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【俺の人生】絶望的な非モテ人生から、美女を抱けるようになるまで。


芥川です。

恋愛経験ゼロ。
内気で自信がない。

貯金残高10万円以下、
親は自己破産して貧乏生活。

大学ではぼっちになり、
バイトもできない社会不適合者。

自殺を考えるほど
人生に絶望していた。


その状態から

女性経験は100人を超えて、

グラビアアイドルやAV女優、
モデルといった芸能系の女性や、

美容外科医、
女性経営者などのハイスペ女性。

自分の望む女性を抱けたり、
カップル関係になれたり。

年収は3,000万円を超えたり。

その軌跡を、赤裸々に綴ることにした。



頑張ってる人に届いてほしい。

悩みながらも日々戦っている人に読んでほしい。





俺の人生。


愛知県豊橋市で生を受けた。

朝倉未来と同郷。

でもすぐに名古屋市に引っ越したらしいから、豊橋で過ごした記憶はない。


移り住んだのは名古屋市の中でもトップ3に入る高級住宅街。

父の事業が好調だった。

名前は伏せるが愛知県内で20店舗以上に事業を拡大させていて、海外進出もしていた。


幼少期はかなりいい思いをした。


父親にゲームが欲しいといえばなんでも買ってくれた。

毎年、ハワイ旅行に行った。

週5くらいで外食。

父はポルシェ、母はベンツに乗ってた。



高級住宅街にある小学校だったから、周りは金持ちだらけだった。

売上100億を超える老舗お菓子会社の創業一家の息子、病院事業を手広く広げる医者の息子などぶっ飛んだ金持ちが周りにいた。

弁護士や医者の息子も多かった。

複数のお金持ちの友達の家で遊んでいたが、地下室に体育館があったり、フェラーリで送迎してもらったり、子供ながら富豪の生活に憧れた。


それと同時に、アパートに住む友達の生活も見て、社会の現実を知った。


子供にかける教育費から、普段食べているものから、乗っている車から、何から何まで違う。


金持ちの息子たちはバカでもどんどん留学に行く。

経済的に厳しい家庭の子供は塾にすら通えない。


人生は平等じゃない。

平等じゃないんだ。


そう確信した。


その頃に恋愛にも格差があることを認識した。

お金以外でも平等ではないと。


俺は恋愛面では弱者だった。

自分がモテないことに気づいてしまった。


周りの同級生は一軍女子と普通に会話してるし、バレンタインデーにチョコもらってるし、キスとかもしてた。



俺だって好きな女の子くらいいた。

そんな子、たくさんいた。

だって目が合うだけで可愛かったら好きになってたから。

でも喋れる女の子なんて一人もいなかった。



バレンタインデーになると少しそわそわしてたが、毎年なんの音沙汰もなかった。

ただ傍観してただけ。



とはいってもまだ小学生。

みんな童貞だ。



だけどこの頃から雲行きは怪しかった。


背の順は1年生から6連続で一番前を引いた。

腰に手を当てるのは慣れた。


周りと比較して俺はブサメン寄りの人種だと自覚した。



それでも「まぁ中学生になれば彼女とかできるだろう。」

そんな淡い期待をして地元の公立中学に進学した。



公立中学に進学したから金持ちの息子・娘たちはごっそりいなくなった。

