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コンテンツの海でバタフライしてた

リハビリ病院からお届けする、本日の日記。


噛み砕いて理解することの難しさ

入院によって、自分がいかにコンテンツに追われていたかに気がつく。
YouTubeを見ているとき、与えられる情報を受け取ることでいっぱいなので、目の前のコンテンツのこと以外は何も考えていない。
楽しくて新しいコンテンツは無限に出てくるし、たとえばそれが勉強のチャンネルなら“勉強した感じ”だけは得られるし、無限に浴びせられるコンテンツに溺れて苦しかった。

ゆる言語学ラジオパーソナリティの堀元さんが#211で、「人に会った後、あそこでもっと上手い返しができたなとか、話に出てきたことを反芻するとか、一人で大反省会をする」という趣旨のことを話されていて、首が取れるかと思うほど深く同意をする。

噛み砕いてより深く理解するためには、人より長く時間をとって、考える時間を確保してあげないといけなかったのだ。ふ
気を抜くと、コンテンツの海に流されてしまうような、漠然と焦る気持ちがあった。なんだ、一つずつでいいのかと、お湯船に浸かったときみたいに緊張がほどけるのがわかる。

高次脳機能障害を差し引いても、一度に複数のことを考えるのは元から苦手だった。
あれこれ悩む必要がなくなり、逆にシンプルなったのかもしれない。


考えるのやり方なんて

入院前、「考える」の正しいやり方がわからなくて、ぐるぐる悩んで辛いばっかりだった時期を思い出す。
「悩む」と「考える」は全然違う。
今より良くなるように、と考えるの楽しいことのはずだった。
自分なりに出した結論は間違えていいし、答えはどんどん変わってアップデートしていくし。

最近は、後遺症が治らなかったとして、どうやって生きていこう?が主な考え事のテーマだ。
・何が後遺症として残ってしまうのかを早く判明させたいから、いろんなことを試したい。
・出来ないことに抗わない、というマインドセット。
・自分に残ったリソースってなんだろう?
などなど。
どうやって仕事をしていくか、みたいな超現実的なものも多分に含まれていて、時間ができたら読もうとしていたビジネス書が私を慰めてくれる。

本が失われなくて、よかった。


大きいいぬを触りたい

ねこでもカワウソでもいい。

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