あの日。

具体的な日付までは覚えていないけど、忘れられない出来事がある。

その日は日曜日だった。

日曜日といえば、父の休みの日であり、父の実家に行く日でもあった。

父の実家のある地域は田舎で、周りは田んぼしかない。コンビニどころかスーパーマーケットも近くになく、行くとしたら車を走らせるしかない。住んでいる人の年齢層は高く、当時小学生だった僕と同じくらいの年齢の子を見かけることはなかった。

父の実家には行きたくなかった。田舎だから、という理由よりも勝っていた理由がある。父の実家に対する嫌悪。それが行きたくない理由だった。

テーブルの上に乗るごはんに集る蝿、ごちゃごちゃと溜まっている物とそれにくっついてくる埃、かなりの数の煙草を吸う祖父。方言や訛り、そもそもの滑舌が問題で、祖父母が何を言っているのかさっぱり聞き取れないし、遊び道具が一切ないので、暇潰しもできず、ただただ苦痛な時間が流れるだけのその空間に、僕は耐えきれなかった。いとこがいれば、いとこと遊ぶなんてことができたのだが、そんな頻繁にいとこは父の実家に来ない。

毎週日曜日、父の実家へ行くのは、ほぼ強制だった。行きたくないと告げると、父はあからさまに不機嫌な顔になり、怒った声を出し、無理矢理連れて行こうとする。いとこがいると嘘をつくこともあった。

あの日も日曜日だった。

僕が風邪をひいて、熱を出しているにもかかわらず、僕を父の実家に連れて行こうとする父に、母は反対した。

結果、勝ったのは母だった。ゆえに、僕は父の実家に行かなくて良いこととなったが、未だに力強く閉めるドアの音と、不機嫌な顔、怒声を忘れることはできない。

──そして、父のミイラのような見た目も。

あの日僕が風邪をひいていなければ、
あの日母ではなく父が勝っていたら、
あの日父が何が何でも僕を父の実家に連れて行っていたら、
僕は父が倒れたその瞬間を目の当たりにしていただろう。そして家に帰ることもできず、学校に行くこともできず、あの嫌悪しかない父の実家にしばらくいることになっていただろう。

あの日は、きっと「何か」があったに違いない、と今でも思う。


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