普段オリジナル書いてる人間が二次創作をしてみた感想

ここで何度か書いている通り、筆者は趣味で小説を書いている。しかし、二次創作とはとんと無縁であった。
なぜなら筆者は過激派原作厨という業を背負っており、二次創作との相性はすこぶる悪かったからである。そんな筆者が二次創作にうっかり手を出したのは、たまたま「好きなもの(作品)」と「できること(執筆)」と「やりたいこと(二次創作)」が一致したからだった。

先に結論を書いておく。
楽しかったが、とても大変だった。

多趣味な筆者にとっての「小説を書く」という行為は、いくつかあるアウトプット手段のひとつである。
文章を書くのは誰でもできることだが、きちんと読んでもらえる文章を書くとなると大変だということは、文章系の創作をしたことがある人ならわかるだろう。

初めての二次創作は中学生の頃。同じ趣味の友達と本の貸し借りをしたり、お互いの推しを描いた絵を交換したり、一緒にリレー小説を書いたりしていた。黒歴史というやつである。
当時の筆者はいわゆる腐女子であった。
高校生になってはじめて同人誌というものに出会い、それから社会人になるまで友達と一緒にオタク活動は続けた。
社会人になってからは創作とはほぼ無縁になり、学生時代に打ち込んだ絵も描かなくなったが、代わりにブログをはじめて、同時に海外小説を読み漁っていた。

文章をネットに投稿するという事に耐性がついたのはその頃の影響だと思う。
そうしていつしか自作の小説を書きたいと思うようになり、小説の書き方の知識をつけたり模写したりプロットを作ったり書いたりしていた。

その間の二次創作との付き合いは、たまに好きな作品のファンアートを見たりする程度。web小説は勉強のために時々読んでいたが、オリジナルのみ。理由は冒頭に書いたとおりである。

そんな筆者が二次創作に至ったのは、とあるゲームがきっかけである。クリアして、「楽しかったな」と思いながら他の人の感想を検索していたとき、偶然にも腐女子界隈に再会した。妄想話に花を咲かせる彼女たちの熱量がスマホ越しに伝わってきて、筆者もうっかり妄想に浸ってしまったのである。
それまで数年間、オリジナルの小説を考え、出力するためにトレーニングを積んできた結果かどうかは不明だが、その妄想は文章として鮮明に脳内で構築されていった。この素晴らしいものを誰かと共有したいと思うまでにそう時間はかからなかった。

しかし、二次創作界隈を離れて幾星霜。小説を書きたいという熱意をこんな形で出力していいのだろうか。二次創作は原作への冒涜であるとすら思っていた人間が手を出してもいいものか。筆者は迷った。どのくらい迷ったかというと、時間にしておよそ三日間である。
その間にも妄想はより具体的な文章となっていって頭の中に留めておくにはしんどくなり、気がついたら執筆していた。

書き上がったものは一万文字ほどの短編。設定は原作の中に充分あったし、王道ストーリーということでプロットを作ることなく一日で書き上げた。
その後二日かけて推敲した。何度も読み返して、悪くない、と思った。

気がついたら投稿していた。
二次創作のお作法的なものは腐女子時代に通っていたから、それほど苦労もしなかった。それでも何度も確認した。この時ばかりは他の人が書いた二次創作小説も何作か読んだ。
そうして投稿したものはありがたいことに、たいして供給の多くないジャンルの中でも良い部類の評価を得た。
今まで積み上げてきたトレーニングの結果が現れたと思った。自分の文章はある程度「読むに耐えうるもの」であるという自覚ができた。

しかし、それで二次創作をしたという後ろめたさが消えるわけではない。評価されたのは原作のおかげだと思うと、いいねの数もあまり喜べなかった。しかしなぜかそのジャンルの中でも評価を得ている拙作。権利者に対しても他の創作者に対しても申し訳なさしかなかった。
そんな中、さらにありがたいことにコメントをもらった。ぜひ続きが読みたいというものだった。

オリジナルの小説にコメントをもらったことなどない。これが二次創作の効果なのかと思いつつ、二作目の執筆をすぐに開始した。

しかし、これがなかなかにしんどかった。なぜならその作品への熱量が早くも冷めつつあったからである。
筆者が二次創作を許容できるのには条件がある。そのうちのひとつが「それほど好きでもない」という点だ。
生涯をかけて推したいほどの作品がある。語り出したら何時間でも語れる。しかし、その作品の二次創作は見たいとすら思わない。とてもではないが自分で二次創作をしたいなどと考えたこともない。
その点、投稿した作品の原作は「面白かったけどそんなにハマるほどのものでもない」という距離感だった。だからこそ二次創作ができたのかもしれない。
しかし、それ故に冷めるのも早かった。二作目を執筆中にすでに作品から気持ちが離れつつあった。その間にもじわじわ増えていくいいねと閲覧数。
続編に需要があるのは明らかだった。コメントをくれた人の気持ちにも応えたい。

そうして義務感だけで書き終えた頃には、「自分何やってるんだろうな…」という感情でいっぱいだった。
短編といえど、ネタを考え執筆して推敲するとなるとそれなりの時間がかかる。執筆中には脳がフル稼働しているからかなり疲れる。もちろん無料で公開しているから、得られるものは閲覧数といいね、稀にコメントくらいだ。
ただ、書いている間は楽しかった。自分の中の創作意欲がガンガン満たされており、細かい設定はすでにあるので、やることは頭の中で構築したストーリーを文章に起こすことのみ。大変ではあったものの、とても充実していた。

そうして出来上がったものは、やっぱり「悪くない」と思えた。

二作目は推敲に約一週間かけた。単純に仕事で疲れて平日は作業できなかったとか色々あるのだが、投稿するのにある程度の覚悟が必要だったという理由もある。自分の中で、二次創作というものに折り合いをつける期間でもあったと思う。

ここで二次創作について語ったところで、別名で投稿した作品を読んだ人に届くわけではない。だが、小説投稿アカウントで創作中に考えていたこと(しかもネガティブ)について語るのは憚られたので、こうしてここに投稿することで溜飲を下げようと思った。

この経験をきっかけに、筆者の執筆意欲に熱が入ってしまったらしい。二作目を投稿後、二次創作への意欲は完全に消滅したが、一次創作の方に取り掛かってしまった。
小説を書くという作業は無だ。完成するかも分からず、完成したところで人の目に届くかどうかも不明なものに何日も何週間も何ヶ月も消費することになる。それでも理想の物語を作ることができるのが楽しくて、資料を集めたり設定を考えたり、文章を構築することがとてもたのしい。

正直、AIが自然言語を操れる時代にわざわざ小説を書くという趣味も時代遅れなのかもしれない。しかし、筆者は自分の理想の物語が誕生するまで書く手を止めることは出来ないと思う。

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