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第130講 大戦後のヨーロッパ


130-1 国際協調と軍備縮小

ヴェルサイユ体制下の国際協調

 当初不安定だったヴェルサイユ体制も、1923年以降の西欧経済の回復とソ連の政策転換(戦時共産主義から新経済政策へ)を背景に安定していき、国際協調の気運が生まれた。

 1922年、ドイツとソヴィエト=ロシアの間で1)ラパロ条約が結ばれて両国の国交が再開され、1924年から翌年にかけてアメリカ合衆国を除く列強がつぎつぎとソ連を承認した。

 1923年に行われたフランスとベルギーによる2)ルール出兵は失敗し、1924年の3)ドーズ案がドイツの賠償支払いに道筋をつけて、独仏は対立から協調に転じた。

 1925年4)ロカルノ条約が結ばれ、ヨーロッパの集団安全保障体制が成立した。英・独・仏・伊・ベルギー・ポーランド・チェコスロヴァキアの7か国が、スイスのロカルノで会議を開き、ドイツ西部国境の現状維持と不可侵、ラインラントの非武装を確認した。フランスとチェコスロヴァキア、ポーランドそれぞれの相互援助条約など、一群の条約を含めてロカルノ条約と総称する。

 ロカルノ条約成立の立役者、ブリテンのオースティン=チェンバレン外相には1925年、ドイツのシュトレーゼマン外相、フランスのブリアン外相には翌26年にノーベル平和賞が授与された。

 ロカルノ条約締結によりドイツは翌1926年、5)国際連盟加盟が認められた(1933年脱退)。

 1928年に国策遂行の手段としての戦争の放棄を誓った6)パリ不戦条約7ケロッグ・ブリアン協定)が結ばれ、国際協調は頂点に達した。

軍備縮小

 大戦の反省から、軍備の縮小が重要な課題とされ、海軍の軍備制限が実現した。

 海軍の軍縮が議論され、1922年の8)ワシントン海軍軍縮条約(合衆国共和党ハーディング大統領主催)で主力艦保有トン数の比率を英・米・日・仏・伊それぞれ5:5:3:1.67:1.67とした。*全権をつとめた加藤友三郎は帰国後、首相となった。

 1927年ジュネーヴ軍縮会議が失敗に終わった後、1930年の9)ロンドン海軍軍縮会議(ブリテン労働党10)マクドナルド内閣主催)で補助艦保有トン数比率を英・米・日それぞれ10:10:6.975とした。

MEMO:浜口雄幸内閣は統帥権干犯として責められ、浜口首相は東京駅で狙撃された!*金本位制復帰も行なった。

130-2 連合王国とフランスの再編

ブリテンの政治

 第四回と第五回の選挙法改正が行われ、選挙権が拡大する中、中道の自由党が衰退し、右派の保守党と左派の労働党による二大政党時代が到来した(1923- 37をボールドウィン1マクドナルド時代という)。

 大戦中の第4回選挙法改正で新たに選挙権を得た労働者を背景に、1923年の総選挙で第二党となった労働党が、翌年自由党と連立してはじめて政権につき、第1次1)マクドナルド内閣(1924)が成立した。この労働党内閣は、2)ソ連を承認し社会政策をすすめたが、短命に終わった。

 続く保守党3)ボールドウィン内閣(第一次任1923~24、第二次任1924〜29、第三次1935〜37)のもとで1928年行われた4)第五回選挙法改正では、21歳以上の男女に選挙権(参政権)が認められた。

 1929年の総選挙では労働党が第一党となり、第二次5)マクドナルド内閣が成立した。

大英帝国の再編

 英国の自治領や植民地でも、自治権の拡大要求や民族運動がおこった。

 戦後6)シン=フェイン党によるアイルランド独立運動がはげしくなると、北部の7)アルスター地方(北アイルランド)を除くアイルランドに自治権を認め、1922年自治領8)アイルランド自由国が成立した。1937年独立運動の指導者9)デ=ヴァレラが新憲法を制定して主権をもつ独立国家を宣言し、10)エール(アイルランド)と称した。デ=ヴァレラは合衆国出身、独立後首相・大統領を務めた。

