団体行動は教えるが単独行動は教えない教育システム

過日、ぼーっと町中を歩いていると、河川敷で高校生の団体らしきグループが、なにやら集まってワーワー騒いでる。

体育祭か何かの応援の練習なのだろうか、皆で声を揃えて同じことを叫んで、同じタイミングで「わっ!」とか言い、同じところで手を叩いている。要するに、同じタイミングでそれら全ての行動がきれいにまとまるように、そういう練習をしている。

こういう教育が、「心一つに」とか「一致団結」とかいうイデオロギーに直結するのだなと思って見ていた。子供達はそれなりに楽しそうに見えたけれど、中の何人かはすごくしらけた気分を味わって、冷めた目で自分たちがやっていることの滑稽さを見ていたことだろう。

みんなが同じ方向を向いて、同じ目標に向かって突き進むということを、美しいこととするような風潮は、とても危険であると思う。悪い方向に進むときに、誰もそれを止めないというのは、下手すると国を滅ぼしかねない。

だいたい、みんながみんな、同じように考えていると、なぜそのように考えることができるのだろう。多様性を連呼しながら、それとはまったく相容れない、一致団結の精神を、どうして涵養しようとするのだろう。

高校生達を見ながら、そんなことを思った。

同時に、日本の学校教育って、団体で行動することは執拗に教え込もうとするけれど、一人で孤独にやっていくということはどうして教えないのだろう。

人間は、最終的に一人孤独に死んでいく。上野千鶴子ではないが、最後はおひとりさまなのだ。だとすれば、一人で楽しむ術を教えることは、来るべき孤独に耐えるために、とても重要なのではないかと思う。


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