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新章・魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 3巻プロローグ

 薄桃色の花びらが咲き乱れるそれは見事な大樹があった。

 大樹から離れた花びらは、緩やかな風に乗って舞い踊り、あたかも闖入者たちを出迎えているかのようだ。

 その大樹の根元には、人が一人、背を向けて座っていた。

 肩幅や背の高さから見て男だろうか。

 黒曜石か黒真珠かと思われるほどの艶やかな髪を靡かせているが、その脚はあぐらをかいているのがわかる。

「勇者よ。俺がここからなにを見ているのか、わかるか?」

 その男は背を向けたまま問いかけた。

 元勇者はその問いを受けて、大樹の向こう、男が見ているであろう視線の先を見やる。

 そこには白く、雄大な雲海が広がっていた。

 その大樹は、峻厳なる高山に根を張っていたのだ。

「……そんな馬鹿な」

 元勇者はその光景に驚き、息を呑む。

「地下迷宮から今度は山の上に転送さたってだけの話でしょ? なにをそんなに驚くことがあるのよ」

 戦乙女が呆れたように言った。

「そうじゃないよ、ルナ。ここがただの山の上ならリクドウだってこんな風には驚かない。っていうか、正直わたしも驚いてる。ここがわたしの予想通りの場所なら、だけど」

 射手の言葉に戦乙女が眉を顰める。

「どういうこと?」

 元勇者は眼下に広がる雲海を指さした。

 雲海から突き出た二つに裂けたような特徴的な山の頂が見える。

 よく見れば、他にもいくつかの山の頂が雲海から突き出しているのがわかった。

「あの二つに裂けた山の頂……あれはジソウミの山だ」

「ジソウミ?」

 聞き覚えがないばかりか、あまり耳馴染みのない語感の名詞に、戦乙女の眉がさらに顰められる。いや、語感として近い名詞といえば……。

「すると、あっちに見えているのがジジクミか」

「リクドウがそう言うなら、やっぱりそうなんだね」

「幻術の類だと思いたいところだが、どうだかな」

「アタシにもわかるように言ってよ」

 戦乙女が不満げに唇を尖らせる。

「すまん、ルナルラーサ。ジソウミやジジクミもかなり高い山なんだが、それを見下ろすような山は俺は一つしか知らない。つまりここはスメラミの御山。俺の故国、スメラの象徴たる霊峰だ」

「じゃあやっぱりアタシたちはスメラに飛ばされていたって訳ね。あれ? でも……スメラって……」

 元勇者は戦乙女の疑問に答えた。

「そうだ。スメラは魔王の魔力によって海底に没した。大地は裂け、海は荒れ狂い、スメラミの御山もそれを取り巻く九つの山もすべてが噴火し、町も森も人々もなにもかもを焼き尽くし、そして、波間へと消えていったんだ」

 実感のこもったその言葉に戦乙女は息を呑む。

「だけど今、わたしたちはその場所に立っている」

 射手の言葉に戦乙女はかぶりを振った。

「ならやっぱり幻術よ。そもそもそんな高さにある山ならこんなに温かいはずないし、こんな立派な木が満開に花を咲かせてることなんてないでしょ」

「気温や植生のことならスメラミの御山は元々そうだ。古来霊峰と崇められてきた由縁でもある」

「スメラミは山頂に近づくに従って魔力の濃度があがっていくらしいからその影響じゃないかな。そんでその山頂にはスメラの王たるスメラミカドが住んでいるんだとか」

「でもそれは、スメラが滅ぶ前の話でしょ?」

 その疑問をぶつけるように、三人は未だ背を向けたままの黒髪の男に目を向けた。

「そう殺気立つな。おまえたちにだって、この満開の大樹と散って風に舞う花びらの美しさはわかるのだろう? 俺が見ているのは、そら、舞い踊り、雲海に消えていく花びらの美しさよ」

 黒髪の男は笑いながら、ゆっくりと元勇者たちの方を振り向き、座り直す。

 男だとわかっていても一瞬女だと見紛うほどの細く、美しい輪郭に長い睫毛。その奥にはひときわ特徴的だといえる妖しく輝く金色の瞳があった。

「花びらの事なんてどうでもいい! アンタ、魔王なんでしょ!? とぼけるのもいい加減にしなさいよ!」

 憤る戦乙女に対して、男は人差し指を唇の前に立てる。

「気の強いおなごは嫌いではないがな、もう少し静かにしてくれ。この子が目を覚ましてしまう」

「この子?」

 よく見れば、男は袈裟懸けに紫色の布をゆったりと架けていた。

 そして、あぐらをかいた男の膝の上で、その布に包まれた存在があった。

「ああ、いかんな。やはり目を覚ましてしまいそうだ」

「どうなってる……? これは一体どういうことだ……?」

 その存在に気がついた元勇者の鼓動が、うるさいくらいに大きく激しくなっていく。

 同時に、右膝の古傷がズキリ、ズキリと痛み出す。

 緊張と焦燥だけがもたらすものではない。

 元勇者としての本能が、最大級の恐怖と警戒を告げていた。

「こ、この感じ……この魔力の感触は……。わたしは、昨日のことのように覚えてる……ッ」

 飄々とした態度が常の射手でさえも、目を見開き、脂汗をにじませる。

「こんなの、アタシにだってわかるわよ……。でも、どうして……?」

 戦乙女は叫んだ。

「どうして、魔王の魔力をその赤ちゃんの方から感じるのよ!」


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