魔王の娘だと疑われてタイヘンです! 新章 魔神はやっぱりヤバいんです!①

「さすがに、この展開は考えてなかったわよ」

 ルナルラーサは、重いため息と共にそう呟いた。
 松明の灯りに照らされたリクドウも、それに賛同するように苦々しい顔をしている。

「ガビーロールのヤツに完全に嵌められたな。エリナたちが無事ならいいんだが」

「そこはロミリアにがんばってもらうしかないわね。対魔神ってことを考えれば、高位の神官であるロミリアが一番適してはいるわけだし」

 そんなルナルラーサの言葉を、少し離れたところから否定する声があがった。

「それはどうかなぁ。周囲のことを考えなければ可能だろうけど、ノクトベル自体を攻められちゃったら、ロミリアは防御結界を張るのでいっぱいになっちゃうと思うよ? ノクトベルの住民全員を人質に取られてるようなものだしね」

「レイアーナ、周辺の状況はどうだった? ここがどこだかはわかったか?」

「んにゃ。見ての通り、わりと大きな地下迷宮ではあるんだけど、これが『フラガナンナの大迷宮』かどうかまでは、現状ではなんとも。否定する要素もなければ、肯定する要素も乏しい感じ。ただ、魔神と繋がりが深い迷宮であることは確かだね。壁や柱のレリーフに魔神を象徴するシンボルがあるのをいくつか見つけたから」

 ノクトベルを立ったリクドウたちを待ち受けていたのは、恐るべき強襲だった。
『死なずの王』アタナシア。
『激流公』ハイアーキス。
『妖艶なる獄吏』ヘルマイネ。
 そして、『魔界大元帥』スールト。
 かつて『八柱の魔神将』として怖れられた魔神が、突如として出現し、リクドウたちが乗る馬車を囲んだのだ。
 だが、魔神たちはリクドウたちが体勢を整えるより先に、呪文を詠唱し、その魔法を発動させた。
 それは、『強制空間転移』の魔法だった。

「あれだけの魔神が揃って現れて、強制空間転移って、なんなのよ!」

 思い出して改めて憤慨するルナルラーサだが、並の魔法使いが同じことをしたところで、抵抗するなり、発動前に詠唱が防がれていたことは想像に難くない。
 十二年のブランクがあるリクドウはともかく、ルナルラーサもレイアーナも、その程度の奇襲なら当たり前のように受け、当たり前のように対処してきている。

「ガビーロール以外の魔神たちが復活していたのも驚きだが、ヤツらが徒党を組んでこんな姑息な手段に出てくるとはな……」

「ホント、そこなのよね。こんなところにアタシたちを転送しておいて、その後なにもなしっていうのは明らかに不自然よ。血の気の多い連中だし、他に目的があるにしたって、かつて自分たちを討伐したアタシたちに、なんの意趣返しもしないなんてあり得る?」

「ここからが復讐戦のはじまりなのかもしれないけど、まあ、それはそれとして、これからどうする? はっきり言ってこの迷宮、大分嫌な予感しかしないけど、わたし的には奥に進むしかないんじゃないかって思ってる」

 レイアーナの発言にルナルラーサは首を傾げる。

「外に出るんじゃなく?」

「だってこれ、わたしたちにちょっかい出すにしろ出さないにしろ、時間稼ぎ的な意味あいを強く感じるのよね。ってことは、わたしたちにいてもらっては困る状況があって、そこから遠ざけておくことが一番の狙いなわけじゃない。だったら、この迷宮の外はノクトベルから相当離れてると見るべきかなって」

「相当離れてるっていうのは、例えばどれくらいだ?」

 と、リクドウ。

「わたしたちを放っておいたってヨーク・エルナまでは行っていたことを考えると、それ以上の遠方――下手をすると、暗黒大陸の方まで飛ばされちゃった可能性だってあると思う」

