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【広島商人】知られざる戦後復興の立役者(22)光

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22 光

  広島市の中央を東西に向って横断している百メートル道路にそって、
本川にかかっている、あらたに広島名所となった平和大橋の欄干の異様な
型態が、この橋に光彩をそえている。
私はその欄干を眺めやりつつ歩いていった。
広い道路をひっきりなしに行き交う自動車のうなりに、広島もずいぶん
繁華になってきたものだと思いながら、中島へ建設中の平和公園の
広い芝生の上を歩いた。
この原の中に、孤立した埴輪の形をした霊碑が建てられている。
私はその碑に向って、
 
 「どうか私の現在のこの苦しい思いをお助けください。お願いします」
 
 と思いをこめて参拝した。
 
 このあたりは被爆直前までは民家が密集した町であった。
おそらくこの町に住んでおられた人々は、全滅の悲運に遭遇された
ことであろう。
太田川の主流である本川は、昔、その清い水の流れと、岸の夜桜が
広島の名所としてうたわれていた。
東本川土手の桜木の幾千ものボンボリの灯明が、満開の桜の花と美を
競い合い、この眺めを喜ぶ人々で季節的な賑わいを呈してたものであった。
が、いけはそのおもかげもなく、新しく平和公園として生れ変り、
その公園の中に広島公会堂とか、平和記念公園とか、原爆資料館とかの
高層鉄筋建築が並び立ち、原爆の観光都市広島に異彩を放っている。
この公園の中央を右に向うと水主町の道路にあらたに建設された
中央市場を右に見て、その隣にある西税務署へやってきた。

 達三君ははや玄関に立って、煙草を吹かしながら待っていた。
この建物は、数年前新築された木造建築の二階家である。
階下にある署長室に案内を受けて入った。達三君に紹介を受け、
枝川西税務署長に面接したのである。

 室外の空は晴れてはいるが、木枯しが泣いているような音をたてて、
広い道路を自動車が行き交っている。

やがて、
 
 「税金のことですか。
  まあ椅子におかけください。
  さてご用件を」
 
 と枝川署長は言った。
この室には卵形の大きな机をかこんで大きな椅子が三つ、
来客とは応接するようになっている。
枝川署長は中肉中背の、鼻筋のとおった立派な紳士である。
 
 私は一生懸命に、原爆前後より今日に至った事情を述べた。
腹から出る言葉には自ずと真実がこもっている。
そして、いま私の求めようとするのは何であったか。
助力でもなく、金銭でもなく、またいかなる物資でもない。
ただ理解してもらうことだけである。

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3,949字
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この文章は昭和31年11月に発行された「広島商人」(久保辰雄著)の冒頭です。(原文のまま、改行を適宜挿入) 広島は原爆が投下された約一か…

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