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長野マラソン2024 悔しい結果


目標

サブ3.5

記録

グロスタイム 4:27:35
ネットタイム 4:24:30

目標が失敗した理由

・小出監督の重い足を作って失敗した?
 (木曜と金曜のトレーニングの負荷が強い?疲労が抜けなかった?)
・当日の寝不足による体力回復不足。
・前日寝れなくて、なんとか寝るために、足に力を入れて緩ませる自衛隊の入眠法を何度も試したから?
 (前ももを使ってしまいやすい状態になっていた?)
・大会直前の事前のストレッチ不足(バタバタしていた)
・事前に、整骨院に行って疲労を抜くべきだった。

こうして書き出すと、一概にこれだからダメだったとは言えないと思った。
次回のチェックリストになるので勉強になる。

時系列

大会前

小出監督の本を読み、重い足を作る作戦で挑んだ。
後半まで体力を残さないとダメだと思い、木、金、土と走った。

行きの電車から会場まではランナーだらけだった。
5人ぐらいの方に話しかけ、ずっと話して会場まで向かった。
遠方から来ている方もいれば、篠ノ井の方までいろんな場所から参加していることを知った。
同じランナーと話せるのは、面白かった。

大会中

同じランニングクラブのメンバーの人のTシャツを見つけたら、声を掛け合って走った。

0~5キロ 善光寺

5:05ペースよりも少し遅いペースだった。
最初は混み合っているから、思うようなペースで走れず仕方ない。
アップも兼ねているから、気持ち遅いけど、許容範囲だと思っていた。
長野マラソンゲストランナーのLOL Run Crewの方と会話しつつ、走った。
楽しかった。

会社の人発見、なんとか通じ合った。
グラシネの通りで若干の横腹の痛み。でも、まだ大丈夫。

野球部の少年たちのハイタッチの応援が嬉しかった。

5~10キロ 長野駅前

喉が渇き、給水。
この後の給水も、ほぼ全て給水した。

中御所に、知り合いが住んでいるらしいから、目で応援の人を探していた。無駄な動きだった。
もっと、自分の走りに集中すべきだった。
どうしても、地元だと応援する人を探してしまう。
期待をしてしまう。

善光寺からの下りスピードは出せたけど、焦りは禁物と、心がけた。


10~15キロ ビッグハット

次の給水地点を探した。
今回の大会Tシャツを着ているランナーが多く、次の給水の目印にもなった。
Tシャツのデザインはとても良いと思った。
デザイン的にいい感じだと思うし、地図としても活躍していて、背中で教えてくれて助かった。

母袋のエリアが狭くて、嫌だった。
ユニクロからサンマリン付近まで道が狭く、全く抜けない。
多くのランナーがひしめき合って、落ち着かなかった。
ワキガのような苦い匂いの人の後ろにつくのが、きつい。
道路もボコボコしていた。足は取られなくて良かった。

15~20キロ エムウェーブ

ハリーさんを見かけた。
しのランさんを見つけ、お互いに声がけができて嬉しかった。

五輪大橋ぐらいから、両前もものハリが強くなってきた感じがした。
30キロ走を練習したときの18キロ地点と違う。とても重い。
これが重い足かと思っていた。
まだ、納得していた。こんな状況で最後まで行けるのかなと不安だった。
でも、これが小出監督の狙っている重い足だと思っていた。


20~25キロ ホワリン 家族の応援

妻と妻の両親の応援。
この辺りで、もう結構疲れていた。
なんか練習の時と違う。
なんでだろう。
昨夜寝れなかったから?