「暗黒大陸……」

 そこははるか南方にある大陸で、船で一ヶ月近く航海する必要があるという。

「その予想が正しいとするなら、ここは『フラガナンナの大迷宮』ではないって話にはなるのか。だが、奥に進むしかないっていうのはどういうことだ?」

 リクドウの疑問に、ルナルラーサが答えた。

「『転送門』ね?」

「アタリ。ここにわたしたちを転移させた以上、アイツらにとっては既知の場所ってことでしょ? だったら、サビオ連山の迷宮みたいな転送門が設置されていて、行き来に使っている可能性はそれなりにあると思うわけよ。ま、わたしたちを足止めする為に、転送門自体を破壊しちゃってる可能性だってあるけど、どの可能性に賭けてみる? って話」

 レイアーナはリクドウを見、ルナルラーサもまたリクドウを見た。
 現役バリバリの冒険者と、現役バリバリの傭兵が、もう十二年も前に引退したはずの勇者の判断を仰いでいる。
 リクドウはそのことに理不尽さを感じながらも、懐かしさと、まだ頼りにしてもらえているという嬉しさも感じていた。

「レイアーナの見立てに乗ることにしよう。ただ、このまま進めれば、だ。馬車ごと迷宮に送られるなんて考えてもみなかったからな」

 その言葉に反応したのか、これまで大人しくしていた牝馬のフレイムがブフンと鼻息を鳴らした。

「急ごう。俺たちを強襲した中にガビーロールはいなかった。それに、ここまで来ると、復活した魔神が五体だけとはとてもじゃないが思えない。他の三体もすでに動いていると考えるべきだろう」

「ふぅ……カナーンに魔剣を託してきたのは失敗だったかもしれないわね。ガビーロールだけならともかく、他の魔神までとなると、下手に戦う手段がある方が危なそう……」

「お父さんもお母さんも大変ですね」

「ごふっ」

 レイアーナの言いっぷりにルナルラーサが思い切りむせる。

「あ、アンタね……もう少し言い方ってものを考えなさいよ……」

「え~? エリナのお父さんとカナーンのお母さんでしょ~? 特に間違ってないと思うけどにゃ~」

「にゃ~じゃない!」

 魔神に送りこまれたどこぞと知れぬ迷宮というだけで、これ以上ないほどの危機的状況だ。
 だと言うのに、まったく危機感なくキーキーとやりあう二人を見て、リクドウはヤレヤレと嘆息して後ろ頭を掻いた。
 それは、こんなことにも懐かしさを感じてしまっている自分自身への呆れでもあった。

        ◇ ◇ ◇

 学院長室のドアをノックすると、中から「どうぞ」という声が聞こえた。
 エリナがドアを開け、その中に入ると、フランとカナーンもその後に続いて学院長室に入る。

「来たよ、ロミリア――じゃなかった。えっと……お呼びでしょうか、ロミリア先生」

「相変わらずね、エリナは」

 エリナの言葉にロミリアは苦笑する。
 ロミリア・ユグ・テア・バージは『ブレナリアの聖女』とまで呼ばれるブレナリア王国内でも有数の高位の神官であり、ここ、ノクトベル聖学院の学院長でもあったが、エリナにとっては、『物心ついた頃からずっと自分を気にかけてくれている最も近しい大人の女性』という認識だった。

