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「オヤカク」に背筋も凍る

いつものようにNHKニュースのヘッドラインをチェックしていて目に泊まった「オヤカク」「保護者が就活に」という見出し。その字面だけで日本社会の歪みがひしひしと表れているような気がして、早速記事を読んでみた。


オヤカクとは

親確。就職活動において、企業が学生に内定を出す際に、保護者の確認を事前に取っておくこと。子どもの内定企業から保護者に内定への賛否の問い合わせの電話が来たり、「入社誓約書」などの文書に保護者の署名を求められたり、方法は様々。2024年1月のマイナビの調査で、保護者851人のうち、子どもの内定企業からオヤカクを受けた人の割合は52.4%に上る(NHK NEWS WEBより)。

成人であるという意義

2022年、明治時代から約140年間に渡り民法で定められて来た20歳という成年年齢が、18歳に引き下げられたばかり。民法における成年とは、
・一人で契約をすることができる
・父母の親権に服さなくなる
とされる。つまり大学、大学院を卒業する頃の個人に自分自身で就職先を決定する権利があることは、民法の記述を確かめずとも常識的に判断できることだろう。それが今、就職活動に親の意思表示が必要になるとは、時代を逆行どころかまるで明治時代以前の大昔にタイムリップしたような感覚を得る。

ここからは私の推測だが、オヤカクの広まりの背景の一つに日本の教育現場の衰退と時代錯誤があるのではないかと思う。ブラック校則などにも見られるように、学校内でのトラブル回避のために過度なコントロール体制が敷かれたり、保護者との対立やいじめを防ぐために、行動や発言は全てお手本に書かれたもの以外は認められていなかったりと、子どもが自分で何かを決定する機会が極端に減っている。優柔不断になった子どもは決定を大人に委ねるしかなく、初めての就職も親のお墨付きがなければ契約がうまく運ばない。

私の住むスウェーデンでは、極端に言えば生まれた時から個人の決定が尊重されているようなものだから、高校生にもなれば自分の成績表さえ親に見せるか見せないかは本人の意向に寄る。企業が就職の件で当人の親に連絡をするなどあり得ないことだ。成人の契約は当事者間で成立しているのだから、何か事件性があるだとか、よっぽどのことがなければ親族でも口は挟めない。

それがこの日本のオヤカク事情。成年年齢は引き下げられたのに、成人の実態と言えば、およそ成人とは呼べない精神年齢の低さになってはいないか。

保護者がいわゆる毒親なら

百歩譲ってオヤカクの必要性が認められたとしても、保護者が皆必ずしも子どもの意見を尊重し賛否や署名をしてくれるとは限らない。成人することによって保護者からの虐待や過干渉をやっと逃れ、苦労の末自立している学生もいるに違いない。自身の努力によって得た内定に、意見が一致せず理解のない親の意向を反映しなければならないとなれば、これは人権侵害だ。しかももう未成年ではないのに、というところに大きな問題がある。オヤカクに法的な効力がないとしても、これによる内定取り消しがさも簡単に行われていることは想像に難くない。

企業側の努力不足

企業が親に頼らなければならないのは、企業側が時代に合ったリクルート、職場環境の整備を怠っていることも原因の一つではないだろうか。正直、オヤカクを行う企業だと分かった瞬間、その企業への就職は考えものなのではないかと私は思ってしまう。賃金、福利厚生、残業の有無や職場の風通しなど、新入社員が離れやすい環境であればあるほど、企業は親の意向や署名を切り札に優柔不断な「子ども」を囲みたくなるのではないか。

さらに加速する技術の進歩やグローバル化、多様化、今の若者の傾向に柔軟に対応し臨機応変に新しい形を作って行ける企業ならば、個人を個人として認め、尊重することで社員の成長を促し、それを元に事業も成長させる。歪んだ保証や免罪符は必要ないはずだ。

オヤカクに疑問を持つ力

この記事を読んで一番寒気がしたのは、オヤカクが疑問視されず、画期的な手法としてある程度受け入れられてしまっていることだ。NHKの記事に載せられた保護者同伴の入社オリエンテーション風景、保護者向けパンフレットなど、私にはとても異様な光景に思えてしまう。

学生の不安を軽減して入社してもらいやすくするという考えは理解できても、このやり方は果たして社会にとって本当に役立つやり方なのだろうか。少子化も相まって、日本の「子ども」はおかしな方向に過保護にされているような気がしてならない。「オヤカク」は今の日本の社会問題が折り重なってできた象徴的な風潮ではないだろうか。その問題点に気づく日本人が一人でも多くいてくれればと願う。

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