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2004年 映画 猟奇的な彼女 を17 年ぶりにオリジナル字幕版でみた。その感想。と2004年の感想!

韓国映画を見ていないと書いたが、かつてのBLOGの2004年に「猟奇的な彼女」見たとあった。残念ながら吹き替え版だった。韓国語の吹替はすごくむずかし。見かけは変わらないけど、言葉のリズムが全く違う。ただこの映画の場合、表現が奇抜でニュアンス物じゃないので、何語でもいいのかもしれない。この時、きちんと字幕版で見たらどう感じたろうか。

2004.12.25 映画 猟奇的な彼女2001年版

 チョン・ジヒョン主演の「猟奇的な彼女」を見た。
今頃見たわけで、テレビの吹き替えだったので、でたり入ったりしながら見ただけで、きちんと見たわけではない。ただ主演のチョン・ジヒョンの魅力ははっきりわかった。ものすごく美人というわけではないが、今の日本の女優にないエネルギッシュな感じが、それでいて「品」を感じた。それは今の韓国のタレントたちに共通する、「品」のよさだ。
日本のタレントは、テレビのキャスターが育ちのよさと、「品」を売っているが、韓国の女優たちはその「品」のよさがほのかに感じられる。それは日本の芸能界と、韓国の芸能界のちがいかもしれない。
話は飛ぶが、ベトナム人は韓国人があまりすきではない。現在のベトナムには韓国の影響が強い。ホーチミン市の一番のデパートは韓国資本だし、かつて日本の車が多かったが、今やほとんど韓国の車、バスやトラックも含めて多くなっている。工場も多い。そんなわけで、ベトナム人は韓国企業、会社の労働者という立場ということもあるが、韓国人の人使いの荒さに少し驚いているようだ。そして何より、韓国人は、すぐかっとして感情的だという。
そういうところは今はやっている韓国映画からは想像できない。
僕も韓国人というと、血気盛んというイメージがある。もっとも、在日の韓国人、朝鮮人の知り合いは、皆インテリで、日本人よりかえってクールな気がするが。
「猟奇的な彼女」では、根本的な笑いが、
日本人とほとんど変わらないことが面白かった。それほど、日本と韓国は似た文化だということだ。
ただ韓国の男子には徴兵があって、そいうどうしようもない国家に対しての「忠誠」というか、現実があり、韓国の男はどこか現実的に見える。
かえって、徴兵のない日本の男のほうが、暴力に対して、憧れがあるのだろうか。韓国では映画のなかで、武器を持った兵士がでていても、当然不自然な気がしない。そういうところが、映画を作る側としては、無理やりリヤリティを狙わなくても、そんなもの日常だから自然に扱える。
映画はとても面白かった。きちんとみてないのに、無責任だが、しかも吹き替えだ、なのにとても面白いと感じた。今まで韓国の映画を僕はぜんぜんみていない、不勉強だった、と思った。ビデオでも見ていない。遅ればせながらこれから見てみようと思う。
一時期、香港や、台湾、中国の映画は続けて見ていたが、韓国がこれほど、楽しめる映画を作れるとは、驚きだった。単純に映像が、綺麗すぎるところもあるが、素直で好きだ。悪ぶったところもなく、芸術ぶったところもなく、自然で好感が持てた。
なにより、チョン・ジヒョンの魅力いっぱいだ。いったい日本だったら、誰だろうと考えたがあてはまる女優はいなかった。昔の女優にいたかもしれないが、今の女優にはいない。
韓国はヨンさまばかりではないことを、もっともぼくはヨンさま、もよくしらない。冬のソナタをみていない。それでもテレビでちらっとみた、この「猟奇的な彼女」を見て、「僕の彼女を紹介します」を絶対みてみたいと思った。
さっきベトナム人にとっての韓国人について語ったが、韓国人はすぐ怒るということだったが、それでは日本人はどうなのと聞くと、たいていベトナム人は日本人はやさしいから好きだという。あまりおこらないと。それでもどこか日本人の嫌いなところがあるだろうと聞くこと、
日本語通訳の女の子は、日本人旅行者をガイドしているときは、とても楽しく、うまくやれたと思ったのに、数日後、日本の旅行社からクレームがきて大問題になるという。
その場でいえよ、と思うが、日本人はその場は不満でも、あまりクレームはいわないらしい。いかにも日本人らしいエピソードだ。