「それでどう? ちゃんと三人で仲よくしてる? リエーヌに迷惑はかけてない?」

 ロミリアにそう聞かれて、エリナ、フラン、カナーンの三人は顔を見合わせた。

「すっごく仲よくしてるよ! ただね――」

「なにかあったの?」

「二人が泊まりに来て最初の日なんだけど、朝起きたら、わたし、身体が全然動かなくなっちゃってて」

「エリナ、それは!」

「それをロミリア先生に言うわけ!?」

 フランとカナーンは慌ててエリナの口を塞ごうとしたが、エリナはそれをひょいひょいと俊敏に回避する。

「ホントびっくりしたんだけど、わたしの右腕をカナちゃんがぎゅーって抱きしめてて」

「エリナ! もう、ホントにすばしっこいんだから!」

「左腕もフランが、もうガッシリって感じで絡みついてて」

「なんでカナちゃんは『抱きしめてる』で、私は『絡みついてる』なの!?」

「にゃはははっ。でも起きた時、ホントにびっくりしたんだよ? 動かないし、痺れちゃってたし」

 結局エリナに報告し終えられて、フランとカナーンはハァハァと息をついた。

「フフフフフ。あなたたちは本当に仲よしね。カナーンも、最初は心配したのだけど、もうそんな心配は必要ないみたい」

「あの、えっと、それは……」

「いいのよ、それは。だいたいルナルラーサのせいだし。カナーンももうすっかりエリナのこと大好きみたいだし」

「だ、大好き、とか、そんな……」

 カナーンは顔を真っ赤にして俯く。
 そこをエリナが下から覗きこんで言った。

「わたしはカナちゃんのこと大好きだよ?」

「だ、だからエリナはなんでそういう恥ずかしいことを、サラッと言えちゃうわけ!?」

「恥ずかしいかな……? もちろんフランのことも大好きだよ~」

「私もエリナのこと大好きだし、カナちゃんのことだって大好きだけど……」

「だけど?」

 言葉を濁したフランにエリナはきょとんとした目を向ける。

「エリナは大好きな人、ちょっと多すぎると思う……」

「それよね。そういうところよ」

 フランの言葉にカナーンも口をへの字にして賛同した。

「ええええ!? で、でも……」

 二人からのいきなりの糾弾にエリナはたじろいだ。
 大好きな人が多いことのどこに、悪い要素があるのだろうか。
 でも二人はそれをどうやら不満に思っているらしい。
 助けを求めてロミリアに目を向ければ、ブレナリアの聖女様は口を手で押さえて吹き出しそうになるのを堪えているところだった。

「だってエリナ、例えばロミリア先生のことだって大好きでしょう?」

「そ、そりゃあ大好きだけど……」

「まあ、リクドウさんのことが大好きなのは仕方がないからいいけど……じゃあ、リエーヌさんのことは?」

「り、りっくんは仕方がないって……」

「リエーヌさんのことは?」

 フランは糾弾の手を弛めない。

「だ、大好き、です……。ええ、でも――」

「レイアーナさんのことは?」

「だ、大好き……。あのでも、聞いて、フラン!」

 エリナは必死になって自分の主張をフランに聞いてもらおうとしたが、その横から、カナーンが聞いてきた。

「ルナのことは……?」

「えっ!? る、ルナルラーサさんのことはさすがにそんな好きってわけじゃ――」

「むぅ……」

「なんでカナちゃんはそれでむくれちゃうわけ!?」

「ぶふぉっ!」

 ここまで必死に耐えていたロミリアだったが、ここでさすがに決壊してしまった。

「ロミリアはそこで吹き出さない! なんにもおかしいことないでしょ!?」

「ご、ごめんなさい……だって……くっくっくっくっくっくっくっく……」

 笑いを堪え切れていないロミリアに、今度はエリナが真っ赤になってむくれる。

「むむむむむぅぅぅ! ……ぷふっ。にゃははははっ」

 だが、すぐにエリナも笑い出してしまった。
 釣られて不満げにしていたはずのフランとカナーンも笑い出す。

「でもね、一応、聞いて?」

 ひとしきり笑ってから、エリナはちゃんと釈明しはじめた。

「フランだって、おじさんとおばさんのこと大好きでしょ?」

「う、うん。それは、まあ……」

「カナちゃんだって、ルナルラーサさんのこと大好きだよね?」

「ま、まあね」

「それと、わたしへの大好きって一緒?」

「「え?」」

「りっくんへの大好きはりっくんへの大好きだし、フランやカナちゃんへの大好きはフランやカナちゃんへの大好きじゃん!」

「あ……ああ、そっか。親や家族への大好きと友達への大好きは違うってこと?」

 フランはエリナの言わんとしてるところを、なんとか汲み取って聞き直す。

「そんな感じなのかな……? ただ、細かく言うと、フランへの大好きとカナちゃんへの大好きも、それぞれ違うんだよね……。二人のことすっごく大好きだし、そこに差はつけられないんだけど……」