 大戦で本国に協力した各自治領には、1926年の11)ブリテン帝国会議で本国と対等の関係を認め、12)英連邦(ブリティッシュ・コモンウェルス)を組織した。イギリス連邦は1931年の13)ウェストミンスター憲章によって法制化された。

左右に揺れるフランス

 戦後、フランス第三共和政の政治は左右に揺さぶられた。

 MEMO:フランスはいつも左右に揺れる!

 ロシア革命で帝政ロシアに対する莫大な債権を失ったフランスのクレマンソー内閣は、対ソ干渉戦争に加わり、パリ講和会議でドイツに過大な賠償を要求した。

 次の14)ポワンカレ右派内閣(任1922-24)は、1923年ドイツの賠償金不履行を口実にベルギーを誘って15)ルール占領を強行したが、失敗した。

 続く16)エリオ左派連合政権(任1924~26)は、外相に17)ブリアンを起用し、18)ソ連を承認(1924)した。ブリアンは1926年ノーベル平和賞を受賞した。

 ブリアン外相はドイツとの協調をはかり,1925年、19)ルールから撤兵し、20)ロカルノ条約(1925)に調印した。1928年には合衆国の国務長官ケロッグと協力して21)パリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)を成立させた。

MEMO:ブリアンはサンディカリスト→社会党→急進社会党という経歴の持ち主。



130-3 ドイツとイタリアの再編


ヴァイマル共和国

 ドイツでは、1919年2月に中部の小都市1)ヴァイマルで国民議会が開かれ,社会民主党の2)エーベルトが初代大統領に選出され,8月に3)ヴァイマル憲法が制定された。この時期の共和政ドイツを4)ヴァイマル共和国ともいう。

 左派社会民主党が主導して制定した憲法は、成年男女の普通選挙・労働者の団結権・経営参加権を認めた、当時もっとも民主的な憲法といわれたが、大統領に非常大権を認めていた(5)大統領緊急令)。

 共和国は当初、左右両派の蜂起にみまわれたうえ、多額の賠償金に苦しみ、1923年には賠償支払いの遅延を口実にしたフランスとベルギーに工業地帯のルールを占領された(6)ルール占領)。ドイツはストライキなどの「消極的抵抗」で対抗したため、経済が破綻し、空前のインフレーション(インフレ)がおこった。*子どもが札束を重ねて遊ぶ写真はこのときのもの。

 1923年に成立した7)シュトレーゼマン内閣は、ルールでの抵抗を中止し、土地財産などを担保に新紙幣(8)レンテンマルク)を発行して、インフレを収束させた。

 シュトレーゼマンは外相として協調外交に努め、1924年9)ドーズ案を成立させて合衆国資本の導入に成功し、25年10)ロカルノ条約を結んで、26年11)国際連盟への加盟を実現した。