彼らはみんなお受験をして東海中学や南山中学などの私立の名門中学に行ってしまった。

医者を目指す子の割合が非常に高かったことを記憶している。


他学区の生徒と混じり合うことになる。

確実に民度が落ちた。



育ちのいい坊ちゃんやお嬢様がごっそり抜けたことで校内の雰囲気がガラッと変わった。



他学区の生徒の中には有名ないじめっ子もいた。

運の悪いことにそいつと同じクラスになってしまった。

最初の3ヶ月くらいは音沙汰なし。

だけどだんだん粛清が始まった。



ワイの後ろの席の根暗な山本くんが露骨な無視をされ始めた。

陰口も言われ始めた。

彼は何もしていない。

ただ気弱だから標的にされた。


彼を庇った勇気あるヒーローも標的にされた。

ぴえんすぎる。



そんな中、俺は無関係を貫き続けた。

標的にされたくない。


むしろ、山本くんの陰口を一緒になって言っていた最低なヤローだった。

全ては自分を守るためだった。



圧倒的強者への媚び。

それが俺の生存戦略だった。



悔しい。

でも戦える力がない。

そうするしかなかった。



だけどこの戦略も虚しく、いずれ俺もいじめの標的にされた。


「芥川菌」をなすりつけ合うゲームをやられた。

ワイを触って、その菌をつけて、きゃーと笑い叫ぶ男たち。

ほんまやめてと拒否する一軍女子たち。



寝たふりをして耐えた。


いつからか休み時間は寝たふりをする。

それが習慣になった。


そのせいでぼっちになった。



悲しきことに中学時代の記憶はほとんどない。


ただ耐えた。

そんな印象しか残っていない。



「高校は絶対に民度の高い私立に進学しよう。」

そう誓ったことは覚えている。



恋愛なんて糞食らえだ。

できるステージにも立っていない。



でもこの時期にオナニーを覚えてエロには目覚めた。


あいつとあいつがセックスしたとかそういう噂が流れ始めて、それを想像して抜いたりしてた。


あと、iPhoneが普及し始めた時期だったから、エロ画像を調べてそれで毎日抜いてた。



今思うと、当時のAV女優と今のAV女優ってレベルが違いすぎるよなと思う。

そうじゃない?




高校は念願の私立に進学した。

愛知県の中でも経営者の息子が多い高校だった。

民度は良い。


そして祖父と父の影響でゴルフ部に入った。

部員の9割が経営者の息子だった。


育ちのいい奴ばかり。

小学生時代に戻ったみたい。

俺も中学受験すればよかったと全力で後悔したな。



中学時代がひどかったから結構楽しかった。

アオハライドって感じ。


部活も緩かったし。

ゴルフ好きのおじいちゃんが顧問で遅刻しようが無断で休もうが何も言われなかった。

ただ授業終わりにゴルフできるっていう。

楽しかったな。



大会とかも出て、個人・団体ともに中部大会まで進んだ。

全国には行けなかったけど、プロで活躍してる子たちと回れたのはいい経験だったと思ってる。



願くば恋愛のアオハにライドしたかったな。


願わずだった。


何なら結構好きになった子に初めてちゃんと嫌われた。



奇跡的に学年でトップレベルで可愛い子と同じクラスになって(橋本環奈に似てたな)、ただ目の保養として見つめていたら、死ぬほどキモいと思われた。

晴れて、ガチャピンってあだ名をつけられて、陰口を叩かれるようになった。(涙目)



