或奇怪忍法伝~参ノ苦無~

一階のロビーで突然、鼻血を出した男性に受付の女性は、すみやかにティッシュとバンソウコウを差し出した。その迅速な対応に私は感動を覚えた。

人の善意に基づいた行動は見ているだけで気持ちのいいものだ。

そのバンソウコウが何を意図していたのか?今の私には、はかりかねるとしてもである。

ある日の午前、社内のエレベーターで私は人の良い二人の後輩と乗り合わせた。

到着した目的のフロアで私が『開く』のボタンを押していると、その二人が、お先にどうぞの、お譲り合戦を始めたのだ。お先にどうぞ、いや、お先にどうぞと、どちらも譲る側の立場を決して譲ろうとはしないのである。




業を煮やしたるは先に小次郎、腰の柄を握り高速の踏み出し。抜刀とともに地と水平に弧を描いた斬撃は、そこにあった胴体を真っ二つに斬り離していた。

まだそこにあれば

天空を舞う妖艶なる影、その背に笑う上弦の月、精霊の奏でるは美しき笛の調べ。肩から抜き出す様に投げつけられた半蔵の短刀を小次郎は嘲るように振り払い、鳴るツバ音の数は壱。

間合いを読み取り、目前に弐の指を突き立て、暗雲立ち込めたるは詠唱、轟く雷鳴、纏う火花、結ばれた印の数は漆、何かを放とうとした刻、半蔵に私はこう叫ぶ

「やめておけい」

目を向ける事なく微かに頷き、詰め寄る闘気の先に蒔くマキビシ。角から角へ飛び回るその幻影のみを何度も斬り裂く小次郎の所有物、妖刀『謝血苦』

小次郎に放たれたクナイの数は参。その弐までは振り払うも、これが真意と眉間に迫り来る本手の鋭利なる光。上体を反らし、かすめる頬に滲む赤。芽生えた焦りの念がそれ以上の汗を伝わせる。

地を刺す短刀に足を取られた刹那の隙を見逃すまいと、放たれた半蔵の前蹴りに、踏ん張る体勢にない小次郎の体は宙に浮き、吹き飛ぶ形で扉の向こうへ、二転三転、四転五転の後、うつ伏せでその場に静止した。




最後の力を振り絞り体を返すと小次郎は
「譲りいただき、かたじけない」
そう言い残し気絶した。

「ボタン押しとくから先通っていいよ~」
「御意」
半蔵はそのまま午後の会議で使う巻物を受け取りに書類管理室のほうへ足を運んでいった。

人の善意に基づいた行動は見ているだけで気持ちのいいものだ。

私は小次郎を担いで、また一階のロビーへと降りていった。


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