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近頃の診療録の書き方

「先生、先ほど〇〇さんが呼吸停止しました」
朝5時頃私の携帯電話に看護師の悲痛な声が聞こえた。
「〇〇さんは、看取りの予定ではなかったですよね。比較的元気に歩いていた」
「ただ2週間ほど前にコロナにかかっています」
「なるだけ早くいくから、呼吸停止、心停止を見つけた時間を書いておいてください」
「家族様には連絡しますか」
「もちろんです」

私が着いた時には家族もすでに部屋にいた。妻と、娘と息子の3人だった。
相談員からは「ご家族様が、どのような死因だったかの説明を求めています」と言われた。説明を求めるという語感に、家族がこの突然死について不信感があるのを感じないわけにはいかない。私はまったく生気がなくなって静かな顔の〇〇さんをみてから、「この度は急なことで」と言うしかなかった。家族と私と、施設の相談員で下の会議室に向かった。

説明する前に診療録を確認した。
2週間前にコロナにかかりしばらく面会ができなかった。コロナの発熱は3日間でそのあとは普通に過ごしている。2日前から食欲が落ちていた。前日の診療録にはこう書いてあった。

笑顔で半分だけ食べて「もういらない」といい、残された。

相談室で家族と面談した。
「コロナ中は面会ができなくて、つらい思いをさせました。そのあとは熱もさがり、順調だったようです。ただ2日前から食欲が落ちていたようですね」

と先ほどの「笑顔で半分だけ食べて・・・」のところを指さした。

この文言に私は救われた。
もしこれが、単に
「食事半量摂取」と書かれていたらどうだったろう。

最近の診療録は家族の求めに応じて見せる。不信感を持たれたら書いている内容はさらに読み込まれる。

最後ま笑顔で食べていたという言葉は家族に安堵をもたらせた。
「あまり苦しまなかったんですよね」

「このような場合は急性心筋梗塞か、脳幹の脳梗塞の可能性があります。もともと心電図をみると既往はあったみたいなので、急性心筋梗塞を死因にしますがよいでしょうか。ご希望なら解剖もできます」

「解剖はしないでください。本当に皆様にはよくしていただいて」と妻のその言葉に二人の子たちも納得していた。

ついつい私たちは医学用語で診療録を書いてしまうが、わかりやすさからすれば「食事摂取」より「笑顔で食べた」の方がよい。
「薬を投与する」より「薬を出す」方がいい。薬は投げて与えるものではない。
さらに奇妙な医学用語はできるだけさけるべきだ。よく診療録はドイツ語ですよね、と聞かれる。施設ではドイツ語など使うべきでない。なぜならば暗号をつかっているように思われるからだ。だからカルテとも言わない、ムンテラもステルベンも使ってはいけない言葉だ。

笑顔で半分だけ食べた。これを書いた介護士には感謝している。



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