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ちょっと気取って書け―文章をうまく書くたった一つの方法―

あるウェブライターさんから聞いた所、「文章がうまくなる十の方法」みたいな記事がよく読まれているそうだ。あの雑誌やあの雑誌でも「文章がうまくなる云々」という特集をよく組んでいるけれど、それはそういうことだったのか、と妙に得心した。

20年前だったら、そういう記事を書くのは間違いなく作家だった。ノンフィクション作家でも、時代小説家でもいい。でも最近の作家はみんな文章が下手くそだし、小説のような文体が世の中から必要とされなくなった(これは作家や編集者やバカな子供をあやして、かわいがってきた文壇や出版社の問題だ。12歳の子供をデビューさせてポイ捨てするようなことをやってきたんだから)。

でも、いわゆる作家の文章が私たちの社会に占めるウエイトはかなり下がった。IT革命と海外資本の導入で日本語の構造自体が大きく変わったことも影響している。いまやイチバン日本語に影響を与える広告はアップルの直訳調の不自然な文章だ、ってことはみんな知っている。

唯一それが変えたのはその全てです。みたいなやつね。

本題はここから。

で、文章に関する記事をあれとかこれとか(リンク貼らないけど)読んで、こういう記事を読んでいると、僕だって文章術について書きたくなるって話だ。文章がうまくなる系記事の大半は、「どうしたら分かりやすく読み飛ばせるか」を基準に「どうしたらバズるか」or「どうしたら批判されないか」の二方向に極長している。バズというのはたくさん拡散されていろんな人に読まれる―現在のウェブディレクターの多くは「読まれる」事をゴールにする―ことだと一応考えておく。

どういう記事なのか媒体なのかにもよるし、書き手によって重視するポイントはかなり変るけれど、要約すると以下のようになる。

・センテンスは短めに。
・タイトルはキャッチーに。
・主張は論理的に。
・あとツッコミどころを用意するように
・誤字脱字に注意してね。

こうした考え方は構造化文書を作るための発想だ。構造化文書というのはちょっと専門用語(てほどでもないけど)なので、もうちょっと言い換えると「見出しを読んだら中身がわかる」文を〈strong〉大量に!(/strong〉作るための方法なのである

さらに重要だとされるのがこちら。

・キャッチーな画像をサムネにしろ

ゲスい話ではあるが真理である。僕もその教えにしたがって、台湾の「輔仁カトリック大学」の美少女カレンダーの販促画像を使ってみた。台湾は4つぐらいの部族が元々いて、南の方の子が可愛いという評判を聞いた事がある(真偽は知らぬ)

それって文章術なのか。そもそも。

問題はそもそもコレは「文章術」なのかってことだ。この手の文章術をメソッドだのなんだの有難がる人たちと話すとけっこう本気でげんなりするけれど、内容がない文章でも、大量に挙げるとたくさんの反応があるのは事実ではある(らしい)。こうした作法を身に付ければたしかに早く書ける。大学のレポートからチラシの裏まで一番時間が掛かるのは書き出しと末尾なのは変わらないから、そこを定型文にはめてしまえばめんどいことは何もないし、構造を先に決めたほうがある程度の文章は書きにくい。

定型文についてもうちょい具体的に言うと、乱用されるのは「~~の件」とか「~~の結果www」とか「○○が○○したら○○になった」といったタイトルフレーム(これも専門用語なのかな)だけれど、末尾に「いかがだったでしょうか」とか「こんな○○もあるんですね」とか書いてお茶を濁すような書き方だ。ちなみにこれは僕もよくやる。すまぬ。

ただ、こうした文章の作成方法をしっかり訓練したところで「文章そのものは上手にも下手にもならない」のである。

『文章読本』をご存じですか。

さて、では、こういう中身のない記事を死ぬほどたくさん書いてください、それがPRってもんですって本気で思ってるらしき地方自治体の諸氏におかれましては(おおっと、いきなりなんか雲行が怪しくなってきたぞ)、ぜひ僕が勧める文章術である「ちょっと気取ってかけ」を実践していただければと存じます。

かつては文章が上手くなろうと思ったら大抵『文章読本』を読んでいたものだ。三島由紀夫のは使えない。丸谷才一のは使える。斎藤美奈子氏に『文章読本さんゑ』という本があるけれど、要するに「本質的に文章には人格がにじみ出る」というかつての古きよき(?)時代の産物ではある。

この丸谷才一本にはたった一つの最強のコピーがあるそれが

ちょっと気取って書け―たった一つの以下略

である。非常に英文学っぽい素敵なフレーズである。ちょっとしか気取らないがポイント。

僕が考えるにちょっと気取って書くことのメリットは2つ有る。一つは定形外の要素を定型文に持ち込めることだ。さっき述べたとおり、現在の(特にニュース系)ウェブライティング法に求められるのは徹底的な構造化文書化である。リードは何字、イラストは何枚、云々。ってなわけだけれど、書けば書くほどこれは定型化してくる。

これが続くと、ライターの「変なクセ」が「◯◯さんらしさ」とかになってしまうのだけれど、そんな薄っぺらい「らしさ」が長続きできるのは美人である場合か、才能が有る場合か、DISがうまい場合か、いいテーマを見つけられた場合に限られる。でもそれは悪いことじゃないですよ。いずれも難しいことだよ。

でも、ちょっと気取る事で、意識的に自分の持ち味とは別の要素が持ち込める。え、自分の持ち味を持ち込むんじゃない? という疑問がある方はもうちょっと気取って大丈夫。でも気取りすぎてはいけない。この塩梅をはかって、「――たった一つの~」とかいうライフハックばりばりのタイトルをつけてしまった。すまぬ。

もう一つは、また別の日に有料版で書こうかな。買う人いないと思うけど。

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