見出し画像

私の【醜形恐怖症】遍歴

醜形恐怖症をご存知ですか。
自分の顔を醜いと思っていて、それに異常なストレスを感じてしまうあまり、時には整形を繰り返すこともある病気です。

実を言うと、私は小学生の頃から、自分の顔にストレスを感じていました。

今はマスク時代ですが、マスクが当たり前でなかった時代から、私はマスクを手放せないでいました。
紙マスクだと毎日新しいものが必要で、両親に学校でマスクをしていることがバレてしまうので、給食配膳用の布マスクを(汚いのですが)毎日使って週に一回洗濯に出していました。
写真撮影の時も、頑なにマスクを外さなかったため、先生方も不審に思っていたと思います。

さて、そんな私が一度マスクを手放せたのは、小学5年生になるタイミングでの「都会→田舎」への転校でした。
田舎の学校では、単純にマスクをしている人が少なく、マスクをしている方が逆に目立ってしまったためです。
田舎では、光化学スモッグが出ることも、感染症が大流行りすることもなかったので、特に小学生くらいの子がマスクをする習慣はなかったのでしょう。

しかし、マスクを手放してしばらくしてから、私は再び自分の顔にコンプレックスを抱くようになりました。
理由は、クラスメイトの男子にからかわれたからです。
私は口元にコンプレックスがあったため、一度からかわれてからというもの、全く笑わない小学生になりました。
笑わなさすぎて「akane*を笑わせたら勝ち」というゲームが校内で流行ったほどです。
私は一年間頑なに喋らず、笑わず、「お人形」と呼ばれて過ごしました。

そんな私を変えてくれたのが、小学6年生になってから急激に仲良くなったT君です。
T君はサッカーの才能が著しく、学校を休んでまで大会に出るなど、地元では有名な小学生でした。
6年生になって、私はたまたまT君と隣の席になりました。
そして、私の席に私をからかいに来る別の男子を、T君は次々に撃退してくれました。
「そんな遊びやめろよ。馬鹿らしい。」と言ったような気がします。
それから、私はT君と喋りたくて、だんだん口を開くようになってきました。
また、当時の担任の先生が凄腕の先生で、交換日記で私の心を開かせてくれました。
そういうわけで、私は無事マスクなしで小学校を卒業しました。

それから中高は問題なく過ごし、大学は、コロナでマスク着用が要請されるまでは何事もなく過ごしました。

マスク着用が要請されてから、私はマスクが手放せないタイプの醜形恐怖症になってしまいました。
食事の時にマスクを外すのがしんどいので、マスクの隙間から食べ物を摂取していました。
ある日、社会人になってからの友人とご飯中に「akane*は口元にコンプレックス抱いてるよね?」とハッキリ聞かれました。
その友人は正直者だよな…でもそれくらい私の行動には違和感があるんだろうな、と思いハッとさせられました。
その時私がマスクを外さなかったのは「すっぴんだったから」という理由もあったのですが、同時にすっぴんを見せられなくなった自分にも違和感を覚えました。高校生の時はすっぴんマスクなしだったのに、いつからか「すっぴんは醜い」と社会から思わされていたんだな、と感じました。
けれどその人は「僕もすっぴんだからakane*がすっぴんでも気にしなくてもいいよ」と言ってくれる人でした。
なので、何回かすっぴんのシチュエーションがあったのですが、ご飯に行っています。
今では「もうakane*のすっぴん見慣れたけん大丈夫」とも。
その正直者の友人は、もう私を顔で差別しないと分かっているので、安心して素顔を見せられる気がしています。
私にとっては数少ない大切な友人です。

そして私の恋人は、すっぴんだろうがなんだろうが、いついかなる時も「かわいい、かわいい」と言ってくれます。
そんな彼のおかげで自尊心が回復していることは否めません。

よく考えてみると、私を醜形恐怖症にしたのも、快方に向かわせたのも、人の言動だということがわかります。
でも本当は、誰に何を言われても「自分はもう自分でいいんだ」と、可愛くても可愛くなくても自信を持っていればよかったんですね。
時には、人の言葉や行動を借りながらでいい、でも少しずつ自分に自信をもって、この病を完全に克服できたらな、と思いました。

まだ不完全なakane*より

この記事が参加している募集

最近の学び

この経験に学べ

よろしければ、記事を書く足しにしますので、サポートお願いします🎶