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ゲスの極みぬいぐるみが大はしゃぎするクズムービー『Ted2』をみてラリッパッパしようぜというお話

ついに『Ted2』を見てしまった。

前作から二年……だっけ。オヤジであり無教養でシャブピーな最低のゴミ野郎とその相棒のぬいぐるみが織りなすハートフルコメディの、続編だ。

続編だけあって気合いが入っている。エンターテイメントとしてすさまじい気合いだ。まずドエロのまぐわいシーンがある。もうこれはひどい。ひどさに磨きが掛かっている。救いがあるとすればそれは人のじゃないってだけだ。

いいかい、君に子供がいて、TEDみたい! って行っても見せてはいけない。

絶対に、だ。

今作ではなんとぬいぐるみのTedが結婚! しかし相方のジョンはすでに離婚済み。おいおい、無印で駆け回ってたあれはいったいなんだったんだよ! 二人の生活はもはや退廃を極限まで極めており、Tedの結婚生活はダウンタウン最下層のレベルになっていた。

さて、磨きがかかったゲスさにばかり注目が集まる『Ted2』だけれども、実際すさまじくゲスい。

でも、無印よりもはるかにシリアスなテーマを設定しているヒューマンドラマにもなっている。「人である」ということはどういうことなのか。市民とは何か。舌を巻いたのはぬいぐるみとアメリカの南部奴隷をアナロジカルに扱った法廷のシーンだ。胸を押さえるぬいぐるみに不覚にもぐっと泣きそうになったんだ。

ぬいぐるみのテッドのために一生懸命法律を勉強するベネット。彼らを見守り、そして愛するようになる弁護士の女性。(ちなみに前作の彼女とはラリッパッパしなかったという理由で離婚しているわけだ)。

彼らの絆をつなぐのは、黄色い葉っぱだ。きれいな美しいラリパッパできるお薬、そしてそれをしゅっしゅっとしてきゅっきゅっとするお薬だ。

もうだめだこの映画。クソだろ!

てなわけで、ラリパッパ『TED2』は誰にでもおすすめできる作品では無い。だいたいパロディが多くてわけがわからない。だがそこがいい。「コミコン」が出てくるし、サム・J・ジョーンズの『フラッシュ・ゴードン』ネタはもうやばい、ってレベルじゃないぐらい……いや、もはやここまできたら主役か。ほとんど『TED』の世界はサム・J・ジョーンズでできあがってるといってもいいぐらいだ。「コミコン」でサム・J・ジョーンズと一緒に写真撮ってるオタクの笑顔が僕の中ではこの映画の中で最高のシーンと言わざるをえません。

パロディだらけの作品だけど、元ネタがわからなくても楽しめる。でも、わかったほうが楽しいに決まってる。

もう一つはなぞのアリゾナ州立大学DISも気になるところ。

TEDには二つの魅力がある。一つはその文化の低さだ。敷居が低い。それから、程度も低い。低く、低く、そんな低い人達へと向ける目線の、素直でまっすぐで、そして優しく温かい視線だ。僕らはそれを教養とは言わない。そして知っていて当然だとも思わない。友人と一緒にみる『ロッキー4』が、どれだけ絆を深めるのか誰もが知っているのだから。

それと二つ目。こっちが大事だ。それは、どんな形の人であれそれを見失わない人間性への視座だ。ゴミみたいなクズ野郎共しかでてこない『Ted2』だけれど、彼らは人である。夜な夜な道行く人にリンゴを意味も無く投げつけるクソ野郎どもだ。でもそれは人だ。人間。ゴーリキーが描きたかったのはTedなんだって思いたくなるぐらい、そこには一生懸命生きて、笑って、絶望する日殿姿がある。その真逆にいるのが、今回の悪役さんというわけ。

そんなわけでTedはぜひおっさん一人で見て欲しい。友達と一緒ではなく、一緒なら盛り上がれるだろうけれど、一人でこっそりみて、あ、俺も誰かのTeDだったんだって思って欲しい。君は人で熊のぬいぐるみじゃない。80年代のポップカルチャーに頭まで埋まるぐらい熱中してもいないかもしれない。

アメリカはクズを見捨てたりしない。

でもね。それでも、いいんだよ。なんも問題ないさってことを、葉っぱでラリッパッパしながらTedは教えてくれるのだった。


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