「う~ん……よくわからないけど、確かにエリナへの大好きと、ルナへの大好きは違う大好きかも、とは思ったわ。それにフランへの大好きも」

「確かに、私もエリナへの大好きとカナちゃんへの大好きはちょっと違う気がするけど……。エリナが大好きな人が多すぎる言い訳にはなってないよね?」

 フランが首を傾げてそう言うと、エリナは目蓋をパチクリとしばたたかせて、しばらく考えこんでから、ロミリアに目を向けた。

「大好きな人が多いのは悪いことじゃないよね……?」

「フフ、そうね」

 ロミリアは思わず苦笑して、エリナの頭を優しく撫でる。

「でもね、エリナ。好きという気持ちの中には、その人に振り向いてもらいたい。自分だけを見てほしいという気持ちもあるの。自分が大好きな人に、たくさんの大好きな人がいたら、いつ自分に振り向いてもらえるんだろうって不安になってしまうこともあるものなのよ」

「不安になる……?」

 エリナがフランとカナーンに目を向けると、二人は少し居心地が悪そうにもじもじとしていた。

「例えばエリナが男の子だったとして、お嫁さんにするならフランとカナーンのどっちにする?」

「えっ!?」

「この国もそうだけど大陸の大半の国では一夫一婦制だから、お嫁さんは一人しか選べないでしょう? でもエリナは二人のことが大好きなの。もちろん二人ともエリナのことが大好きよ?」

「えっ、えっ、えっ……」

「少し意地悪をしてしまったわね。でも、その時、自分が選ばれるか選ばれないかって立場になった方は不安でいっぱいになる。その気持ちは少しはわかってもらえるかしら?」

「……不安になんかさせたくないなぁ」

 それまで悩んでいたエリナだったが、ようやく答えが出たのかポツリとそう呟く。

「うん。わたしなら、フランもカナちゃんもどっちもお嫁さんにできる方法を探す! 絶対に見つけるから二人とも安心して?って言って。ねー、フラン、カナちゃん」

 二人を振り向いてエリナはにっこりと微笑んだ。
 が。

「そ、そういうところだと思う……」

「でも、それがエリナなのよね……」

 二人は顔を赤らめてごにょごにょ言っただけだった。
 いいことを言ったつもりだったエリナは、二人のあまり芳しくない反応に眉根を寄せたが、すぐに気を取り直してロミリアに向きなおる。

「ところでロミリア――先生。今日のご用事は、それだけ?」

「ああ、ごめんなさい。大事なことをまだ全然話していなかったわね。エリナたちに約束してもらいたいことがあるの」

「約束?」

「ええ。実はね、どうやら復活している魔神がガビーロールだけではないっていう情報が入ってきたのよ。そしてもちろん、魔神たちが結託し、情報を共有している可能性は非常に高い」

「た、タイヘンだ……」

 フランとカナーンもその話を聞いて顔を青ざめさせる。

「となれば、ガビーロール以外の魔神たちもエリナを狙ってくるかもしれない。魔神の配下となっている魔物たちもね。だけど私なら、このノクトベルの中であれば、魔神を一切立ち入らせない結界を張ることができるわ。そして、それはすでに張ってある」

「おお、さすが……!」

 感心してエリナは両手をポンと合わせた。

「魔神たちが目撃されたのは、ガビーロールを除けばブレナリア以外の国だけど、魔神クラスになると転移魔法もあるし、高速で飛行するような魔法だってあるから、油断はできないわ。ルナルラーサたちが発見したっていう迷宮の転送門だってあるしね」

