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三角書簡「青いにんじん便り」変わったこと・変わらないこと:三通目

お手紙、ありがとうございます。

天気の悪い日が続き、気温も下がってほんのりブルーなトクラです。switchを立ち上げてみたら、わたしの小さな島も、薄曇りの朝でした。小さな島って?『どうぶつの森』というゲームの話です。

少しだけゲームの話をしてもいいでしょうか。わたしは人間の女の子(アバター)として無人島に移住をしました。胡散臭いタヌキの青年が、移住費用や家の増築、島内の橋・坂の設置など数々の費用を請求してきて、そのローン地獄に陥っています。インフラの費用まで、何故わたし1人が支払うんだ…と思いながらも、お金を稼ぐのは楽しい趣味になりかけています。

他の住民は、クマ、シカ、タコ、イヌ、ネコなどの動物たちで、それぞれ性格が違います。わたしは、初期メンバーであるクマの女の子、レイチェルのことが大好きです。サバサバとしていて返答が気持ちよく、時々DIYのレシピや、洋服をプレゼントしてくれます。ハチに刺されたわたしを心配して、薬をくれたこともあります。何となく、実際にもこんな女友達が居たらいいなあと思っていました。

でも…数日前、ネットで見てしまったんです。彼女の性格は「アネキ」というタイプで、20種類以上のキャラクターが同タイプに属していることを。つまり、同じような性格で、全く見た目の異なる動物が、他の島に住んでいるのです。そして、いつかわたしの島に訪問・移住してくる可能性もあるということです。一方的に好意を持って、そのくせ裏切られたような気持ちになりました。わたしと彼女の関係は、唯一無二ではなかった。彼女との会話は、彼女がくれたプレゼントは、「アネキ」という型にはめられた行動でしかなかった…。

当然なんですけどね。NPC(ノンプレイヤーキャラクター)がプログラムに従って動いていることなんて。でも、無人島に移住してからのワクワクが、わたしの感情移入がその事実を忘れさせていました。都合よく、勘違いしていたかったのでしょう。だって、NPCは理解に苦しむ恋愛相談もしてこないし、お金を貸してとも言わない。誰かの悪口大会に巻き込まれることもない。わたしは、一緒にいて心地よい、ファンタジーの住人に癒されていたかったわけです。理想を重ねて利用して、わたしの傲慢に付き合わせていたのです。

友達の正体がプログラムであることを思い出した時はショックでした。でも、レイチェルのことを好きな気持ちは変わりません。木々の間に、砂浜に、川の向こうに姿が見えると、嬉しくて走り寄ってしまいます。ある日、彼女がNPCの道を踏み外して、悪口大会に誘ってきたらどうしようかな。もしくは、わたしのことが嫌いだと言ってきたら。その時はその時。よく悩んで答えを出そうと思います。わたしの大好きな女の子を想って。

感情移入と言えば、1930年代にアメリカで銀行強盗や殺人を繰り返したボニーとクライドの映画(『俺たちに明日はない』)を観ました。彼らの残虐さとは裏腹に、鬱屈した大恐慌時代の民衆が彼らを義賊ともてはやし熱狂的に応援していました。あのカップルには、数百発の銃弾に倒れるエンディングしか残されていなかった。だって沢山の人を殺していますからね。でも、もし民衆が熱狂的に応援などしなければ。悪事はもっと少なかったかもしれません。他者に理想を重ねる民衆の傲慢さが、強盗団を引き返せない地獄へと導いてしまったようにも思えました。

…前置きが大変、長くなりました。

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さて、今回のお題は、「変わったこと・変わらないこと」。

ここ数か月のことで言えば、日記に訪問先を細かく記録するようになりました。わたしは今、会社勤めをしていないので、基本的な買い物以外で外に出る必要がありません。

不要不急の外出をしなくて済むのは、感染症予防の面ではとても有難いです。リスクが減りますから。実家から、それを望まれてもいます。

故郷の家族には、持病のある人間もいるし。田舎で老人の多い地域でもあるし。わたしの「不要不急」が感染症拡大に貢献するのは、まあ、誰も望んでいないわけで。だから、わたしは外出を出来るだけ控えるようにしています。

毎日、日記には「コンビニ」とか「銀行」とか、「ドラッグストア」なんてメモが残っています。外出しなかった日は「自宅待機」と書きますが、最近面倒になり「自宅」と殴り書きするだけになりました。

外出するのに罪悪感を感じます。不要不急の用事で電車に乗るのも悪い気がするし、近所の散歩も、何か用があったついでにそそくさと歩くくらい。言ってみれば、わたしって不要不急人間なんです…。

罪悪感を感じることその2。恋人に会うこと。彼は毎日電車に乗って仕事に出かけ、電車に乗って帰ってきます。いくらわたしが外出を控えていても、彼が感染すれば間違いなくわたしも感染するでしょう。このことは、家族には言っていません。矛盾しているけど、…なるだけ感染を広めないようにしなくてはいけないという気持ちはあるけど、かといって1人で数か月引き籠り誰とも会わないというのは、今の時点では出来ていません。

だから、この数か月間、常に罪悪感を感じています。

あいつ、目に見えないから怖いですよね。自分の行動が予防にどれだけ効果的か、その評価が出来ない。誰かにうつしちゃったら、取り返しがつかないという不安ばかりが頭を占めます。みんな不安だから、自分にも他人にも厳しくなって「自 粛 警 察」なんてことが起きちゃうんだと思います。

最近、映画を観ていても、キスシーンで「…密だ…」とか「濃厚接触じゃん」とか思っちゃうし。あいつの影響力をひしひしと感じます。完全には元に戻らないだろうと思っています。これは、悪い面だけではありません。作品でも日常でも違和感を持つことは、不要ではないと思うから。

9年前の東日本大震災については、わたしは被災したとは言えません。もっとずっと苦労した人、今も被害を受け続けている人がいます。東京に住んでいたわたしは、結構あっという間に日常に戻れてしまったと記憶しています。ただ、何もかも忘れたわけではないです。

今でも、様々な作品や日常の中に、9年前からの出来事を感じます。違和感という形で表れることが多いです。そうやって違和感を感じたときに、都度思い出すことが重要ではないでしょうか。

違和感の感じ方は人それぞれだし、敏感なトピックも違いますよね。辛い出来事を思い出すよう強要することはできません(したくもありません)。知らないことを責めるのも違います。でも、わたし自身に関して言えば、誰かが違和感を感じている時に、少しでも気付けるようアンテナを立てたいと思っています。この気持ちは9年前に強く感じたもので、そこから現在まで変わらず、わたしの心の重要な部分に位置しています。

頭がぐるぐるとして、纏まりのない文章になってしまいました。

ごめんなさい。

それでは、しのさん!一度パスをお返しします。

どうぞよろしくお願いします。

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