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第27回 平家の落人伝説が残る「落平神社」

こんにちは、阿久根市地域おこし協力隊のチャーリーこと濱田です。
今回は西目地区の落(おとし)集落。

どこか面白そうなところないかな〜と阿久根の地図帳をパラパラしていて見つけたのが「落平(おちひら)神社」。落集落ってまだ行ったことないな、と思って行ってみました。

阿久根駅を出発して車で20分くらいでしょうか。だんだんと山深い景色に変わり、道も細くなっていきます。
空き家が目立ち少し寂しい印象の集落の中に落平神社はありました。

境内の様子
鳥居の奥に石像が祀られています

鳥居には「落平神社」「八手乃観世音」と書かれています。
この場所はもともと馬頭観音の境内でしたが、昭和29年に上床山の中腹にあった落平神社を移転し合祀。その時はまだ社殿があり、茅葺きだった屋根を瓦葺きに新築しました。
その後台風によって木の枝が倒れかかった為、社殿を解体撤去し石柱がその跡を示している、と資料に書かれています。現在、鳥居の正面に石像がありますが、劣化していて輪郭ははっきり分かりません。周辺は墓地になっていてそちらも随分と古さを感じます。

鳥居の奥にある石像
敷地内には立派なタブノキ

この神社の祭神は“平氏の落人12名“
元歴2年(1185年)、壇ノ浦で滅亡したとされる平氏の落人が阿久根地方にも二十数名流れつき桑原城とこの落地区に隠れ棲んだと伝えられていて、この地に最初に住んだ12名が祀られています。

落人たちは折口の浜に流れ着いたあと幾人かが落の地に住み着きました。上床山に登れば西の海が一望に見渡せ、源氏に対する見張りを続けられたため山の麓に住居を定めたと言われています。そして日が経つにつれ警戒心も薄れた落人は徐々に住みやすいところを探して散らばって暮らすようになったそうです。(参照:阿久根の地名/阿久根の自然)

日本のあちこちに平家の落人伝説があるようで中には真偽が疑わしい話もあるようです。時代ごと、場所ごと、様々な場面で戦があったでしょうから逃げ延びてきた落人はたくさんいそうですよね。ちなみに平家というのは平清盛一門を指す言葉で、他の平氏は平家とは呼ばないそうです。

さて、お気づきかもしれませんがこの阿久根フシギ発見は某テレビ番組のイメージをほんのり(?)参考にしているのですが、その番組が今月で終了してしまうという悲しいお知らせ。毎週見るわけではないけれど世界を旅した気分になれて勉強にもなり好きな番組だったので残念です。なるべく放送日に合わせて土曜の夜に投稿するよう意識していました。(毎週は難しいけど。そしてたまに忘れてて日曜になったりもするけど)
本家は終わってもパロディなこちらは続きますので今後もどうぞ宜しくお願いします。

☝️落平神社の詳細地図はこちら

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