 内外情勢が安定していくとともに保守派が復活し、1925年には第一次世界大戦で活躍した将軍12)ヒンデンブルクが大統領に当選した。

ドイツの賠償問題


 ドイツの賠償問題は迷走し、最終的に不払いとなった。

 1924年の13)ドーズ案は、合衆国の財政家ドーズを中心に作成された新賠償方式で、賠償額は当初の1320億金マルクのままにして支払い期間を延長するというもの。

MEMO:合衆国は英仏に戦債を貸し付けていた。合衆国がドイツに融資し、ドイツが賠償金を英仏に支払い、英仏から戦債を回収した。

 賠償額は1929年の14)ヤング案で軽減された。

 世界恐慌でドイツの賠償金支払いが困難になると、1931年合衆国大統領15)フーヴァーは支払いを1年間停止する16)フーヴァー=モラトリアムを出した。

 1932年17)ローザンヌ会議で賠償額は30億金マルクに減額され、1933年ヒトラーが踏み倒した。

ファシズム政権

 イタリアでは右派が武力で政権を握りファシズム政権が成立した。

 イタリアは戦勝国であったが18)フィウメの領有が認められず、ヴェルサイユ体制に不満をいだいた。

 戦後イタリアでも、変革を求める労働者や農民の運動が高揚した。1920年におこった19)北イタリアのストライキではストライキや工場占拠が広がったものの、資本家側の譲歩で解決した。同年社会党から分離した左翼がコミンテルンの支援でイタリア共産党を結成、左翼の動きが活発になった。

 こうしたなか、左派の農民運動や労働運動を暴力で破壊する右翼の行動隊があらわれ、1921年20)ムッソリーニはそれらをまとめて21)ファシスト党 (「束ねる」の意)を組織した。

 ファシスト党は、R地主やS資本家やM都市中間層の支持を得て急速に勢力をのばし、1922年に「22)ローマ進軍」と称する大示威行進を展開した。

 政府は戒厳令でおさえようとしたが、国王は強力な政府の出現を期待しムッソリーニに組閣を命じた。

 ムッソリーニ率いるファシスト党は、大衆を動員し、共産主義・社会主義だけでなく議会制民主主義をも攻撃し、ナショナリズムを武器とし国民を束ね、強力な国家の実現を主張した。このような政治的立場を23)ファシズムと称する。

 ムッソリーニは、ファシスト党に有利な選挙法を採用し、1926年24)一党独裁体制を確立した。

 1928年ファシスト党の最高議決機関25)ファシズム大評議会が国家最高決議機関となった。

 対外的にはセルブ=クロアト=スロヴェン王国(ユーゴスラヴィア王国)領とされた26)フィウメを1924年併合し、27年には27)アルバニアを保護国化した。さらに教皇庁とは1929年に28)ラテラノ条約を結んで、ヴァチカン市国の独立を承認し、1870年の教皇領併合以来の不和を解消した。



重要語句


130-1

  1. ラパロ条約:1922年にドイツとソビエト連邦との間で締結された条約。第一次世界大戦の戦後処理から排除されていた両国が互いに友好的な関係を築くために締結された。外交的孤立からの脱出と戦前の債権放棄をもたらした。

  2. ルール出兵:1923年、ヴァイマル共和国が第一次世界大戦の賠償金の支払いを停止した際に、フランスとベルギーが行った出兵行為。ドイツの主要産業地域であるルール地方を占領し、賠償金の代わりに直接商品を取り立てようとした。

  3. ドーズ案:1924年に提出されたドイツの賠償金問題を解決するための方案。合衆国のドーズが提案し、ドイツの賠償金支払いを一定の計画に基づき再スケジュールした。

  4. ロカルノ条約:1925年に締結された一連の複数の条約。ドイツ、フランス、ベルギー、イタリア、ブリテンの間で、西部国境の不可侵と相互保障が約束され、ドイツが西方国境を変更しないことを約束した。

  5. 国際連盟加盟:1926年にドイツが国際連盟に加盟した。これにより、ドイツは国際社会に復帰し、外交的な孤立状態から脱出した。

  6. パリ不戦条約:1928年に27か国が締結した条約で、別名ケロッグ・ブリアン協定とも称される。この条約は、戦争の放棄と平和的解決を約束するもので、後の多くの国際的な平和条約の基礎となった。

  7. ケロッグ・ブリアン協定:別名パリ不戦条約。1928年に締結され、国際紛争の解決方法として戦争を放棄し、平和的手段を採用することを約束したもの。

  8. ワシントン海軍軍縮条約:1922年に締結された条約。主にブリテン、アメリカ、日本、フランス、イタリアの5カ国が参加し、主力艦の保有比率を定め、海軍力の均衡と軍縮を図った。