この辺から恋愛経験がゼロって事実にコンプレックスを抱くようになった。


周りの子とかは中学時代に童貞卒業してたり、元カノが2,3人いたりしてた。

だから「元カノの画像見せて〜」とみんなで見せ合ってた。


悲しきことにチェリーボーイはその会合に参加させてもらえなかった。



「あぁ〜。セックスしてみてぇ〜。」

「彼女ほしい。」

「お願いします。」


3年間、初詣の神社で祈り続けた。

初年度は10円で叶わなかったから、2年目は50円入れた。

でも叶わなかったから3年目は1,000円を入れてみた。


潔く神頼み。



でも叶わず。

神様、今からでも返金してくれますかね。




高3になっても受験勉強は一切しなかった。

アメリカに留学するって決めたから。

留学に必要な英検とTOEICの勉強だけをちょろっとしてた。


なんでアメリカに留学することにしたかって。

英語ペラペラの帰国子女の同級生のせいよ。


彼、めちゃ美人の子と付き合ったんだ。

全然、イケメンじゃないのに。

霜降り明星の粗品をチビにした感じ。


完全に美女と野獣だった。



それ見せられたらねぇ。

「ワシも英語という武器があれば、ワンチャン、モテるんじゃねーの。」っていう卑猥な気持ち100%で留学することに決めた。



YouTubeで英語の勉強法を調べまくった。

Atsueigoさんが大好きになった。



彼のやり方を元に最大効率で勉強したら、5ヶ月後くらいの勉強で英検準1級に合格して、留学の要件を満たせた。


この世には効率が良く、楽できるやり方があって、頭のいい人はそれを使ってるんだなと実感した。

記憶法とか勉強戦略ね。



要件満たせたから勉強は一切やめたよね。

封印してたゲームやりまくったし、スポーツ推薦で立教大学に進学を決めていた友達と遊んだ。

周りは受験勉強でピリついてたから、休み時間にモンストとパズドラやってる俺らはうざいって思われてたと思う。



でね、じゃあ留学したんですかって言われると、してないんだ。


あろうことか、10月末に親から「日本の大学に受からないと留学させません」という通告を受けた。


当時は「ふざけんな」って気持ちだったけど、今思うと事業が傾き始めてたんだと思う。

お金がかかる留学はやめてくれってのが本心だったのかな、おそらく。



確かにこの頃から羽振りが悪くなった。

ポルシェとベンツだった車がプリウス1台になったw



外食の頻度も著しく減った。

「冷凍食品を勝手に食べといて」って日が増えた。



当時は鈍感だったから気付いてなかった。

だから日本の大学合格条件をつけてきた親を恨んだよ。


「ってかそもそも残り3ヶ月くらいしかないし、どうすんの?」っていう。



悔しいからYouTube見まくって戦略立てた。

武田塾チャンネルは見尽くしたね。



運がいいことに短期間の勉強で慶應に合格した先輩と出会って、受験の攻略法を教えてもらった。



こりゃたまげたね。

3ヶ月しかないけど、トップ私立に合格できるって思った。



早稲田を目指して勉強を始めた。

試しにセンター試験を解いてみたら世界史は20点(100点満点)、国語は48
点(200点満点)で絶望したけど、それでも希望はあった。


年末のセンター試験は英語180点(200点満点)、国語 160点(200点満点)、世界史 97点(100点満点)まで伸びた。

センター利用での立命館大学の合格が確定した。


2ヶ月くらいの勉強で
要件満たせちゃった。


親は拍子抜けしてた。



せっかく勉強したから早稲田も記念で受けてみることにした。


そしたら受かった。



自分のことエネルだと思ったよね。

我が、神なり。



早稲田合格の情報を知ったクラスの女の子からも話しかけられるようになって、さらに我は神かと思った。

