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新章・魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 2巻第2章 美形の皇子様がタイヘンなんです!④

 マリウスの悩みは、剣を持つ者には特に珍しくない類のものだ。
 剣の技術が上がれば上がるほど、それが如何に効率的に相手を殺傷するための技術であるかを実感していく。
 ラティシアの指摘も特に間違ったものでも、過剰に言い過ぎたものでもなかった。
 マリウス自身、エリナたちに言ったように、その指摘には納得していた。
 心が乱されたのは、その欠点を指摘されたからというよりは、隠し通せたと思っていたことを看破されたこと。
 否、自らの研鑽がすべて、ラティシアから自らの欠点を隠し通すためのものだったと気がついてしまったからだった。
 だからマリウスは、しばしの間一人になって、気持ちを整理することを選んだ。
 ごく普通の、誰にでもあるような当たり前の行動だった。

 もちろん、自分が大国の皇子であり、それが無断で国を出てきている立場であることはわかっていた。
 魔神が出没するような不穏な状況下であることも理解はしていた。

 だが、誰も――
 そこに魔神の魂が新たに生み出されるとは考えていなかった。
 マリスのそんな小さな心の隙間に、魔神の魂が入り込むことになるなどとは、なおさらに。

        ◇ ◇ ◇

 キイィィッ!

「見つけたの!? コル、お手柄!」

 暗闇に染まりつつある空を、コルが炎を吐いて主人であるエリナを先導していく。
 空を舞う炎の動きに気がついたフランとカナーンも、慌ててエリナの方に駆けよっていった。

「エリナ、見つけたのね!?」

「うん! あっちの方だって! コル! だいたいわかったから、ラティシアさんにも教えてあげて!」

 コルは了解の印にぐるんとエリナの頭上を一周すると、別の方向に飛んでいく。
 その方角からすると、ラティシアの方がマリウスに近そうにも思えた。

「はぁっ、はぁっ、え、エリナ……いいの? 勝負だったんじゃ……ないの?」

 フランは息も絶え絶えにエリナに尋ねる。

「へ? ……ああっ!」

「自分で言いだしたことなのに忘れていたのね……?」

 エリナの反応にカナーンもがっくりとこうべを垂れた。

「にゃははは。まぁいいって。マリちゃんがちゃんと見つかるならそれでよし!」

「はぁ、ふぅ、確かに、そう、だけど……ねっ……ふぅ」

「まだちゃんと見つけたわけじゃないわ。辺りももう真っ暗になってる。気を弛めずに、ちゃんと捜しましょう」

「「うんっ」」


        ◇ ◇ ◇

 宵闇の中飛来したコルの先導を受けて、ロミリアもその方向に急いでいた。
 ラティシアも一緒だ。
 エリナの言葉に元気づけられて復活したかに見えたラティシアだったが、ロミリアの目にはマリウスよりもこの凱旋将軍の方が、遥かに深い傷を負っているように思えた。
 彼女はきっと、もう何年も前に心を折られていたのだろう。
 だがその度に、なんとか心を奮いたたせ、虚勢を張って見せていた。
 先ほどの一連の会話で、ロミリアはようやくそこに気がつくことができた。
 以前のラティシアならば、傷心したマリウスの失踪にも「放っておけ」くらい言っていただろう。
 とは言え、現状で皇子の失踪は大問題。放っておくわけにはいかない。
 皇子を見つけたら、今夜は自分もランドバルド邸に泊まって、一晩中ラティシアの思いの丈でも吐き出させてあげよう。
 ロミリアは、そんな風に思っていた。
 だが、そんな思いは鉈で切り落とされたようにブツリと途切れる。

「待って、ラティシア!」

「どうした!? ――なっ」

 ロミリアの声にラティシアは振り返ったが、背中を駆け抜ける凄まじいまでの怖気にその両の目を大きく見開いた。

「魔神の気配……だと!? ロミリア! 結界はどうした!? 破られたのか!?」

「いいえ、結界は破られていないわ。結界外からの転移も不可能なはず……なのだけれど」

「だけれど、なんだ!? 結論を言え!」

「……今の気配、気がつかないくらい小さなものから、一瞬のうちに大きくなっていったように感じられたわ。まるで――」

 ロミリアは息を呑み、そして、続けた。

「そこに魔神が産み出され、そして、急激に成体となった。そんな印象がある」

「そんなことが――いや、今はどうやって魔神が侵入したかより、その対処を優先すべきだ」

「そうね」

 二人はうなずき、再び走り出す。
 それは、コルが先導する方向とまったく同じものだった。
 魔神と皇子はかなり近い場所にいる可能性が高い。
 あまりにも大きすぎる嫌な予感にロミリアの胸も締めつけられる。
 だがロミリアはリデルアムウァの聖印を握りしめ、歯を食いしばった。
 今、私が取り乱すわけにはいかない。
 どんな事態が起きたとしても、冷静に対処しなくては。