  9. ロンドン海軍軍縮会議:1930年に開催された海軍軍縮に関する国際会議。主にブリテン、アメリカ、ネーデルラント、フランス、イタリアが参加し、潜水艦や駆逐艦などの艦艇の数を制限し、国際的な平和と安定を維持しようとした。

  10. マクドナルド:マクドナルドは、1924年と1929年から1935年までブリテンの首相を務めた。労働党出身で、ブリテンの首相としては初めての労働党出身者であり、国際連盟の理想を支持し、国際紛争の平和的解決を目指した。


130-2

  1. マクドナルド:マクドナルドは、ブリテンの労働党出身で、1924年と1929年から1935年までの2期にわたってブリテンの首相を務めた。彼は労働者の権利向上を訴え、ブリテンの社会改革を推進した。

  2. ソ連を承認:1924年にマクドナルド首相下のブリテン政府がソビエト連邦を国家として正式に承認したこと。

  3. ボールドウィン:スタンリー・ボールドウィンは、保守党出身で、1923年-1924年、1924年-1929年、1935年-1937年の3回にわたってブリテンの首相を務めた。

  4. 第五回選挙法改正:1928年に行われた選挙法改正で、21歳以上の全ての女性に投票権が付与され、男性との選挙権に平等性がもたらされた。

  5. マクドナルド:(上記1.マクドナルドを参照)

  6. シン=フェイン党:アイルランドの政党で、アイルランド全体の統一とアイルランドの独立を主張している。1919年から1921年までアイルランド独立戦争を指導した。

  7. アルスター:アイルランド島北東部の地域で、現在はブリテンの一部となっている北アイルランドを構成する。

  8. アイルランド自由国:1922年から1937年まで存在した、アイルランド島南部26県の自治領。イギリス連邦の一員だったが、内政は独立していた。

  9. デ=ヴァレラ:アイルランドの政治家で、アイルランド独立戦争とアイルランド内戦の重要な人物。後にアイルランド自由国とエール(アイルランド)の首相を務めた。

  10. エール(アイルランド):1937年の憲法制定により、アイルランド自由国から国名を変更したアイルランドの公式名称。

  11. イギリス帝国会議:ブリテン及びその自治領、植民地の代表者が参加する会議。自治領の自由と平等を認識し、帝国の枠組み内での協力を模索した。

  12. 英連邦(ブリティッシュコモンウェルス):1931年に制定されたウェストミンスター憲章により形成された、ブリテンとその旧植民地が自由に加盟する国家連合。

  13. ウェストミンスター憲章:1931年に制定された法令で、英連邦を形成する各自治領の立法的な独立を認め、彼らの国際的な地位を明確にした。

  14. ポワンカレ右派内閣:1922年から1924年、1926年から1929年にかけてフランスの首相を務めたポワンカレの内閣は、対ドイツ強硬策や金本位制の復帰などを推進した。

  15. ルール占領:1923年にフランスとベルギーが行った、ドイツの主要な工業地域であるルール地方の占領。これはドイツがヴェルサイユ条約に基づく賠償金の支払いを遅らせたことに対する制裁行動だった。

  16. エリオ左派連合政権:フランスの社会主義者エドゥアール・エリオが率いた左派連合政権。彼の内閣は経済の安定化や国際的な協調政策を進めた。

  17. ブリアン:ブリアンは、フランスの政治家で、11回の内閣を組織した。彼の外交政策は平和主義に傾いており、特に国際連盟の設立に大きな役割を果たした。

  18. ソ連を承認:エリオ政権下の1924年にフランスがソビエト連邦を国家として正式に承認したこと。

  19. ルールから撤兵:1925年に行われた、フランスとベルギーによるルール地方からの撤退。これはドーズ案の一部として行われ、ドイツの経済回復とヴェルサイユ条約に基づく賠償金支払いの再開を可能にした。