女の子から話しかけられるなんて、はじめてレベル。

まぁ勉強法聞かれてるだけだから、モテてないけど。



偏差値60越えのまぁまぁの進学校だったのに、早慶に受かったのは5人くらいだったもんだから、さらにさらに神みが増したよね。

全能感とは、これなりって感じかな。


今思うと美女を抱いた後に現れる全能感と似てるかもね。



留学の要件満たしてたけど、家族会議が行われて、早稲田に進学することにした。

留学ってただモテたかっただけだからね。

早稲田にいけるならそれでいいなと思った。




ってことで、早稲田編。


上京して、夢の大学生LIFE。

ウキウキワクワクよ。


親が適当に探してきた板橋区にある賃貸に住むことになった。

その地に初めて行って驚愕。

名古屋で住んでいた地域より田舎だった。

グレード下がっとるやんけと落胆したね。



東武東上線が人身事故率が鬼高い最悪の路線だとも知らなかったから、暮らしてみて、さらに萎えた。

出鼻をくじかれた。



大隈講堂で行われた入学式。

無論、友達一人もいないから不安の極みだったけど、たまたま隣の席に座った子と話すことができた。

そこの子の隣に座ってた子、その隣に座ってた子、みんなぼっちで不安だったみたいだから意気投合した。

こんな写真撮った。

右が俺。

ぼっちで帰宅という最悪の結末は避けれた。


大学デビューしたかった。

当時マッシュヘアが流行っていたから、髪を伸ばしたら、ただのキノコになった。

でもこれがかっこいいと思ってたのが草すぎる。



入学式で出会った子たちと新歓巡りをした。

それはそれはタダ飯祭りだった。

絶対に入らないサークルの新歓もタダ飯目的で行った。

社交ダンスサークルとか焼肉食べ放題が無料だった。

金ないからアリガタヤすぎる。



結局、ゴルフサークルと広告研究会に入った。


ゴルフサークルはお金がなさすぎて付いていけなくなって5月でやめた。

広告研究会は飲み会がウェイすぎて合わないなって思ってこちらも5月でやめた。


後に飲み会を仕切っていた1学年上の先輩は強制性行罪で逮捕されて全国ニュースデビューしてた。


ナンパして無理やりヤッたらしい。

違和感は正解だった。



ちなみに俺はお酒が全く飲めないとここで知った。

ほろ酔いを少し飲んだだけで頭痛・吐き気でダウンする。


シラフか体調不良か。

どちらかしかないから、酔って楽しんでいる奴らの気持ちが全く理解できなかった。


だからそういうノリの人たちを毛嫌いした。



中でもすぐ恋バナに移行しようとする先輩方が無理すぎた。

「彼女いるの?」とか「元カノの写真見せて」とか「経験人数は?」とか、下品な奴らがばかり。


本当のこと、つまり彼女いない歴=年齢で童貞であることを素直にいうと、バカにされるだろうなと感じた。

だから建前で嘘をつきまくった。



童貞は高校で卒業している、彼女は高校のときの習い事でできた、という設定を貫いた。



これは明確なコンプレックスになったよね。


「あ、恋愛経験ってあるのが普通なんだ。」

「俺、モテないんだ。」って。



サークルを辞めたせいで晴れてボッチになった。

基本単独行動。

講義中は一番後ろの席に座って、パソコンでずっとアニメ見てた。

ランチはぼっちを悟られたくないからコンビニでパンを買って、次の講義の部屋で座って食べることも多かった。




バイトをしよう。


時給が高かったから、池袋の4つ星ホテル ホテルメトロポリタンの結婚式のウェイトレスを始めることにした。


社員たちが鬼畜だった。

キレ芸のプロ集団かと思った。


何かとブチギレてくる。


研修中の5日目に結婚式場でコップの水を盛大にぶちまけて、ガン詰めされた。

涙目で帰宅して、すぐさま社員のLINEをブロックして、飛んだ。(ごめん。)




