鉛を1個減らした

昨日病院をはしごして疲れて恋人と晩御飯どうするか会話をしていたら私の両親がお仕事の帰りに家に寄ると連絡が来たのでお腹すいたと返信したら外食に行くことになった。

昔なら両親と外食に行かなかっただろう。
両親共に毎日お酒を飲んでいる。
お酒を飲み母が父につっかかり、父も母につっかかる。喧嘩をして家の中のものが壊れ、壁に穴が空いてどちらも手を出すので血が飛び散っていたり顔が腫れたりするような事がずっとあったから両親とは心の距離をずっと置いていた。
その頃は実家で毎晩喧嘩するのではないか、今日はこちらに飛び火がくるのではないかと怯えて生活していた。

恋人が出来て賃貸へ引越してからは物理的に両親と距離を置くことが出来て毎晩怯えずに晩御飯を食べる事、寝ること、家の中を自由に歩くことが出来るようになった。
それでもやはり両親を目の前にすると昔の光景、経験、感情が出る。怖い。

今大学へ通って4年になるが両親に学費は払ってもらっている。そこは感謝している。
しかし私自身精神疾患があり学習をすることが出来る状態ではなく、4年生になり学校から留年である事も知らされた。単位が取れなかった足りなかったそれが原因なのは分かっているが苦しかった。

そのお知らせが来てから学校の勉強に向き合う事が出来ない自分がいて、その間も学費を払ってくれている両親がいて、周りの同じ学年の子は卒業論文を書いている状況で焦燥感と苦しさでますます精神状態が良くない方向へ進んだ。
自分は大金を払ってもらって卒業も出来ず両親へも何も伝えてない。どうしよう。大学卒業出来なかったら怒られてしまうのか、それが原因でまた喧嘩が始まるのではないか、どうにかしたいけどもう決まってしまった事だから伝えるしかない。
考えがまとまらずずっと心に鉛があるような状態で大学の前期が終わり、後期が始まってしまった。

後期が始まりゼミがあり、友達よりも授業を選択している自分が嫌になった。消えてしまいたくなった。こんな事になってしまった自分が嫌いになった。

自分を嫌う理由が大学ならやめてしまおう。

突然そう頭に浮かんで心が重くなくなった。
両親がこれ以上お金を出さずにいるならばいいじゃないか、これ以上自分が苦しくなっていくよりもいいじゃないかと思った。自分を嫌いになるよりも原因を取り除くのがいいじゃんか。
もうこれは自分の中で腑に落ちたなら伝えてしまおうと決心した。

冒頭の昨日の両親との外食の席で大学4年間通わせてもらってお金も沢山使って貰ったけど大学を辞めることを伝えた。
意外と両親は怒らず、こちらを説得しようとせずにいいよと言ってくれた。
また心の鉛が1つ消えた感じがした。
わかってもらえた。伝えられた。嬉しかった。

両親と外食は自分の中で楽しいものに変わった。
よかった。両親への恐怖心も昔よりは格段に減り、話が通じる人達であることをやっと確認できたいい1日になった。

おわり。

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