「でも、そのための結界ということなんですよね……?」

 恐る恐る言うフランに、ロミリアはゆっくりとうなずく。

「その通りよ。だからこそ、約束してほしいのは、エリナはもちろんだけど、フランにもカナーンにも、この街から絶対に出ないでほしいということなの。山遊びもダメよ?」

「や、山はノクトベルの中じゃ……」

「山は街の中じゃありません。私の結界にだって限界はあるの。わかって、エリナ」

「私やフランも、というのは? いえ、ずっとエリナのそばについているつもりではあるんですけど」

 カナーンの疑問にもロミリアは優しく答えた。

「この前も言っていたけど、ガビーロールは策士だからよ。ガビーロールだけじゃなく、『妖艶なる獄吏』ヘルマイネや『蟲遣い』ロウサーなんかも陰湿な手を使いがちだったと思う」

「えっと……そうすると、もしかして、わたしのせいでノクトベルの人たちみんなを危険な目に遭わせちゃってる……? ガビーロールが使おうとしてた魔法みたいに」

 エリナはシュンとなって言う。

「魔神たちの目的はエリナだろうけど、エリナに責任があるわけじゃないわ。そんなもの、悪いことをするヤツが悪いのよ。それに私が目標になる可能性も充分にあるしね」

「ロミリアが!?」

「魔神にとっては高位の神官なんて目の上のたんこぶみたいなものでね。なにかしでかそうとするなら、最初に潰しておきたい相手でもあるの。実際に『死なずの王』アタナシアっていう魔神は私が放逐したしね。あ、放逐っていうのはこの世界から追い払ったって意味ね。魔神って本来死なないから、魔界に追いかえす感じなのよ」

 ロミリアはエリナを元気づけるために、あえて明るい調子で言った。
 それに気が付いて、エリナがロミリアに笑みを向けると、ロミリアも小さく笑ってまたエリナの頭を撫でる。

「それでロミリア、街から出ないのっていつまでになりそう? あんまり出られないと、わたし息詰まっちゃうかも」

「当面は難しいわね。私がいいと言うまで。……もしくは、そうね。リクドウが帰ってくるまで、といったところかしら。リクドウが帰ってきた時には、なんらかの事態が好転している時だと思うし」

「りっくんが……。うん、わかった、ロミリア。約束する」

 リクドウが帰ってくる時のことを思い描いて、エリナは大きくうなずいた。

「いい子ね、エリナ。フランもカナーンもいいかしら?」

「はい、ロミリア先生」

 フランもすぐにうなずき、カナーンも生真面目に一礼してから言う。

「了解しました。エリナがふらっと山に行ったりしないように、私とフランがちゃんと一緒にいるようにしますから」

「それは頼もしいわね。よろしくね、カナーン。フランも」

「わたしそんなに勝手にふらふら出歩いたりしないよ!?」

「そ、それはどうかな……。私、いっつもエリナに街の外まで連れ回されてるんだけど……」

「フラン!?」

「ロミリア先生、エリナには紐を結びつけておきましょうか」

「素晴らしいアイデアね。カナーン、冴えているじゃない」

「カナちゃんもロミリアもやめて!? わたしちゃんと約束するから!」

 とエリナが泣き叫ぶかたわら、フランがぼそりと言った。

「それでカナちゃん……。エリナに結びつける紐はどっちが……ううん。二人で持つようにしようね?」

「だから、紐はつけないからね!?」

 学院長室を後にしたエリナたちだったが、弄られすぎたエリナは、まだちょっとぶつくさ言っていた。

「まったくもう……。人をペットかなにかみたいに……。わたし、コルにだって紐なんかつけてないのに」

 名前を呼ばれて、エリナの背中に入っていたコルがその首筋から顔を出す。

「コルはお昼寝してたの?」

 フランにそう尋ねられて、コルはキィと小さく鳴いてから、のそのそと這い出て、エリナの肩に身を落ちつけた。

「コル、結構大きくなったのに、未だにわたしの服の中に入ってくるんだよね……。わりと慣れちゃったけど」

「きっとエリナの体温が気持ちいいのね」

 カナーンはそう言って小さく笑う。
 それはエリナの腕を抱きしめて眠るカナーンのことではないかと思ったが、自分で言うのもなんだか恥ずかしい気がしたのでエリナは黙っておいた。
 第一それだと、フランもそう思っていることになってしまう。
 もしかして、わたしの体温ってみんなにとってそんなに気持ちいいものなの……?