  20. ロカルノ条約:1925年にドイツ、フランス、ベルギー、ブリテン、イタリアの間で結ばれた一連の条約。ドイツの西部国境が確定され、ドイツのヴェルサイユ体制への積極的な参加を示すものだった。

  21. パリ不戦条約:1928年に結ばれた、戦争を「国家政策の手段として」禁止した条約。もともとはフランス外相ブリアンとアメリカ国務長官ケロッグの間で提案され、後に多くの国が加盟した。


130-3

  1. ヴァイマル: 1919年から1933年までのドイツの歴史を指し、ドイツ帝国の終焉とナチス・ドイツの成立の間の期間です。名前は、1919年に新しい憲法が制定されたドイツの都市ヴァイマルから来ています。

  2. エーベルト: エーベルトは、ヴァイマル共和国の初代大統領(1919年 - 1925年)で、ドイツ社会民主党の指導者でした。

  3. ヴァイマル憲法: 1919年に制定された、ヴァイマル共和国の憲法です。基本的な人権を保障し、議会制民主主義を確立しましたが、大統領に強大な権力を持たせる規定も含まれていました。

  4. ヴァイマル共和国: 1919年から1933年までのドイツの共和国政体を指します。この時期は社会、政治、経済の面で混乱が続き、最終的にはナチスの台頭につながりました。

  5. 大統領緊急令: ヴァイマル憲法に基づく大統領の権限で、議会の承認なしに法令を発することができました。この権限は、1930年代の政治的混乱の中でしばしば行使されました。

  6. ルール占領: ヴェルサイユ条約に基づく賠償金の支払いをドイツが遅滞したため、1923年にフランスとベルギーがルール地方を占領しました。この行為はドイツ経済に深刻な打撃を与え、ヴァイマル共和国の不安定化を加速させました。

  7. シュトレーゼマン: ヴァイマル共和国期のドイツの政治家で、外交政策における実質的なリーダーでした。彼の指導の下、ドイツは一連の国際的な協定を通じて戦後の外交的孤立から脱出しようとしました。

  8. レンテンマルク: 1923年のハイパーインフレーションを終わらせるためにドイツが導入した新通貨です。

  9. ドーズ案: 1924年に提出されたこの案は、ドイツの戦争賠償金の支払い問題を解決するためのもので、支払いをより現実的なレベルに減らすことを提案しました。

  10. ロカルノ条約: 1925年に締結された一連の国際協定で、ドイツ、フランス、ベルギー、イタリア、ブリテンがドイツの西部国境を承認し、相互の侵略を放棄した。

  11. 国際連盟: 1920年に設立された国際的な組織で、世界平和と国際協力を促進することを目指していました。

  12. ヒンデンブルク: パウル・フォン・ヒンデンブルクは、ヴァイマル共和国の大統領(1925年 - 1934年)で、最終的にはヒトラーを首相に任命しました。

  13. ドーズ案: (上記の9と同じ)

  14. ヤング案: 1929年に提出されたこの案は、ドイツの戦争賠償金の最終支払い計画を提供しました。

  15. フーヴァー: フーヴァーは、1929年から1933年までアメリカ合衆国の大統領を務めた。彼の任期中に大恐慌が始まりました。

  16. フーヴァー=モラトリアム: 1931年、フーヴァー大統領は一年間ドイツの戦争賠償金の支払いを停止することを提案しました。これは世界的な経済危機を緩和する試みでした。

  17. ローザンヌ会議: 1932年に開催され、ほとんどの戦争賠償金の支払いを終了することが決定されました。

  18. フィウメ: 1919年から1924年までの間、イタリアの詩人で政治家のガブリエーレ・ダンヌンツィオによって占領され、後にイタリアに併合されたアドリア海の都市です。

