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アンドリュー・ヘイ - 異人たち(2023) All of Us Strangers

大林宣彦監督が映画化した脚本家・山田太一による小説「異人たちの夏」(1988年)は、大林流の奇妙で不可思議な家族映画だった。一方、同小説のかなり自由な形でのアダプテーションといえるアンドリュー・ヘイ監督の最新作「異人たち」は、幽霊譚の枠組みを利用し、孤独と悲しみについて考察した作品だった。

奇妙な静けさをまとうタワーマンションに暮らす40代の脚本家アダムは、12歳のときに亡くした両親との思い出に基づく脚本を執筆している。ある日、幼少期に過ごした郊外の家を訪れると、他界した父と母が当時のままの姿で暮らしていた。それ以来、足しげく実家に通っては失われた安らぎの時を過ごす一方、同じマンションの住人である青年ハリーと恋に落ちて……。

1980年代・90年代に青春・青年期を同性愛者として過ごしたアダムのセリフからは強烈な同性愛嫌悪の歴史とエイズ危機の恐怖が想起させられる。(若い世代であるハリーと対話するなかで、「ゲイ/クィア」の言葉選びについてや、挿入について、裸を見られることに対する「恥」の感覚、コカインとケタミン、ゲイバーやハッテン場とマッチングアプリという点で、世代間の違いが共有される)そんな時代のなかで、味方になり、無償の愛を注いでくれるはずの両親を早くに亡くしたことは、より一層、彼の孤独を強めたことだろう。アダムが幽霊となった両親と再会して、あったかもしれない・失われた時間を取り戻す過程で、最初はぎこちなく、控えめだったアダムの行動がどんどん子どもに回帰するように思えてくる。ひとつは、母へのカミングアウト(「とっても寂しい人生だと聞くわ」「孤独とゲイであることは関係ない/いまは時代が変わったんだよ」というアダムのセリフは皮肉的であり悲哀が混じっているように感じる)、そして父へのカミングアウトと、幼少期に部屋で泣いてたことを知っていたのに、なぜ部屋に入ってこなかったのかと問いただされた父からの謝罪を受け入れるアダムと父を映した鏡を使ったショットでは子どものアンドリューがいる。しかし、過去にとどまりつづけることは難しく、いっときの安らぎは得られても、それは、それを経験しえなかった現在を浮き彫りにさせていき、むしろ現在と向き合うことにつながっていくように思える。このあと、鏡に映る姿は子どものアンドリューではなく、大人の彼であり、この異世界との繋がりがあったとしても、彼がこれまでに経験してきた孤独や悲しみはなくならないし、それはいまもここにある。それぐらい、彼のもつ孤独の深さを考えさせられる。彼が抱えている悲しみと孤独は、生涯にわたって彼とともにあるだろう。彼の持つ悲しみと孤独は、映画のなかでは解決しない。それでも、そこに悲しみが、孤独があると知っていることは、少しだけ救いになる。自分の孤独について考えるきっかけをくれるのは両親の幽霊であり、許されなかった弱さを受け入れること、ハリーという隣人を受け入れようとすることで、孤独を知ることはできる。「自分自身を気にかけるのをやめるのは簡単だ」というセリフがあるように、見ないふりをすることよりも、知ることを選びたい。無数の星がきらめくラストは、孤独を抱えながら死んでいった人々が空にまたたいて見守っているということなのかな。わたしたちは圧倒的に脆く、弱い。

最後まで、深く、悲しみに満ちた表情をまとうアンドリュー・スコットを主役に添えてくれてありがとう!


2023、イギリス、95分、2.39:1、カラー
監督:アンドリュー・ヘイ
脚本:アンドリュー・ヘイ 原作:山田太一

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