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悪者扱いし「消えろ」と言えば言うほど大きくなる不安とのつきあい方

お金の不安、健康の不安、人間関係の不安、将来の不安‥。
不安ってなぜ無くならないんでしょうね。
ひとつホッとすると別の不安がまた襲ってくる。
なぜこうも次から次へと不安が出てくるのか。わたしは不安製造機か。

そもそも人類は命を守るために「不安」という感情を生んだ。外に出たらナニカに食われてしまうかもしれない時代に、人間は「不安」になることを覚えた。だから、人類は生き残り、繫栄した。

今この瞬間、わたしは自宅の一室でパソコンに向かってnoteを書いている。今この瞬間、命が脅かされる心配はない。この「今この瞬間」が安心であることを積み重ねていったら、不安が入り込むすきはないはず。

不安というのは、起きるかもしれない(もちろん、起きないかもしれないという可能性もある)出来事を、まだ何も起きていない状態で想像している状態。不安なイメージが膨らめば膨らむほど、不安を宇宙にオーダーしているのだから、イメージ通りの現実が創造されて目の前に起こる。

気を逸らす(そらす)というのが引き寄せの法則の本に書いてあったけれど、逸らしても逸らしても、強力に戻ってくるのが不安のパワー。
そしてこのときわたしたちは「不安よ消えろ」「不安なんて持っていちゃだめだ」「不安な感情は不安な出来事を起こす」と思考している。結局「不安」についてめちゃめちゃ考えているわけ。

しかも、不安を超悪者にしている。

不安という感情は、安心安全じゃないことを経験したために持った「自己防衛」のひとつ。だから、不安を退けようとすると、脳内に警告が走る。
お前の命があぶないぞ、と。

不安は防衛反応。まだ起きていない出来事が「起きてしまったらどうしよう」と不安になっている。それは本当に起きるのか、と自問自答する。だいたいは起きない。これまでも何とか回避してきているはず。

消えろ!と不安を追い詰めるのではなく、不安という感情は「ここにいるよ~~!」とアピールしているので、わかったよ~、いるよね~了解、と不安があることをまずは認めてやる。体感があれば、そこに手を当ててじっと感じるといい。

そして、そうだよね、今までの経験上不安にもなるよね、当たり前だ。不安があって当然だ、というように不安の存在を肯定する。

やがて、何度かこのやりとりをするうちに出てくる不安が小さくなるから、
不安に「今まで守ってくれてありがとう」と感謝し一緒に生きていくことを決める。これで、不安という感情が安心する。変だけど。

多少の不安は身の安全を保つために必要な要素。だけど、この不安がわたしたち自身よりも大きく育って、本体(わたしたち)を飲み込んでしまうほどであると、かなり苦しい。

・不安にはエネルギーを注がない(それについてできるだけ考えない)
・不安が出てきたら、体感を伴っていないかチェックする
・その体感があらわれているところへ手を当てる
・不安ここにいるね、あるね、不安あるよね、そりゃそうだ、と共感する
・徐々に(または回数を重ねることで)不安が小さくなったら、感謝を伝えて、一緒に生きていこう、と宣言する。

不安は大きく育てないように。小さくして持ち歩こう。

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