  19. 北イタリアのストライキ: 1922年、イタリアの労働者が大規模なストライキを行いました。これはムッソリーニのファシスト党が支持を得る契機となりました。

  20. ムッソリーニ: ベート・ムッソリーニは、1922年から1943年までイタリアを統治した独裁者で、イタリアのファシスト党の創設者および指導者でした。

  21. ファシスト党: 20世紀初頭のイタリアで成立した政治組織で、国家主義、権威主義、社会ダーウィニズム、反共産主義などを主張しました。その指導者であるムッソリーニの下、党は1922年に権力を握り、イタリアをファシスト政権下で統治しました。

  22. ローマ進軍: 1922年、ムッソリーニが指導するファシスト党の「黒シャツ」と呼ばれる党員たちはローマに行進し、これが政権奪取のきっかけとなりました。

  23. ファシズム: 20世紀初頭のイタリアで生まれた政治思想で、国家主義、権威主義、一党独裁制などを特徴とします。ムッソリーニが率いるファシスト党によって体現され、その後、世界各地の全体主義体制に影響を与えました。

  24. 一党独裁体制: 一つの政党が絶対的な権力を握り、他の政党の存在を許さない政体を指します。ムッソリーニのイタリア、ヒトラーのドイツなどが例として挙げられます。

  25. ファシズム大評議会: イタリアのファシスト党内における最高意思決定機関。様々な社会勢力からの代表者で構成され、党の方針を決定しました。

  26. フィウメ: (上記の18と同じ)

  27. アルバニアを保護国化: ムッソリーニが率いるイタリアは1939年にアルバニアを侵略し、その後、同国を保護国化しました。

  28. ラテラノ条約: 1929年にイタリアとローマ教皇庁との間で結ばれた条約。イタリアはヴァチカン市国の存在を認め、教皇領の1870年の併合以来の対立を解消しました。


練習問題130-1 国際協調と軍備縮小

問題:

  1. 1922年にドイツとソヴィエト=ロシアの間で結ばれた条約の名前は何か?

  2. 1923年にフランスとベルギーによって行われた出兵の名前は?

  3. 1924年にドイツの賠償支払いに道筋をつけた案の名前は何か?

  4. 1925年に結ばれ、ヨーロッパの集団安全保障体制が成立した条約は?

  5. ロカルノ条約締結後、どの国が1926年に国際連盟への加盟が認められたか?

  6. 1928年に戦争の放棄を誓った条約の名前は?

  7. パリ不戦条約の別称は何か?

  8. 1922年に海軍の軍縮が議論された条約の名前は何か?

  9. 1930年に行われた海軍軍縮会議の名前は?

  10. 1930年のロンドン海軍軍縮会議を主催したブリテンの内閣名は?

解答:

  1. ラパロ条約

  2. ルール出兵

  3. ドーズ案

  4. ロカルノ条約

  5. ドイツ

  6. パリ不戦条約

  7. ケロッグ・ブリアン協定

  8. ワシントン海軍軍縮条約

  9. ロンドン海軍軍縮会議

  10. マクドナルド内閣

練習問題130-2 連合王国とフランスの再編

問題

  1. 第四回と第五回の選挙法改正の時代をどの二人の指導者の名前を組み合わせて称するか?

  2. 第1次労働党内閣で、どの国を正式に承認したか?

  3. 1928年に行われた選挙法改正で、誰の内閣の下で実施されたか?

  4. 1928年に実施された選挙法改正は第何回選挙法改正か?

  5. 1924年に成立した労働党初の政権の首相は誰か?

  6. アイルランド独立運動を主導した党は?

  7. アイルランドの自治権を認められなかった地域は?

  8. 1922年に成立したアイルランドの自治領は?

  9. 1937年にアイルランドの新憲法を制定した指導者は?

  10. デ=ヴァレラが宣言した独立国家の名前は?

  11. 1926年に行われた会議は?

  12. 1926年の会議で組織された連合体は?

  13. イギリス連邦を法制化した憲章は?

  14. 1923年、ドイツの賠償金不履行を口実に行動を起こしたフランスの内閣は?