「それはそれとして、さっきの話……。ロミリア先生は明るく言ってたけど、結構深刻な話だと思うわ。ノクトベルにはロミリア先生がいるからいいけど、本来なら魔神一体出現しただけでも街の一つや二つ簡単に壊滅するくらいの話のはずだから」

「それに、今回の件で、いつもなら王都とか、他の神殿とかに赴いてる用事が全部後回しになっちゃってるって聞いたよ。ロミリア先生的には、ずっとノクトベルにいられるから楽だ~なんて言ってたけど、やっぱり色々と大変そう」

「……本当にこのままでいいのかな」

「エリナ? あなたのせいだとかいう話をしているわけじゃないからね?」

「そうだよ? ロミリア先生も言ってたけど、悪いのは悪いことをする人なんだから」

 エリナの呟きに二人が慌てて答える。

「あ、えっと、わたしの責任とかそう言う話とはちょっと違って……なんだろう? わたし、みんなに護ってもらってるだけでいいのかなって」

 エリナはフランとカナーンを交互に見て話を続けた。

「フランもロミリアに神聖魔法習ってるし、カナちゃんだって毎日剣の鍛錬やってるでしょ? わたしもさ、それが魔王の力なのかなんなのかは知らないけど、いざって時にちゃんと戦えるように魔法の訓練とかしないといけないんじゃないかって……」

「うーん……エリナの言いたいことはわかるけど……」

「そもそも、私が剣の鍛錬をしてるのは、自分自身のためだしね。もちろん、エリナのことは絶対に護るつもりだし、剣の鍛錬はその時に役立つものだけど……」

 カナーンの言葉も響かなかった様子で、エリナは視線を落としたままだ。

「でも、魔法の訓練って言っても、ちゃんと教わらないと大したことはできないと思うよ? 私はロミリア先生に教わってるし、カナちゃんだってずっとルナルラーサさんに教わってきたわけで……。魔法を教えてくれるはずのリクドウさんも今はいないわけだし……」

「そうなんだよね。あ、じゃあジュゼッペ先生のところにでも行ってみるといいのかな」

 ジュゼッペ先生というのは、以前ノクトベル聖学院で魔法の授業を担当していた老齢の魔法使いだ。だが、授業中に起きてしまったトラブルに寄る年波を感じて引退してしまったのだ。

「ジュゼッペ先生、もうノクトベルにいないって聞いたけど……」

「そうなの!?」

「お孫さん夫妻と一緒に暮らすことになったらしいって、お父さんが言ってたの。うちのお父さん、ジュゼッペ先生と結構仲がよかったから」

「そんなぁ……」

 絶望的な顔でがっくりとエリナは肩を落とす。

「えーと……リエーヌさんではダメなの?」

「え?」

 カナーンの一言に、エリナは再び顔をあげた。

「彼女、結構すごい魔法使いよね……?」

「う、うん。そう思う。確か『ブレナリアの新世代筆頭魔術師』とか言ってたよね?」

 フランもうんうんと賛同する。

「え、えっとね、そう……確か、りっくんが聞いてたんだよね。りっくんの代わりに魔法の授業を受け持ってくれる気はないかって」

「そう言えば、結局魔法の授業もロミリア先生が教えてるよね……。じゃあ――」

「うん。リエーヌさんは断っちゃったの。自分はランドバルド家のメイドだから、ランドバルド家を守る義務がありますって」

 なるほど、彼女らしいとフランとカナーンはうんうんうなずいた。
 だが、カナーンはふと気がつく。

「……それ、魔法を教える気はないって意味じゃないわよね?」

「確か、リルちゃんもリエーヌさんに魔法とか勉強とか教わってたんだよね……?」

 フランもそれに思い当たった。

「魔法教えてくれる人、めちゃくちゃ近くにいた!?」

 三人は顔を見合わせて大きくうなずき、半ば駆け出すくらいの速度でランドバルド邸に向かっていった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?