別に美味しかった。夜は見知らぬ登山客と山の話で盛り上がりついつい夜更かししそうになる。夜9時に就寝するのは山の世界では当たり前だが、さすがにそんなに早くに眠れない。月の明かりを眺めながら、ここ(山)にいる喜びと驚き、そしてなんとも言えない感動と希望を抱いていた。私はまだこの世界で生きているんだ。

甲斐駒ヶ岳は手ごわい山だった。登山開始からいきなりの急登が始まり、仙水峠から駒津峰への登りがキツイ。両手両足を使いまるでクライミングのような恰好で思わず手足がが攣りそうになる。駒津峰から見上げた甲斐駒ヶ岳は恐ろしくカッコよかった。惚れ惚れする。しかしここからの道は甲斐駒からの挑戦状だった。ヘタレな私は直登コースを避け巻き道を選んだ。しかしそれも楽なものではない。学生のうちは歳を重ねてもあれだけは使うまいと決めていたLEKIのストックに支えられてようやく頂上に辿り着いた。甲斐駒ヶ岳から眺める景色は今まで登ったどの山よりも美しく壮大で感動的だった。

その後、仙丈ヶ岳にも登った。学生の合宿で来たのか大勢の制服姿の若者にどんどん抜かされていく。柿の種を食べながらサクサク登っていく姿を見て「こんなに準備してきたのにあっけなく追い越されたな」とひとりで笑ってこぼれていった柿の種を拾い集めた。仙丈ヶ岳もやはり綺麗だった。天候は今までの雨やガスとともに過ごしていた私には似つかわず、すこぶる晴れていた。蒼の青。雲ひとつない快晴。

ようやく南アルプス10座全山制覇を成し遂げた。19歳で登山を始めてから既に十数年が経過していた。南アルプスに馳せる思いは誰よりも特別だ。

おわりに 私が山に登り続けるたったひとつの理由

何故私が山に登るのか。その理由はいたってシンプルだ。

山が好きだから

そこに山があるから、なんてことを言う人がいるがそれに近い。

私は山が好きだから登る。

何年かかっても、歩みは遅くとも、山は逃げないでそこに存在している。
そのどっしりとした風格が私の心を安心させる。
山を見る、山に登る、山を撮る。
山との時間は私の宝物だ。
山と過ごした時間は何よりも愛おしい。

これから私はどんな山に登るのだろう。今からワクワクしている。
どんな世界を見に行くのだろう。そして何を感じるのだろう。

今、何かを諦めようとしている人へ。
夢は逃げない。
逃げようとしているのは自分自身だ。

誰かのためじゃなく自分のために生きる。私は無駄な時間を多く過ごしてきたし引け目も感じてきた。しかし今となってはその経験こそが自分を強くさせたのではないかと、そう思う。

だから夢がある人も今はない人も、好きなことをやるのが一番大事だ。
好きな人と好きなことをする。
ひとりでも好きなことに没頭する時間は素晴らしい。
好きでもないことを惰性でやることこそ時間の無駄だ。
小さくても夢に向かって行動する。
考えるよりまず行動。
行動して失敗して挫折して何が悪い。

だから胸を張って。
自分は自分のままでいい。
楽しいことだけやろう。
好きなことをやり続けよう。
誰のためでない自分の人生なのだから。

前半に引き続き、長文を読んでくださり本当にありがとうございました。

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