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22. 雑炊の温かき香り広がって

    
 伊勢音頭の歌詞「伊勢は七度、熊野は三度、愛宕さんには月参り」を知ったのは、落語の『七度狐』である。この話に、喜六と清八が幽霊に「伊勢音頭を歌え」と言われる面白い場面が出てくる。しかし、その前に出てくる「けったいな雑炊」の話はもっと面白い。

22.雑炊の温かき香り広がって

 喜六と清八の二人が伊勢参りの途中、宿屋のない寂しいところでなんとか尼寺を見つけて泊めてもらうのだが、そこで尼さんに御馳走になるのが「けったいな雑炊」である。なにせ狐に騙されるという話なのでなかなかすごい雑炊なのである。桂枝雀の話で聞くともう抱腹絶倒となる。要約すると面白くないので、少し長いが引用する。

清「・・・なんじゃこの、別に不足をいうてるわけやございませんねけど何やこう口の中にこうジャリジャリジャリジャリしたもんが残りますねけど、これはなんでございます? ちょっとお尋ねしますけど」
尼「ああ、あの、あのなんでございます。味噌が切れましたのでな、山の赤土が入れてございますので、恐らくそれやないかと思いますが」
清「ふーん、赤土ですか。ふーん。赤土食えますか」
尼「はあ。体に精をつけますのでのぉ。赤土は体によろしゅうございます」
清「ああそう。そら、体にええちゅうたかて、そら、植木にはええやろけどわいらにはええことないこれ。・・・・ン、ンー、ンン。ん、あのねぇ、何やこう何ですね、一寸ほどに切ってあってね、噛みしめると甘い汁の出る、何じゃこうあの、藁みたいなもんが入ってまんねけどね、ちょっとこんなんこと言うてなんでございますけど、藁みたいなもんが入ってまんねけど、これ何でございます?」
尼「ああ、そら藁みたいなもんやない、藁でございます」
清「・・・・藁そのものか、藁食えますか」
尼「体をほこほこ温めましてなぁ、朝までいいあんばいにお休みになれますの」
清「あっそう。こおら土食って藁食って、後で左官飲んだら腹ん中壁ができるわね。・・・」

 と、落語ならではの美味しそうな雑炊である。ちなみに出汁はイモリでとっている。これが「べちょたれ雑炊」である。よくこんな雑炊の名前を思いつくものだと感心する。

 美味しい雑炊の話をする。北大路魯山人の『魯山人の食卓』に、「夜寒よさむに火を囲んでなつかしい雑炊ぞうすい」という文章があり、美味しい雑炊がいくつか載っている。牡蠣雑炊、納豆なっとう雑炊、もち雑炊、猪肉いのしし雑炊、鳥肉とり雑炊、なめこ雑炊、かに雑炊、焼き魚の雑炊などである。さらに「以上の他に、洒落た雑炊は無数にある。」として、生の千切りだいこん雑炊、ふぐ雑炊、白魚と青菜の雑炊、若鮎の雑炊、このわたの雑炊、牛肉のカレー雑炊、ウドの雑炊なども挙げられている。さすがにべちょたれ雑炊はない。そして、雑炊の要を次のように伝えている。

 「雑炊のかなめは、種の芳香ほうこうかゆにたたえて喜ぶこと。熱いものを吹き吹き食べる安心さ。なんとなく気ばらぬくつろぎのうまさなど、・・・」

 いくつかの雑炊については作り方も書いてあるのだが、卵の雑炊以外にはまったく卵を使っていないのである。お粥ベースのいたってシンプルな雑炊に軽く調味料で味付けをして、具材を入れ薬味として海苔やネギ、必要に応じて胡麻や生姜、七味を混ぜるだけである。牡蠣雑炊の作り方の説明には「こんなものを作ることは、まったくなんでもないことで、誰にでもわけもなくできるものである。」と書いていて、たいそうに考えては馬鹿を見るとも助言してくれている。

 シンプルな雑炊ならば、川上弘美の「クリスマス」に出てくる「味噌の雑炊」もある。話は全く不思議な話で落ち着かないのだが、「味噌の雑炊」のような分かりやすいものが出てくると気持ちが落ち着く。落ち着かない気持ちと落ち着く気持ちとの間の振幅が「クリスマス」の魅力である。

 「ご飯の包みを電子レンジに入れ、大根を千切りにしてわかした湯に入れながら、わたしはコスミスミコをジロジロ見た。(中略)大根が煮えてから、かつぶしの粉と味噌を溶き入れ、中に解凍したご飯を入れてから卵を落とした。ひと煮立ちさせてから火を消し、椀によそった。蓮華ですくって口に入れる。」

 川上は、「味噌の雑炊」と書いているが、なんのことはない大根の味噌汁と卵かけご飯を合体させたようなものである。魯山人に言わせれば、「卵を使うな」となるのかもしれないが、「誰にでもわけなくできるもの」というところからいけば、川上の「味噌の雑炊」は魯山人の「生の千切りだいこん雑炊」と類似しているともいえる。魯山人はこうも言う。

 「料理という仕事も至芸しげいの境にまで進み得ると、まことに僅少きんしょうな材料費、僅少な手間ひまでなんの苦もなく立ちどころに天下の美料理を次から次と産むことができるものである。」

 川上の「味噌の雑炊」は、ありあわせの食材で苦もなく作り、苦もなく椀によそって苦もなく蓮華ですくって食べている。「至芸の境」に達している料理なのである。

 魯山人や川上の作る雑炊のための雑炊も、もちろん美味しい。それでも、やはり鍋料理のあと、山や海の旨みを十分に含んだ出汁で作る雑炊は格別である。残った出汁に浸る程度にご飯を入れ、魯山人がなんと言おうと溶き卵を加えて蓋をする。煮立ったあと、布巾を使って蓋を開けると、まさに温かき香りと共に幸せいっぱいの湯気が広がる。海苔とネギをかけて小鉢に入れる。海苔の風味とネギの軽い苦味が、雑炊の味を引き締める。あー今夜も「至芸の境」に達したいものである。

●桂枝雀『七度狐』東芝EMI 2000年・・・1986年5月に大阪朝日生命にて収録。上方落語の代表的な旅ネタでハメモノ(効果音としてのお囃子)がたくさん入る爆笑譚である。
●北大路魯山人『魯山人の食卓』角川春樹事務所 2004年・・・この中に、「鍋料理と雑炊の話」があり、さらにその中に「夜寒に火を囲んで懐かしい雑炊」と言う一文がある。
●川上弘美「クリスマス」中央公論社 2001年・・・川上弘美『神様』に掲載。「神様」の書き出しは「くまにさそわれて散歩に出る。」である。落ち着かないが面白い小説である。
●鍋料理の時に使う取っ手のついた小鉢を、湯匙(呑水・とんすい)と言うらしい。蓮の花びらの形からきているそうである。蓮華も蓮の花と書くのだから、蓮華の大きくなったものと理解したらいいのかもしれない。

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