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大学を辞めるということ〜むかしといまのおはなし〜

5年前大学生協で買ったA4のコピー用紙が未だに余っている。
卒論の準備で大量に使うはずだったのに、私は卒論を1文字も書かなかったからだ。
私はその少し厚めのコピー用紙に絵を描きながら「5年前のコピー用紙もびっくり!」なんてしょうもないことを考えている(確かに、コピー用紙くんたちは、自分がこんな使われ方をするとは夢にも思わなかっただろう)。
でもこんなしょうもないことを考えるようになったのは大学を辞めて広い世界に飛び出し、いろんな人に出会ってからで、私はそういう自分を以前より好んでいた。

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さて、私は、大学のイメージカラーが好きだった。上品なえんじ色。
オープンスクールのお手伝いをして「九州大学」のロゴ入り布巾布トートバッグをいただいたのはとても嬉しかった。
オープンスクールのお手伝いの謝礼の数千円が大学の名義で振り込まれた時よりも何倍も嬉しい。
とはいえ、そのトートバッグは、大学を辞めてから見ているのが辛くなって、早々に捨ててしまった。
大学を辞めるということは、今まで自分が着ていた服が途端に恥ずかしくなるのと同じである。
居ても立っても居られなくなって、気づいたら脱ぎ捨ててしまっているのである。
(恥ずかしい服を着ている方がましか、裸の方がましかは時と場合による)

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割と大きな大学には【入学アルバム】というものが存在する。
私は入学前「そんなの買わなくていいよ〜」と母に告げた。
「卒業アルバムで充分じゃんっ」
…あの時の私は、入学した大学を卒業することなんてたやすいと思っていた。
なんなら、卒業するだけの見込みがあるから入学できるのだと思っていた。
だから入学アルバムの購入はお金の無駄だと思って、母には要らないと言った。
でも結果的に私達は入学アルバムを購入した。
母が遠方で、福岡で行われる入学式に参加できないため、写真で雰囲気だけでも味わいたいと言ったからだ。
入学式の時、大学のカメラマンにしっかり写真を撮られたので、私は母の希望通りに入学アルバムを買ってよかったと思った。
そしてその3年半後、もっと母に感謝することになる。
私は大学を中退し、卒業不可能になり、大学の卒業アルバムには載れないことがわかった。
だから、私がカメラマンに撮られた写真は、始まりの日の一枚だけ。
その一枚が、なんとか形に残っていてよかった。
私はもうその一枚を破り捨てるほど子供ではない。
病院の入校証は割り捨ててしまったし、他のものは破壊し捨ててしまったけれど。

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実は私は、ナース服を切り刻んで保健学科棟の屋上に投げ捨ててきた。
私は、どうしても、執念深く追いかけてきた夢の終焉の証と、そばにいることはできなかった。
とはいえ、誰かが着ようと思えば着られる状態で、屋上に投げ捨てることはできなかった。
あれは、私が頑張った証で、私以外の人が着ていいものではない。
あの服は生涯私だけのものであって欲しい。
だから、私はそれを切り刻んで、もう誰も着られない状態にした。
ここまで書くと残酷な感じだが、私は当時それを実行するくらい精神を病んでいたし、あのナース服を特別に思っていた。
ナース服に初めて袖を通した日のこと、忘れない。
母に写真を何枚も撮ってもらって、いろんな人に送ったこと。
これを着て4年間頑張るんだと決意したこと。
死ぬ日が来ても忘れない。
私があそこまで何かに一生懸命になったのは初めてだった。
今日も、屋上で雨に濡れているズタズタのナース服に向かって、私は心の中で敬礼したいと思う。
私の看護への燃える魂は、保健学科棟に置いてきた。
今日もまた新しい場所で、私は鎧を着て、戦いに出る…
ナース服ではない、戦闘服で。

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