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社会人デビュー

学生生活を終え、就職して社会に出たのは24年前です。
まさに就職氷河期でした。
私は建築系の修士課程を修了していますが、学部の卒業から2年で新卒の就職環境は相当悪化したのを覚えています。
はっきり覚えていませんが、4、5社ほど受けて就職先を決めることができたので、とてもラッキーでした。ただ周りの同期(もちろん院卒)を見てみると、まったく就職が決まらないし、決まったとしても地元の小さな工務店などひどい有様でした。小さな工務店がダメなわけではないですし、大手にはない魅力があるのはよく知っていますが、院卒の学生の立場からすると、大手ゼネコンや設計事務所を目指してきたのですから、大半が不本意だったのではないかと思います。

当時、理系の大学では研究室の教授が紹介してくれた、そこに入社できるものだという話がありましたが、全くもってそんなものはありませんでした。
企業側も背に腹は代えられない状況だったのでしょう。新卒を取らないわけではないけれど、最小限にしたかったのだと思います。教授に頼まれても無理なものは無理といったところだったのかもしれません。
私の就職した会社で、のちにバブル期入社の先輩たちに聞くところによると同期は100人以上いたと。我々は20名だったと記憶しています(一般採用の女性など含めて30名程度)

入社式は新宿にある東京本社で、数日間は大崎で研修でした。独身者の社員寮があり、そこで同期と仲良くなりました。
入社研修後の配属は大阪支社の設計部で、これから人生が始まるような高揚感がありました。同期も二人いて、同じ寮で安心感もありました。
配属初日、支社内のあちこちに挨拶して周りました。その後、配属の課でM課長とOJTのK先輩と一緒になりました。私が配属された日は、ちょうどK先輩がリーダーをしているプロジェクトの最盛期で、明日が客先へのプレゼンの日でした。にもかかわらず資料作成で遅れている状態で、
K先輩に
「桐山君、パソコン使える?」
と尋ねられ、
「え、はい」
と答えると、使ったこともないCADソフトを使って、手書きの下絵のように書いてほしいとのこと。
この頃は、ちょうど会社で一人一台パソコンが配布され、上司も先輩もまだまだパソコン操作になれていない時代でした。K先輩は自分では分からないので、女性事務スタッフのFさんから操作方法を教えてもらいました。
ちょっと操作感にクセはあるものの使いやすく作られたソフトのようで、要領をつかめば、それほど難しくもなく、たまに分からないところがあれば、Fさんに聞けば何とかなりました。
しかし、課長や先輩が作ろうとしている資料は相当な量があり、定時などあっという間に回っていました。
気が付けば、次の日になり、結局、初日から徹夜となってしまいました。
今ではあり得ないと思うが、その時は、大変ではあったが、頼りにされ、貢献できたがうれしいという気持ちと清々しさがあったと思います。
ちょっと過去を美化しすぎているかもしれません(笑)

その後、寮に帰って、寝て、昼ぐらいに二日目の出社をしました。そういう点は結構ゆるい職場でしたね。

私の社会人デビューはそんな感じでした。
みなさんの社会人デビューはどんな感じだったでしょうか?



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