「もしかしてだけど、もしかしてだけど、俺って社会に不適合しちゃってるかも。」


早稲田合格直後の全能感に溢れたワイはどこへやら。

これぞ挫折って感じだよね。



大学でぼっち。

バイトも無理そう。

恋愛はオワコン。


彼女とかできたことないし、作り方とかわからん。

いつか告白されるんじゃね、それ待とうって感じだった。



ここら辺で「生きるとは?」ってことを考え始めて、うつ状態へと突入した。

それまでは自殺する人の気持ちが全く理解できなかったけど、「まぁ死にたくなるし、ほんとに死んでもいいやって思うのはわかる。」って感じるようになった。


むしろ、勇気があってすごいと。

すげー怖いと思う。

だけど、踏み出してすごいって。



東武東上線で人身事故が起こるたびに、俺もいつかそうなるんかなって考えた。



人生が便秘だったね。

すごい詰まってる感じ。



ほんと何もしてない期間だった。

だから記憶があまりない。


1日平均2回以上はオナニーしてたってことは確かな事実。

俺が1年間生産してたのは精子が付着したティッシュだけ。



今後の人生が見通せた感じで恐怖だった。

変わり映えのしない毎日を送って、孤独に死ぬだろうなって。


安い飯食べて、オナニーして、ゲームして。

そんな日々を繰り返してたら、気づいたら高齢者で。


もう全てが手遅れ。


生きてて辛いことの方が多い。

だからさっさと死んでしまえ。

それでいいとすら。


でも踏みとどまれた。

松ちゃんが【死んだら負け】って言うから。


ロジックはわからんけど、とにかく負けなんだ。

だから自ら命を断つなんてことはやめようと。


そして、こう考えることにした。



60歳の冴えないおじさんになった自分から20歳の現在にタイムワープしてきた。

そして、こう言われた。


「お前、このままいくと、死ぬほどつまらない人生を送るよ。」

「全財産を払ってでも過去に戻ってやり直したいって祈ってるよ。」


「やり直しのチャンスを与えたるから、精一杯生きろや。」



「人生なんて意味ないよ。」

「意味ないからこそ、どれだけ失敗してもいいじゃん。」


「やりたいことやろうよ。」

「どんどん挑戦しようよ。」

「戦おうぜ。」



この考え方は今でもある。


しょうもない人生を送ってしまった1回目の人生から奇跡的にタイプワープすることができて、やり直しのチャンスを神から与えてもらったって。




ダルビッシュ有も全く同じ考えしてた。

40歳になった自分がホームレスになって、お金もない、ご飯も食べられへんっていう状況を1回、自分で想像してみたんです。


そんな時に神様がいきなり現れて

『おい、お前、20歳の時のことを覚えてるか?あの頃に戻りたいか?1回だけチャンスやる。その代わり、できること全部やらへんかったら、またここに戻すぞ』って言われたら、誰でも絶対戻るでしょう?


で、僕はパッと目を開けて、たった今、神様のお陰で20歳の自分に戻って来たっていう体(てい)にしたんです。


そしたら、もう未来が見えてるし、当時の僕はプライドも高かったから、『このまま終わるのはどうしても嫌や、ホンマにちゃんとやらなアカン』と」


今こそが二度目の人生であると仮定して、

失敗を恐れず、欲望に忠実に生きよう。


この考え方が俺の行動のガソリンになった。

無駄な時間を過ごしてしまったなと感じたら、すぐにこの考え方を思い出して、ガソリンをチャージしてる。



ワイの欲望。

真っ先に浮かんだのがこれ。

「全系統の美女を抱きたい。」


ボンキュボンの峰不二子系統のお姉さん、ショートカットで吉岡里帆みたいな美女、六本木のラウンジで働いてそうな強気系美女、ゆきぽよみたいなギャル系とか、もう全系統。



しょうもない欲望かもしれないけど、しょうもない人間であることを受け入れた。



外見レベルは低い、出会いはない、口説き方も知らない。

モテの要素を何一つ持ち合わせていなかった。



今までは諦める理由にしてたけど、本田圭佑風にとんでもない伸び代がある人間だと捉えることにした。



どうすればモテるか。

必死に調べまくった。



美女と野獣は世の中に沢山いて、むしろ美女は野獣と付き合うことを知って、一つの希望になった。


独学で恋愛活動を頑張ってみた。

でも全然うまくいかなかった。


マッチングアプリを始めても3マッチ。

出会うことすらできなかった。



20年間、童貞の自分が考えることを信じてはダメだと思ったから、素直に恋愛のプロのコンサルを受けることにした。



恋愛経験ゼロのAさんと恋愛経験豊富なBさん。

どちらに教わりますか?と聞くと、

全員がBさんと答えるが、

なぜかそこに”自分”が含まれると選択を誤る。


経験が少ない自分のことを信じてしまう。

脳のバグ。



これに気づいて素直に人から教わるようにしたらすぐに結果出た。

最初のデートは酷かったけど、1ヶ月後には童貞卒業。

セックス大好きな痴女お姉さんだった。


初めてが生パコ。

オナニーの100倍は気持ち良くて何度昇天したかわからない。


渋谷の格安ラブホを出て、手を繋いで道玄坂を降りてたときに感じたあの高揚感は今でも忘れない。



一度でも成功すると自信が生まれる。

自信は行動からしか生まれない。

逆にいえば、まず行動すれば自信なんて勝手についてくる。



もっと経験を積みたくなった。

アプリでマッチした女の子全員にアプローチをかけた。

相手のレベルは関係なくだ。


コミュ力を鍛えるために1日3人と電話して、カフェデートの予定を入れまくった。



3ヶ月後には経験人数が5人になった。



本当に誰でもよかった。

当時の俺にあだ名をつけるとしたら性獣。


だってヤレるかどうかしか考えていないだもの。(みつを)