2021年この2004年の記事を読んでから、わりと真面目に「猟奇的な彼女」を見た。このころはまだビデオではなくフィルムで撮っているようだった。デジタルになってから、映画は革命的に変化した。それは感度という問題だ。
写真にとってもフィルム時代の感度は問題だった。ただ映画程じゃない。映画は50分の1秒か60分の1秒で撮るのが基本だ。フィルム時代は通常秒間24コマなので、下は写真でいう、24分の1秒となる。明るいほうにはシャッターの開角度で、ある程度の自由度があるが、暗いほうに自由度はない。
デジタルになっても、写真とくらべると映像のシャッター速度に自由度は少ない。
何より、コマ数があるので、それ以上のスローシャッターが切れないからだ。
写真は日常の暗さのなかで、ブレという問題があるが、三脚を使えば1秒から何時間でも露光できる。その上写真にはストロボがある。
映画時代、照明なしで室内や夜撮ることは考えられなかった。今は写真と同じように、地明かりを利用して撮ることができる。ナイトシーンは一目瞭然だ。夜の空が人間の肉眼以上に明るくとることもできる。
デジタルになって、映画はシャッター速度はそのままでも、感度という武器を得た。(もちろん写真もスナップなどでの恩恵は素晴らしい)感度が高いため人間の目と同じぐらいの明るさを表現できるようになった。最近の韓国ドラマは、HD、4K、もはや撮影で8Kも可能だ。日常の明かりの中で撮影できる。スマートフォンのスクリーンの明るさだけでもOKだ。肉眼で見た雰囲気最小限で可能だ。カメラも小型なものもある。今の韓国映画、ドラマの進化は、デジタルカメラ機材を積極的に使っていることもあるだろう。
さて猟奇的な彼女、やはり僕は韓国語のリズムばかり聞いている。意味なんてかどうでもいい。いや字幕だからわかるけど、言葉のリズムに魅せられる。韓国人は地縁より、血縁だといわれる。人間関係が濃密だ。感情表現が激しいい。ある意味映画的なのだと思う。いや、絶対に、表現を発明している。日本映画だって戦後の日活映画のように、ラブシーンをいろいろ発明した。しかしテレビが生まれて、映画は衰退する。日本人はテレビに熱狂した。韓国は、20世紀末から発展した若い国だ。大韓民国は1948年からなのでたった73年しかない。物的歴史は非常に少ない。まあ、日本語、可燃文化物を多く持っている国も珍しい。それが歴史上一番古い国だからだろう。殲滅させれた歴史がない。世界中歴史は、国が変わるたびに歴史は書き換えられる。中国がその最たるものだろう。中国は民族というより、その土地の支配者の国だ。
猟奇的な彼女を見て、主人公チョン・ジヒョンは、スレンダーで、登場前半のかわいいけど、表情は醜い、性格も最悪だけれど、身長172センチのモデル体型は、映像に撮るとよさばかりが目立つ。それより男が、蒼井優の旦那の山ちゃんに見えて、思いれが入らなかったけど、ラストシーン再開の場面でかっこよく見えるたのは、映画は見かけだけじゃなく、そういうマジックもあるということだろう。現在の韓国映画に、クソリアリズムはない。賞を撮った映画「半地下家族パラサイト」も、そのうち書くけど、デフォルメしたリアル」構造のアート的だった。ストリーも、役者もシナリオも、映像もどこを切っても映画だった。見ることに徹してカメラマンからの目でも、多くの気づきがあった。元来映画と写真は似ている。テレビはその、不幸的な低解像度時代が長かったために、撮影やライティング方法が独自だった。そのため、今の日本のテレビドラマを見ていて、気になるカメラワーク(不快)が多く、刺激にならないので見る気が起きない。テレビの世界ではカメラマンは、オペレーターで、権力を持っていないだなと思う。動くものは取れても、何もないところでは撮れない。写真家は、何もないところでも撮れて一人前というところだろう。とりとめもない、こと、これは決して映画評でもなんでもなく、映画を見ての感想と展開、思い付きです。
横木安良夫

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