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メーサーロシュ・マールタ - ドント・クライ プリティ・ガールズ!(1970) Szép lányok, ne sírjatok!

メーサローシュ・マールタ監督の長編3作目。劇場公開時はおそらく、残暑きびしい、蒸し蒸しとした日々のなかで、なんとか心を奮い立たせて映画館に行こうとしたものの、ぜんぜんだめで、ひたすら天井を眺めていたのをめちゃくちゃに覚えている。(気圧、湿気もろもろ、世界に左右されまくるあたしの身体🥲)

婚約者がいながら音楽家の青年と恋に落ちた女性の逃避行を、ドキュメンタリー風のカメラワークで瑞々しく映し出した青春もの。これまでは、そうやってふたりのあいだで揺れ動く主人公というのは男性とされる属性が多かったが、今回は女性が主人公。うだつのあがらない日々を過ごす若者というのはどこにもいるのだなと思わされると同時に、この映画にはほとんど親が出てこない(ユリと不良青年の結婚の取り決めのときにチラッと出てくるのみ)というところとみんなが性別の分かれた工場の寮で暮らしているというところから、寄る辺のない若者たちが徒党(みたいなもの)を組まざるを得ない社会的背景を考えるなどした。そのうえで、主人公ユリ(どことなくアンナ・カリーナを思い出させる)が、不良たちとブラブラする日々に退屈な表情を浮かべ、無言に青年と行為することを拒み(チェリストとの行為は彼女の積極性を描いている)、それでもいっしょにいることを最終選んでしまうところに、彼女がいま、生きる上で精一杯の選択をしたのだと思わせられた。女性たちが、職を持つことができるようになった70年代という時代、平等を謳われた時代の不均衡さを思い知らされる。

劇中、いったん青年と分かれたあと、青年と兄が暮らす寮にやってきたユリにむかって、兄が「洗濯していってよ、来たついでに」と放ち、ユリもそれに従い、恋人である青年もそのことを当たり前のように受け取っていて、しれっとすごいシーンだなとおもう。「女性の意思による選択」は、まだまだ社会のジェンダー規範のなかに収まっており、その上職を、と言われるもんんだから女性にもっと負担を強いている社会のありようだった。


ビート・ミュージックのファンである若者たちはうだつの上がらない日々を工場での労働に費やしている。ユリは不良青年のうちのひとりと婚約しているが、とあるミュージシャンと出会い、恋に落ちる。ギグを開くという彼ととともに、ユリは小旅行へ出かけるが、嫉妬深い婚約者と彼の不良仲間たちがふたりを追いかけてきて……。


1970/ハンガリー/89分/ヨーロピアン・ビスタ/モノクロ


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