童貞に羽がついたら性獣に進化する。



恋愛は確率ゲームだと思ってた。

当時はロジックとか知らなかったから確率は低かった。


10人にアタックして1人抱けるくらい。

打率1割バッター。


でも逆に言えば10人にアタックすれば1人抱ける。

100人にアタックすれば10人抱ける。

1,000人にアタックすれば100人抱ける。



バカ理論に見えるが、やることはすごいシンプル。



100人斬りしてる男ってかっこいいなって思ったというか、一度きりの人生、男として生まれたのなら、それくらいやらなきゃダメだと思ったから、まずそこを目指すことにした。



特定の彼女ができても、他の女の子との出会いを増やすことは欠かさなかった。


毎回のようにアタックしてたら女性経験は50人をゆうに超えていた。


いい意味で失敗を全く恐れないから、確率が低くても女性にアタックし続けられた。


どれだけ恥ずかしい振られ方をしても、罵られても、10年後にはお互いに忘れてるし、死んだら無になる。


だから断られたってなんとも思わなかった。


マリオのスター状態。



でも深刻な悩みがあった。


女の子と長期的な関係は築けないし、相手のレベルが上がれば上がるほど全
く相手にされなかった。


自分がほんとにいいなと思った美人の子に限って、ほぼ100%の確率で失敗した。


結局、俺のやっていたことは、普通の子を普通に抱いてただけ。



今後、俺の目の前に、
価値観が合って、
ドストライクの女の子が現れたとき、
絶対に恋愛関係を築ける男になっていたい。


そのために今努力しないと、未来で確実に後悔する。



次のステージに行く必要があった。


童貞→性獣→魅力的な男(価値観の合う美女と長期的関係を築ける)




導かれるように新しい師匠に出逢った。

「この人なら自分の状況を打開してくれる」

実際に自分の目で確かめたときに期待が確信に変わり、この人から口説きを教わる決意をした。



人から教わると爆速で成長できる。

それは早稲田受験、童貞からの卒業。

人生の各ステージで身をもって体感してきた。


だから迷いはなかった。



美女と良好な恋愛関係を築く。

そのために必要な知識だけを吸収した。



すぐに変化を実感できた。



これまでは手も足も出なかった。

というかそもそも関わることすらなかったような女性たち。


モデル・グラビアアイドル・AV女優などの芸能系の女性、美に投資しまくる女性経営者、美容外科に勤める女医、JALのキャビンアテンダント、フォロワー10万人超えのインフルエンサー。