  15. ポワンカレ右派内閣が1923年に行った行動は?

  16. 1924年にフランスの政権を執った連合政権は?

  17. エリオ左派連合政権で外相に起用されたのは?

  18. エリオ左派連合政権が1924年に承認した国は?

  19. 1925年にブリアン外相が行った行動は?

  20. ブリアンが1925年に調印した条約は?

  21. 1928年に成立させた国際的な協定は?

解答

  1. ボールドウィン=マクドナルド時代

  2. ソ連

  3. ボールドウィン内閣

  4. 第五回

  5. マクドナルド

  6. シン=フェイン党

  7. アルスター地方(北アイルランド)

  8. アイルランド自由国

  9. デ=ヴァレラ

  10. エール(アイルランド)

  11. ブリテン帝国会議

  12. 英連邦(ブリティッシュ・コモンウェルス)

  13. ウェストミンスター憲章

  14. ポワンカレ右派内閣

  15. ルール占領

  16. エリオ左派連合政権

  17. ブリアン

  18. ソ連

  19. ルールから撤兵

  20. ロカルノ条約

  21. パリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)


練習問題130-3 ドイツとイタリアの再編

問題:

  1. 1919年2月にどの都市で国民議会が開かれたか?

  2. 社会民主党の誰が初代大統領に選出されたか?

  3. 1919年8月に何が制定されたか?

  4. 1919年から1933年までの共和政ドイツを何ともいうか?

  5. ヴァイマル憲法で大統領に認められていた非常に強い権限は何か?

  6. 1923年、フランスとベルギーが何を占領したか?

  7. 1923年に成立した内閣は何か?

  8. インフレを収束させるために発行された新紙幣は何か?

  9. 1924年に成立させた合衆国資本の導入を意味する案は何か?

  10. 1925年に結ばれた条約は何か?

  11. 1926年にドイツが加盟した国際組織は何か?

  12. 第一次世界大戦で活躍し、1925年に大統領に当選した将軍は誰か?

  13. 1924年の新賠償方式は何と呼ばれるか?

  14. 1929年に賠償額を軽減した案は何か?

  15. 1931年の合衆国大統領は誰か?

  16. この大統領が支払いを1年間停止することを宣言したものは何か?

  17. 1932年の会議で賠償額が30億金マルクに減額されたのはどの会議か?

  18. イタリアがヴェルサイユ体制での領有が認められなかった場所はどこか?

  19. 1920年にイタリアでおこった大規模なストライキはどこで発生したか?

  20. 1921年に右翼の行動隊をまとめて組織した人物は誰か?

  21. ムッソリーニが組織した党は何か?

  22. ファシスト党が1922年に展開した大示威行進は何と称されるか?

  23. ムッソリーニの政治的立場を表す言葉は何か?

  24. 1926年にムッソリーニが確立した体制は何か?

  25. ファシズム党の最高議決機関は何か?

  26. イタリアが1924年に併合した場所はどこか?

  27. イタリアが1927年に保護国化した国はどこか?

  28. イタリアと教皇庁との間で1929年に結ばれた条約は何か?

解答:

  1. ヴァイマル

  2. エーベルト

  3. ヴァイマル憲法

  4. ヴァイマル共和国

  5. 大統領緊急令

  6. ルール占領

  7. シュトレーゼマン内閣

  8. レンテンマルク

  9. ドーズ案

  10. ロカルノ条約

  11. 国際連盟

  12. ヒンデンブルク

  13. ドーズ案

  14. ヤング案

  15. フーヴァー

  16. フーヴァー=モラトリアム

  17. ローザンヌ会議

  18. フィウメ

  19. 北イタリア

  20. ムッソリーニ

  21. ファシスト党

  22. ローマ進軍

  23. ファシズム

  24. 一党独裁体制

  25. ファシズム大評議会

  26. フィウメ

  27. アルバニア

  28. ラテラノ条約


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