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26:30の残像

-明日なんて来なければいい。

君はこの世の全てに興味が失せた顔で言う。
池袋の安いラブホテルの深夜26:30。
薄い光を放つテーブルライトに照らされる女の顔は半分陰っていた。
この時間にこんな言葉を吐く女。
ありきたりすぎてため息が出そうだった。
そんなことを考えつつ、彼女の言葉の重みは少なからず僕の心をざわつかせていた。

三秒間の沈黙の後、僕は言った。
「俺は君のいる明日なら来てもいいかな」
そんなくさいセリフが吐けるのも、
この女に大した情が湧かないからだろう。
ライブに来ていたファンの中で
1番好みだったから打ち上げにも
連れてきた女だった。

女はふっと笑い、肌が触れ合う距離まで近くにもぞもぞと移動した。
香水と汗の混じるにおいがふわっと香る。
あまり好きではないが不快でもない。
触れ合うあたたかさは心地よくて、
僕はこの温もりと脱力感に呑まれて一刻も早く
幸せな夢の世界へ飛び込んでしまいたかった。
しかし、妙に先ほどの女のセリフが頭に残る。

-嬉しい。でもね、私怖いんだ。
なにも変わらない明日も、そんな日々が続く未来がくるのも。

ああ、この子は少し前の僕に似ている。
頭を撫でてやりながらぼんやりとそんなことを考える。
一年前の僕も布団の上で一人、同じようなことを考えていた。
やりたいこと。やらなければいけないこと。
欲しいもの。叶わない目標。
だらしのない自分へのやるせなさや怒り。
そんなことが頭の中をぐるぐると回り、
取り止めようのない不安や恐怖となって襲ってくる。
そんな夜が嫌いだった。
でも現実から目をそらすために動画アプリで
気を紛らしたり、チャットアプリで
同じように眠れない人と話したり
愚痴をぶちまけたりする、
そんな時間は好きで、ずっと夜が続けば
いいなあなんて考えていた。

昔のことを思い出していると、
「眠い?」
と微笑んで女が言った。
不意に彼女が愛おしく感じて抱き寄せた。
「夜が終わらないと君も変われないよ。
朝が来てなにもかも変わっているなんてことはないけどさ、終わらせたくない夜を終えることができたら君は少しだけ変われるはずだから。そしてね、いつか夜を超えたなら止まってはいけないよ。そのまま考える間もなく進むんだ。そうすれば...」
続く言葉は飲み込んだ。
女がキョトンとしているのは顔を見なくてもわかった。

#小説 #短編小説



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