自身の美をお金に換金しているようなハイレベルな女性と体の関係を持ったり、カップル関係になれたり、充実した恋愛生活を送ることができるようになった。

前までは女の子のケツを必死で追いかけていたのに、女の子から告白されることも増えた。


初めて会ってから1週間で「結婚したい」と言われたのはほんと驚いたな。

関わる女性から、「この世にたった一人しかいない自分」という人間を選んでもらえるのは幸せなこと。


好きな女性と一緒に

カフェに行って楽しく話したり、
ちょっと高いディナーを楽しんだり、
仲良く手を繋いで夜道を散歩したり、

イヤホンを共有して
一緒に音楽を聴きながらベッドで寝転がったり、

旅行に行って人生の思い出を作ったり、

交わる体液、濃密S◯Xみたいな愛あるS◯Xをしたり。



これは好きな女性に選ばれた男にしかできない。



そして、「女性から選ばれ、愛される」という経験を積めば積むほど、自分に対する自信が内側から湧き出てくるようになった。



人を愛する素晴らしさを
恋愛を通して知ることができた。

これは人に愛されるようになったからわかること。



その頃に東京都港区六本木にも引っ越した。



そういえば、仕事のことは全然話していなかった。

少しばかり話そうか。



大学3年生の頃は時給1,100円のイベントスタッフ、ゴルフ練習場の受付とかをやって、恋活代を稼いでいた。

とはいっても月10万前後。


いつもギリギリな生活で、夜ご飯は、近くのかっぱ寿司で鉄火巻きを一つ、110円、それだけで耐えたりしてた。

無料のガリを沢山食べてお腹を満たしてた。




大学4年生になる頃にコロナウイルスが蔓延して、実家の会社が倒産。

親が自己破産した。

人生で初めて、親の涙を見た。


所有していた家は競売にかけられ、親はボロい家に引っ越した。

大学の学費が払えなくなったので休学することにした。



この頃には沢山の女の子と関わってたから、ご飯は女の子の家で食べて、ほぼヒモのような状態だった。



「俺が絶対に元の生活に戻してあげる。」

そう親に誓った。



何がなんでも稼がないといけない。

うだうだ言ってられなくなった。



最初にやったのは不用品回収。

0円で仕入れて、メルカリとかで売る。


商売脳がなかったから、こんなものしか思いつかなかった。



でもリスクが低いからとりあえずやってみることにした。

失敗を恐れず、欲望に忠実に生きよう。



まずはじめに、Wordで「不用品ください」という文章を書いただけのチラシを作った。

500部くらいを印刷して、世田谷区の高級住宅街でばら撒いた。


成城学園周辺の家をターゲットに投函した。


反応がなかったから、直接ピンポンすることにした。


「どうも、早稲田大学の芥川と申します。現在、授業の一環で不用品回収をしております。ご協力いただけないでしょうか?」という軽いハッタリをかまして、回った。


100軒のお宅のインターホンを鳴らして、99人には無視された。

ブチ切れてくる人もいた。



でも一人のおじさんが俺の行動力を買ってくれた。

「ぶっ飛んでるねw 君、面白いから協力してあげるよ」と。



実際、彼は家の不用品の処理に困っていた。


だから「俺が全部出品して、発送もします。不用品回収業者に頼むとお金を取られるけど、無料で全部やります。」と言ったら、いらない不用品を全部くれた。



お金になりそうなものはかなりあった。


ペーパーの中でもペーパードライバーだったけど、池袋でレンタカーを借りて、その人の家まで向かった。


途中、サイレント信号無視をしたり、シンプルに逆走したり、ペーパーの実力をしかと発揮したが、なんとか到着して、全部の不用品を回収した。


そのおじさんからの紹介で、別の家もいって、不用品を回収した。

車で2往復くらいした。



結果、家の中がゴミ屋敷になった。

回収したもので部屋が埋まるというとこまで想像していなかった。


水ダウに出てた自称骨董品屋の気持ちが少しわかった。



回収したもの全てをメルカリやヤフオクに出品して、売れたら発送する生活を続けた。

気合いでしかない。


50万円くらい稼げた。


アホみたいなやり方かもしれない。


でもバイトの何倍も稼げた。



売れ残りのせいで家は依然とゴミ屋敷のままだったから、ジモティで無料で譲ることにした。



普通に掲載しても引き取ってくれないからマンガを囮にした。


タイトルは「メジャー全巻を無料で譲ります。」説明欄に「他の不用品も引き取ってくれる方を優先的に返信します。」と書いたら、「なんでも引き取りたいです」という方が現れた。


