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どこでも韓国語で話しかけられる

韓国に行っていた。調査目的。
おもしろいデータをいくつか入手することができたが、それはまた研究の世界で。

韓国ではどこに行ってもとりあえず韓国語で話しかけられる。
見分けが付かないからではない。海外に出ればすぐに気がつくことであるが、日本で育った人かそうでないかは見れば分かる。動き、服装、視線などなど、「同じにおい」があるものである。

同じように韓国の方々も、我々が韓国国内で育った人でないことくらいはすぐに分かる。日本から来ていることもおそらくすぐに気づくことであろう。それでも、彼らは韓国語で話しかける。

韓国語しか話せない人が韓国語で話してくるのは当たり前だが、そうではない人、実は英語も、なんやったら日本語もできまっせみたいな人でも、いったんは韓国語で話しかけてくる。通じなければ、「あ、韓国語できないのね。では英語で、日本語で」みたいな感じで切り替えてくれる。切り替わらない場合は、めちゃゆっくりはっきり韓国語でやってくれたりもする。

それは、とても心地のいいことだ。
韓国語が話されている場所で、韓国語でコミュニケーションをとることを求められているのは至極当然のことである。
ごくたまに、いきなり日本語で話しかけられたりすると、それは親切心だということは分かるのだけれど、やっぱりなんかよそ者扱いされているという感じは残る。特に、こちらが韓国語で話しかけたときに、日本語で返事されると、「韓国語お下手ですね」とでも言われたような気分になる。

そういう気分だけではなくて、その社会の中に、いろんな人がいるもんよ、ということを、韓国語を話すことで示されているような気になるのである。ちなみに、韓国では西洋人に対しても、とりあえず韓国語で話しかける。そういうように教育されているわけではないだろうけれど、みんなそうする。

日本は?

もう一年前くらいになるけれど、スロバキアの元学生とご飯に行ったときのこと。店員は、彼女が流暢な日本語を話すのを聞いているはずなのに、「うぇいとあもーめんと」とか言っていた。スロバキア語で話すならまだしも、英語、しかも聞いてすぐに分かるほどのブロークンな英語で。そしてそれは、国際都市と言われているKB市での出来事だった。

見た目で、その人が何人(なにじん)かなんてもはや分からない。
様々な見た目の日本人がいる。ならば、日本語文化圏では日本語で話しかけるのが当然で、ぱっとみぃ「「外人さん」やし英語で(外国人=英語というのも短絡的である)」、というのはややもすると差別的である。

そういう意味でも、いろんな人がいるよね、今日日(きょうび)、くらいに構えている(ように見える)韓国社会(ソウル社会?)は、数歩進んでいるように思えた。国際社会として。

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