書物療法



「病は気から」とは、昔からよく言われる。もし、これが正しいとすれば、薬よりも精神力に頼るほうがいいのかもしれない。気の持ち方ひとつで、気分が激変するのは、事実であろう。

英国では、薬の代わりに「書物療法」を実践しているという。どんなに優れた薬でも、必ず副作用があるとすれば、できるだけ薬を体内に取り入れることなく、病気を治すほうが、身体にはいいのではないか。

30年リューマチに苦しんできた患者は、本の世界に浸っている間は、痛みを忘れ、主人公に自分を重ねることができ、またほかの患者と本の読後感を分かち合うこともできる。

躁鬱病や認知症の人々、学習障害に悩む子どもたち、夫を亡くして喪失感に苦しんでいる未亡人、アルコールや麻薬中毒からのリハビリに取り組んでいる患者に対して、書物療法が効果を上げていると、英国の新聞「ガーディアン」は伝えている。

The reading cure | Books | The Guardian

乳がんに苦しむ女性たちの集まりに参加しても、たいしたことはなかったけれど、本について話し合うことは、絶大な効果をもたらしたと、ある女性は述べている。

シェイクスピアの作品なら、大学のゼミで見られる原書講読のような仕方で読んでゆくのだろうか。千の心を持つと言われる沙翁の芝居なら、議論のやりがいがあることだろう。正確な意味を捉えるのは、むつかしいけれども。

「ジェイン・エア」や「レベッカ」、ディケンズの長篇小説などを、週に一回、半年かけて声を出して読みきる療法では、声を出すことを強制はしないという。しかし、声を出して読めるようになれば、患者は大きな自信を身につけたことになるのだそうだ。

この国で、書物療法をやるときは、落語を取り上げるといいのではないか。名もない人々の知恵が沢山つまっているし、笑うことが病気にいいことは真実であろう。

寄席に通う人が少ないだけに、落語家を病気療法に活用することも考えていいかもしれない。これで落語家の収入が増え、社会保障に使う予算が減れば、一石二鳥である。

この書物療法は、少年院や刑務所でも大きな効果を発揮できるかもしれない。たんに行間のニュアンスをつかみとるばかりでなく、他人とのコミュニケーションを滑らかにするのに役立つと思うからである。

日本のディケンズといってもいいのは、吉川英治ではないだろうか。「宮本武蔵」をはじめ数多くの長篇小説を書いているので、書物療法にはぴったりではあるまいか。

ひとり暮らしの高齢者にとっても、書物療法は効果があることだろう。ただ、寂しさを紛らわすだけでなく、認知症の予防になると考えるからである。病気を未然に防ぐことができれば、膨大な額の医療費が節約できる。未病のすすめである。

医者、小説家、図書館の司書が集まって、真剣に書物療法に取り組んでもらいたい。このまま何もしないでいたら、認知症の患者がますます増えるばかりである。

小説ばかりでなく、詩でもいい。むしろ、朗唱には、こちらのほうが向いているのではないだろうか。俳句に短歌、川柳に万葉集、都々逸と、この国には独自の短詩形文学が発達している。これを利用しない手はないだろう。黙読だけでは、詩の持つ本当の味わいを愉しむことはできない。

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