「殿下!!」

 ラティシアの声、ロミリアは覚悟を決め、それを目にした。

 宵闇の中、マリウス皇子は五メルトほどの上空にいた。
 胎児のように膝を抱えて丸まったまま、宙に浮いている。
 そして、そこからは疑いようもない魔神の強烈な気配が発せられていた。


「マリちゃん!? マリちゃんだよね、あれ!」

 別の方向からエリナたちも駆けよってくる。
 コルも皇子を警戒するように一定の距離を取り、キィィッと甲高い鳴き声をあげた。

「殿下! 殿下! 目をお覚ましなさいませ! 殿下!」

 ラティシアの悲痛な声があがる。

「おのれ魔神め! 殿下にいったいなにをした!」

「落ち着いて、ラティシア! 今、魔神の気配は殿下とともにあるわ!」

「どういうことだ? ――いや、まさかガビーロールか! 彼奴が殿下に憑依したとでもいうのか!?」

「わからないわ。でも、その可能性も充分にある。ともかく、殿下の身の安全が最も大事なことよ。今は迂闊な行動は慎んで」

「くっ、そんなことはわかっている! だが、捨ておくわけにもいかん。ロミリア、なにか手はあるんだろうな?」

 ロミリアはラティシアを落ち着かせるため、あえて力強くうなずいた。

「もちろんよ。ガビーロールには手を焼かされたもの。人に憑依した悪意を引き剥がす。そのための神聖魔法は用意してあるわ」

「おお、さすがロミリアだ! 頼む!」

「ええ。――エリナ、フラン、カナーン! 皇子に魔神が憑依している可能性が高いわ! 無闇に近づかないで! 私が神聖魔法で魔神を引き剥がしてみる! あなたたちはなにが起こっても対処できるよう気を配っておきなさい!」

「わかったー! ロミリア! マリちゃんのことお願いね!」

 エリナの元気な返事に、ロミリアの胸中にあった一抹の不安も消え去ってしまうようだ。

「ラティシア。あなたは殿下から引き剥がされた魔神に注意を払って。あなたの聖剣ならアストラル体にも通用するはずよね?」

「ああ、任せてくれ!」

 ラティシアがマリウス皇子を見据えて構えをとると、エリナたちも距離を保ちつつ、散開して起こるべき事態に対処できる態勢を整える。
 ロミリアも再び聖印を握りしめて、皇子に目を向けた。
 それで大丈夫のハズだ。

「……慈愛と癒やしの神リデルアムウァよ。かの者は邪悪に取り憑かれし憐れなる子羊。御身の慈愛によってかの者の心を取り戻し、邪悪を退けることを切に願う。邪悪よ、去れ! その者はリデルアムウァの乳房に抱かれて、晴れやかなる目覚めを迎えるだろう!」

 ロミリアの聖句に呼応して聖なる魔力が迸り、マリウス皇子の身体を包みこむ。
 その身体がピクリと動いた。
 そしてゆっくりと、膝を抱えていた腕が動きはじめる。

「やった! マリちゃん! マリちゃん、起きて!」

「殿下! 目をお覚ましなさいませ! 殿下!」

「マリちゃん! 起きてー!」

「魔神になんか負けないで!」

 皆が口々に呼びかける中、彼女の身体は徐々に開かれていき、ついには宙に浮いたまま直立の態勢となった。

「なっ!? で、殿下……?」

「マリちゃん……? 嘘……」

 ラティシアもエリナも、フランやカナーン、そして、ロミリアまでもが目を見開き、息を呑む。
 直立となったその姿は、シルエットこそ人間のものだったが、そのすべてが白く輝く硬質の外殻に覆われた人とは呼べないものだった。
 古代の魔術師たちが自らの財宝を護るために迷宮に設置したクリスタルゴーレムやクリスタルスターチューと呼ばれる魔造物に近い造型だとロミリアの目には映った
 それ故にか、その両の目蓋が開かれた時、ロミリアの背筋を堪え難いまでの怖気が駆け抜けた。
 他の者たちも絶句し、ただ、その光景を固唾を呑んで見守るのみ。
 そして、マリウスであったその存在は、そんなエリナたちをゆっくりと睥睨した。