妻と妻の両親の応援の位置が指定した位置と違って、イライラしてしまった。
怒ったって意味ないのに。
応援してくれているだけで嬉しいはずなのに。

要望を何度も伝えたのに、伝わっていなくて腹が立ってしまった。
応援する位置にいないと、私は、不安になるし、周辺を探さないといけないから無駄なエネルギーを使いたくなかった。

ホワリンで足に冷却スプレーしても変わらなかった。
LOL Run Crewのイベントで知り合った方が話しかけてくれた。
その人もキツそうだった。
でも、諦めたくなかった。

25~30キロ 土手ゾーン

あまり覚えていない。
足の張りが強まりつつあった。
本当に最後まで持つのか、不安になっていた。
体力を残すはずのペースの走りなのに、残っている感じがしない気がした。

30~35キロ ふたこぶラクダ後、足止まる

ふたこぶラクダがめっちゃキツかった。
これは、練習と全く違ってびっくりした。
何このキツさ。

足が張っているから、とてもきつく感じたんだろう。
悲鳴を上げた。

ふたこぶラクダを超えると、スピードが出せた。
松代PAエリアから、30キロからスピードを出していくという作戦なので、「今だっ!」と思いアクセルを踏み始めた。
足が超重いけど、このまま行くと徐々にほぐれて、いい感じで最後まで持つんだと思っていた。
「足が壊れてもいいからこのペースで最後まで行け~」と思うペースにギアを上げた。
しばらくは走れた。
しかし、長くは続かなかった。


赤坂橋の先に待っていた高橋尚子さんとハイタッチして、1~2キロぐらい走った33キロ地点から全く走れなくなった。
自分でも、びっくりした。
練習の30キロ走でも、もう少しは走れる体力残っていたぞ。

もしかすると、ふたこぶラクダのダメージがここに来たのか?

思うように走れず、とにかく悔しかった。
ひたすら、「ちくしょう、くっそー、あ~」と言っていた。
これを永遠に繰り返していた。
ランニングクラブの練習でも、中盤からペース走についていけなくなる事が何度もあった。
実力差を思い知る、嫌な思い出。
私だけ遅れる光景。
また、この光景をみるのかと思った。
とても悔しい。

止まった足について
村上春樹さんが”走ることについて語るときに僕の語ること”で
「止まっても再び動き出すためゆっくり、ゆっくり慣らしてからエンジンをかける」と言っていた。
とてもじゃないけど、再び動き出せなかった。
仮に、動き出したとしたら、今よりも症状が悪化したんじゃないかな。
歩く選択肢は、間違いではないと思った。
そうやって、歩いている自分を無理やり納得させていたのかもしれない。


土手で座って応援しているおばあちゃんが歩いている私を見かけて「無理しないでね」と言ってくれた。
優しさを感じた。
一番その言葉が適切な応援だと思った。


岩野橋で足に冷却スプレーした。
でも、変わらなかった。
ここまで前太ももがガチガチに固まってしまうと、冷却スプレーをしても意味ない気がした。

35~40キロ 土手ゾーン(消防学校)

走れないので、なるべく早足で歩いていた。

1回目のトイレ
足が動かず、仮設トイレの段差がきつかった。
練習では22キロぐらいでトイレに行っていたので、意外とトイレ行かなくても持つなと思っていた。もしかすると、走れていたら、トイレ行かなくても完走できたのかもしれない。


雨が降ってきた。
泣きっ面に蜂かと思った。
つらかった。
雨が小雨のうちになるべく距離を稼ごうと思った。

ゴール地点のオリスタには、母が待っている。
母には、ゴールは3時間半ですると宣言していた。
その後、帰宅して、妻と母と3人で食事をする予定を立てていた。
この時点で3時間半は過ぎていた。
母さんをだいぶ待たせている。
雨の中待たせて申し訳ないと思った。

ランナーサポートの人が声をかけてくれた。
途中棄権も考えた。
でも、沿道の方の応援で「まだ歩いてゴール出来る時間だよ」と聞こえた。
歩いてゴールしようと思った。


リタイヤするにしても、制限時間アウトのバスに拾われるには、それまで待つのが長いだろうし。
お昼を自宅で食べるのも、順調に走れたらの話だ。
ゴール地点に応援する人を待たせている場合、順調に行かない際は、簡単に辞めれないと思った。
ある意味、ゴールに応援してくれる人がいるから、もう一踏ん張りできたと思う。