彼は大きめのトラックで家まで来て、全ての不用品を回収してくれた。



晴れて、普通に住める家に戻った。



1週間後、茨城県警の警察から電話がかかってきた。


「芥川さんですか?不法投棄してますよね?」と。



どうやら、ワイの持っていた不用品を回収した彼は、茨城県の田舎で全部捨てたらしい。

ジモティでのやり取りをちゃんと説明したら、警察は彼を捜査してくれた。

これはちょっとヒヤッとしたね。



不用品回収は再現性がないし、家がゴミ屋敷になるから、他の仕事探そうと考えた。



営業に挑戦してみたいなって思ったから、光回線の営業会社に入れてもらった。



営業方法は訪問販売。

ピンポンで売るってやつ。


不用品回収の経験があったから何も怖くなかった。


むしろちゃんと会社の看板を借りて営業すれば普通に売れるんじゃねとか思ってた。



最初は苦労したけど、伝家の宝刀「人に教わる」を発動。


売れまくっているトップセールスに頭を下げて訪問販売で上手くいくための全てを教わった。


そしたら月の歩合報酬が100万円を超えた。



この頃から親に仕送りを始めた。


父は少し冷たかった。

プライドがあったのだろう。

母は泣いて喜んでくれた。



営業の他に、IT会社の経営企画にヘッドハンティングされて兼業で働くようになった。


常に社長の隣にいて、経営のイロハを教わった。



時が経過して自分でも事業を始めた。

越境ECサイトの制作やエアコンクリーニング、恋愛コーチング。



失敗を恐れず、欲望に忠実に生きよう。

常にこの考え方が幹にある。



失敗したものの多々あるが、後悔したことはないし、失敗という屍を積み上げたから上に登っていけた。



六本木に移り住んでからは毎日が刺激的だった。


一歩でも外に出ればハイレベルな美女が街を歩いているし、テレビの中の人と日常的にすれ違う。


カフェで隣に座っている人が1,000万円のノーチラス(腕時計)をつけてたり、ランボルギーニ アヴェンタドール、ロールスロイス ファントムなどの5,000万円を超える高級車が街を走っている。



もっと上を目指したい。

お金を稼ぎたいし、美女も抱きたい。



そんなことを自然に思える街だった。

海外にもよく行くようになって、どんどん自分の世界が広がっていった。

【ラスベガス、ロサンゼルス旅行記】マリファナ臭、グランドキャニオン、カリフォルニアディズニー

3ヶ月間のハワイ滞在記(発砲現場に居合わせましたw)




ちなみに恋愛コーチング事業を始めたのは、童貞だった友人がきっかけだ。


彼に恋愛のイロハを教えたら、すぐに彼女ができて、童貞卒して、彼からありえないほど感謝された。


そして、その彼女とも直接会う機会があって感謝された。

「彼と出会わせてくれてありがとう」と。



嬉しかったな。

家で一人で嬉し泣きしたよ。



誰かの人生が変わる瞬間に立ち会えるなら、そんなに嬉しいことはないって。



それで思うようになった。

魅力的な男性を増やして、幸せになる男女を増やしたいって。



恋愛コンサルって世間からは下に見られることもあるけど、俺は信念持ってやってる。



昔の俺みたいな悩みを持つ人を一人でも救いたい。



今の自分があるのは昔の師匠を含めた周りの人たちに引き上げてもらったから。



素直に人に頼ったときに、快く教えてくれる人がいたから、人生のステージを上げていくことができた。


だから、自分も同じように誰かの力になりたい。



どれだけ人生が辛くても、正しい知識をもとに行動していけば、現実を変えていける。



自分自身の体験から、そう確信している。



失敗を恐れず、欲望に忠実に生きよう。




最後に。


「成功すると決めた瞬間に成功している」という言葉がある。



あなたが「本気で変わりたい」と決めたのなら、それは必ず叶う。



過去に恋愛で辛いをしたかもしれない。

トラウマになっているかもしれない。


ひどい振られ方をしたり、
最愛の女性から裏切られたり、
真剣な気持ちが相手に届かなかったり。



恋愛をする。

つまり人と深く関わっていくことに失敗は付きもの。



ただ、これだけは言えるのは、その辛さは、その悔しい思いは、長い目でみれば無駄ではないということ。



悔しいという気持ちは前に進んでる証。



頑張ってるからこそ、悔しいって感情が湧き上がってくる。

頑張ってるから、辛くなる。



大丈夫。


絶対にあなたの頑張りが報われる日が来る。

必死に生きてきた過程が報われる日が来る。



俺はいつでもあなたの味方です。



そして、俺もまだまだ上を目指して日々戦ってる。


壁を越えたと思ったら、次の高い壁に絶望する日々だ。


でも越えれたときの喜びを知ってるから、これからも頑張れる。


これからもその過程を公開していく。




一度きりの人生。

後悔ないように戦う。

そんな人生の仲間に、
あなたもなってくれたら嬉しい。



俺の人生を包み隠さず、語った。

悩んでいる人を少しでも勇気づけることができたら嬉しい。



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最後に、こんな長い文を最後まで読んでいただき、有難うございます。

僕の経験が何かを掴むきっかけになれば幸いです。

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