「……マリちゃん? マリちゃんなんだよね!?」

 最初に言葉を発することができたのはエリナだった。
 それはエリナをジロリと見下ろす。
 そして、その硬質の唇が開かれた。

「……私は」

 考えながら口にしているのか、その言葉は遅々としていた。

「私は……そう。魔神と呼ばれる存在……」

「違うよ! マリちゃんはマリちゃんだよ! わたしの友達! 人間のマリちゃん!」

「……否。人間にとって魔神は恐怖の象徴……。私は魔神であるが故、人類の敵対者だ……」

 それは言葉を選びつつ、自ら発した言葉を実感し噛みしめていた。

「殿下! 目をお覚ましなさいませ、殿下! ――おい、ロミリア! 殿下に憑依した魔神を早く祓ってくれ!」

「え……ええ、そうね! もう一度やってみるわ!」

 ロミリアは再びリデルアムウァへの聖句を唱え、マリウス皇子の身から邪悪なる存在を退散させるよう試みた。
 聖なる魔力が迸り、再び魔神を包みこむ。
 だが――

「……私は私だ。何者かの身体を借りているわけではない。故に、私が私の身体から退くことはない。そして、リデルアムウァの神官よ」

 魔神はロミリアにその視線を移して言った。

「私は魔神故に人類の敵対者ではあるが……私は貴様たちを害するつもりはない」

「マリちゃん……」

 その言葉にエリナは少しホッとした表情を浮かべる。

「故に、リデルアムウァが定義する邪悪なる存在ではない」

「――ッ! そんな……でも、魔神であることには変わりないはずよ……?」

 ロミリアの呟きを魔神はただ見下ろすだけで聞き流した。

「冗談ではない! 殿下のお身体を乗っ取っておいて、邪悪ではないなどと!」

 ラティシアは青白く光る剣を抜き放ち、一閃!
 その太刀筋は刀気となって放たれ、魔神を強襲した。
 だが、これも。

「ふむ」

 魔神はその刀気に手のひらを向けて掴み、そして、握り潰す。

「私は魔神。故に人間から理不尽に攻撃されることもある、か」

「なにが理不尽か!」

 ラティシアは超人的な跳躍力でその五メルトの距離を飛びあがり、今度は上段から魔神へと斬りかかった。
 だがその瞬間、振りかざした魔神の左腕に白く輝く大きな円盾が現れ、ラティシアのその一撃を流麗に受け流す。
 態勢を崩して落下したラティシアだったが、大地に激突する前に体勢を立て直して、なんとか着地に成功した。

「おのれっ!」

「ラティシアさん、待って! あれは魔神だけど、マリちゃんだよ! 攻撃しないで!」

 即座に次の攻撃に移ろうとしたラティシアをエリナが制する。
 そのエリナを魔神から庇うようにカナーンが大剣を構えて立ちはだかった。

「カナちゃん、大丈夫。わたしが話してみる。あの魔神は話し合いができると思う」

「……魔神と話し合い?」

「言葉は通じてる。わたしたちを攻撃するつもりはないって言ってる。だったら、話し合えるよ」

「嘘かもしれないわよ?」

「それが嘘だとしても、だよ」

 カナーンは一瞬躊躇したが、すぐにうなずいてエリナの後ろに退く。
 ラティシアはロミリアとフランによって宥められていた。

「確認させて! マリちゃんはどうしちゃったの? 魔神さんはマリちゃん自身なの?」

 エリナの率直な質問に、魔神は数秒ほど口をつぐんだ。

「……わからぬな。魔神とはある種の理を知る存在故、わかることも数多い。だが、自らが産み出された由縁、その基となったものがなんであったのか、どうなったのか、それを真に把握している存在はどれほどあるのであろうか」

「産み出された……?」

「私は、先ほどこの世に産み出されたばかりの魔神故に」

 その言葉に息を呑んだのはロミリアだった。
 先ほどの直感が裏付けられたことになる。
 この魔神は、ロミリアの対魔神結界の内側で新たに産み出されたのだ。
 魔界ではない現界に、新たな魔神が産み出される。
 ロミリアは先ほどから感じていた拭いがたい不安の正体を思い知った。

「じゃあ、マリちゃん自身ってわけじゃないの!? わからないなら、マリちゃんは他の場所に行っちゃってるかもしれないってことだよね!?」

「…………」

 魔神は答えなかった。

「魔神さん!」

「……私は征く。魔神の使命を果たさねばならぬ」

「どこに征くの!? 魔神の使命ってなに!?」

「知れたこと。魔神は恐怖の象徴。故に、貴様たち人間にさらなる恐怖を与えることが私の使命だ」

「でもわたしたちに攻撃する気はないんでしょ!? 害するつもりはないってさっき!」

「私は、そうだ」

「私は……?」

「だが、私が産み出す魔神はその限りではない」

「え」

「人間の……ほんの些細な恐怖を糧に新たな魔神を産み出す。それが私に与えられた魔神としての権能」

 その言葉に、エリナを含めた全員が絶句した。

「その恐怖、実に甘美だ。魔神として産み出された者の充足を感じるぞ!」

 白く輝く魔神は哄笑し、さらに高く飛びあがると、天使のような美しい声を響かせる。

「そうだ! 恐れ戦くがいい! 私は現界に産み出されし新たなる魔神にして、魔神の母となる存在! 『母なる者』マリア! マリアだ! 恐怖とともにその名を覚えておくがいい!」


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