40~ゴール

今は無き、フローリアの場所でQちゃん集団に追いつかれた。
高橋尚子さんから「青いTシャツのお兄さん、一緒に走りましょう」と応援してもらった。
嬉しかった。
なぜか、周りのランナーの笑いもあった。
マジでムリだった。限界は超えている。
というか、走れるなら走りたい。
それが無理だから、歩いているんだけど。

おそらく、人によっては、限界の一歩手前の人もいるのかもしれない。
そんな人たちが集まって、集団になって走っていた。
高橋尚子さんは、学校の先生みたいだと思った。
一緒に走ってくれるのは、とてもありがたい存在。


母さん発見。なんとかギリギリ見つけれた。

大会後

母と合流し、なかなか進まないバスの車内でこのメモを書いている。
思うようにいかないのは、仕方ない。

重い足を作ったは良いものの、回復が出来ないと、意味がない。
作戦が2つの意味で足を引っ張ってしまった。
軽い足だったら、結果はどうだったんだろう。
思うように進まなかった。
上級者向けのプランなのかなと思った。
ただ、後半型の走りの意識は正しいと思った。

ペースは、悪くなかった。
これが、実際のマラソンなのかと思い知った。
初マラソンサブ3.5狙いの話をするとすごいと驚かれたが、体力がちゃんと回復出来ていたら、達成できるポテンシャルはあると思う。


感想

色んな人に応援してもらった。
ゴールしたら、申し訳ない、不甲斐ないって思って、泣くのかなと思った。
涙は出なかった。
何でだろう。
達成感がないから。
これに尽きるかも。
悔し涙も出ないのか。
辛いな。泣けないけど、泣きたい。


サブ3.5の力があるはずなのに、本来の力が発揮出来なかった。
悔しいから、何度も自分に言い聞かせている。
言い訳だ。
これも実力の結果。
次こそはトラブルなく、走ってみたい。

ポジティブに考えてみる
今までの最長記録が32キロだった。
最終的には、42キロ移動したのは、すごいと思った。
歩いてでも制限時間内で、完走できて良かった。

その他

ゼッケンの位置が下過ぎて、指先に当たることがあったので、もう少し上の方が良いと思った。
しかし、チームTシャツが隠れてしまうので、何とも言えない。

大会後の食事について
はじめてで、ご飯何を食べたらいいかわからない。
妻にスーパーの寿司を要望していた。
しかし、寿司は違った。
全然食べれない。
固形物が受け付けなかった。
ゴール後は、おかゆでいいと思った。


応援してくれる時に嬉しいポイント。
Tシャツに書いてあることを言ってくれる人。
ただ頑張ってというより その人に向けた言葉だと思ったので嬉しかった。



応援してくれた妻や母の視点
・最後歩いてでも、ゴールできたのは凄いことだと言ってくれて嬉しかった。
・お祭りみたいで楽しいと言ってくれて嬉しかった。


次回、応援の際の対策
・空気がパンパンに張っている鳴り物を用意する。 手の負担が少ないから。
母さんは声を出しての応援は恥ずかしいと言っていた。
ずっと拍手していたらしいが、疲れて、手が痛いと言っていた。

母のトラブル
・母は、私のような服装で同じ様な人いて、探すのに目が疲れたと言っていた。
しかし、2人とも私を見つけることはできた。
肌の白さで見つけたらしい。
肌の白さが私のトレードマークだ。
見つけやすい なら何より。


早く次のフルマラソンでリベンジしたい。
こんな実力じゃないって、他の人に証明したい。
前回のハーフマラソンも大会前に故障。
今回は大会中に故障。
うーん。次こそ、故障せず、走り抜きたい。



トラブルだらけの初マラソン。
うまくいかないことだらけ。
学びは多い。
面白かった。
早くもリベンジしたい。
松本マラソン申し込んだ。
リベンジだ!


松本マラソンは、重い足を作るのはやめる。
ちゃんと疲労を抜く。


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