フレンチ・アルプス惨殺事件は、解決か?



2012年9月に、フレンチ・アルプスで起きた奇妙奇天烈な殺人事件は、ようやく解決の目処がついたようだ。

犯行当日、現場近くで、変わった型のヘルメットをかぶったヒゲの男が目撃され、似顔絵が作成された。

ただ、この似顔絵が、なぜ事件から14ヶ月もたった、2013年11月になって公表されたのかは不明のままである。

2014年2月17日に、フランス警察に勾留された男は、この似顔絵に似ていると思われる。もっとも、この男は参考人として事情聴取を受けているだけで、容疑者として扱ってはいないと、警察は発表しているが。

この男はフランスの警官をしていたが、懲戒免職になり、現在はスイスで仕事をしているという。近所づきあいもなく、寡黙なタイプ、武器の収集が趣味の、48歳の筋肉質の男だそうだ。

この男は、家宅捜索を受け、別荘の庭は、金属探知機とスコップを使って、掘り返されているのが、記者に目撃されている。

事件は、2012年9月に起こった。

スイスの西端、フランス国境に近い都市ジュネーブから、国境を超えて南へクルマを走らせること、およそ1時間、美しいアヌシー湖がみえてくる。

フレンチ・アルプスのふもとにあり、1960年代に始まった自然保護運動の恩恵を受けて、あたりは手付かずの自然が残り、湖水の透明度はヨーロッパ随一の湖である。

湖畔にはキャンプ場もあり、フランスだけでなく、国境の近いスイスやイタリアからも、大自然を満喫しようと、夏の休暇に来る避暑客が多い。

2012年9月5日、午後4時前、この湖を見下ろす登山道を四輪駆動のBMWが登っていった。赤紫色のステーション・ワゴンである。車両登録は英国、車内の5人は、イラク、英国、スウェーデンのパスポートを所持していた。

しばらくすると、サイクリングを楽しむ2人の男性の姿も、同じ登山道にみえた。登山口にあたる、クルマの行き止まり地点までもうすぐという所で、後ろをゆく地元のフランス人が、前を走っている英国人を追い越した。

さて、この英国人、ウィリアム・ブレット・マーティン氏は、子供の頃、ニュージーランドで過ごしたこともあり、現在は南イングランドに妻と子供と住んでいる。

また、フランスのアヌシー湖の近くには、別荘を所有している。いつものように修理の必要な箇所があるかどうか調べたあと、トライアスロンの練習を兼ねて、午後2時半ごろ、サイクリングに出かけた。熱心なトライアスリートである。

元英国空軍の士官であり、また英国航空のパイロットを育てる指導教官も経験した氏は、現在、航空コンサルタントとして仕事をしている。

息を弾ませながら、マーティン氏が、奥まった空き地になっているところへ来てみると、そこには、にわかには信じられないような惨殺極まる光景が拡がっていた。ここはクルマが数台も駐車すると、いっぱいになるような狭い箇所である。

7歳ぐらいの女の子が、こちらへヨロヨロと歩いてきたかと思うと、氏の足元に倒れ込んだ。鈍器で殴られたのか、頭は血だらけになり、肩にも銃弾を受けている。

追い越していった自転車の男性も倒れている。頭に銃弾を2発打ち込まれていた。即死と思われる。ドイツの高級車は、窓ガラスに数十発の銃弾を浴びて、数枚は完全に破壊されていた。また、エンジンは、つけっぱなしで放置され、クルマの車輪も回っている。

マーティン氏の第一印象は、クルマと自転車の衝突事故があったのかと思った。それにしては、両方とも車体のへこみなど、衝突で変形した箇所が見当たらない。

一方で、映画の撮影でもしているのかとも感じたそうである。いまにも、「カット」と大声がするや、皆が目を覚まして、撮影スタッフの人々とともに、その場から帰ってしまうのではないかと。しかし、これは現実だと、改めて認識した。

状況をつぶさに見て、これは殺人事件にちがいないと結論を下したときは、まだ、犯人が周りの草むらの中に隠れていて、自分も射殺されるのではないかと恐怖を感じた。

周りを観察して、犯人はもう逃げ去ったあとだと感じたとき、怪我をしている女の子をうつ伏せにして寝かせた。それから、携帯電話を取り出して、緊急事態を警察に知らせようとしたが、こういう場合、得てして現実は非情である。

事件現場は、あいにく電波の受信エリアから外れていた。

車のエンジンはかけっぱなしになっているので、とりあえず、運転席のガラスを割って、これを止めることが先決である。弾丸を受けてヒビだらけの窓ガラスを手袋をした拳で割ると、まずエンジンのスイッチを切った。射殺死体が目に飛び込んでくる。運転席の男は、フロントグラスごしに頭に銃弾を受けていた。

マーティン氏は、緊急事態を知らせるために、電波の届くところまで現場を離れるとき、重傷を負った女の子、ザイナブを一緒に連れていくか、それともその場に残しておくかとジレンマに捉えられた。

結局、意識を失った様子のザイナブを、その場に寝かせたままにしたからこそ、この女の子は助かったのではないだろうか。適切な救命措置であったと、医者は話している。

電話連絡を済ませ現場に戻ってみると、後部座席にも女性が2人、同じく頭部に銃弾を打ち込まれている。車の中の3人だけでなく自転車で追い越していったフランス人も、頭に2発の銃弾を受けている。

射殺死体を見るのは、これが初めてと、マーティン氏は話した。本来なら、事件の第一発見者として犯人に命を狙われるおそれがあるので、身分を明かしてインタビューに答えることは不可能と思われていたのだが、大胆にも、BBCテレビのインタビューに応じたのである。

あいにく、この英国人にも、まさか、車の中の母の死体の足元で、4歳の女の子が恐怖に怯えているとは想像だにつかなかった。まわりは静寂に支配されていたと、マーティン氏は、英国放送協会のインタビューに答えている。

母のスカートの中に隠れていたのか、この女の子が奇跡的に無傷のまま発見されたのは、犯行から8時間後のことであった。

パリから現場検証にやって来る専門官のために、現場を出来るだけ手付かずのまま残そうと、3人の死体を乗せたままにして、あたりは立ち入り禁止区域に指定された。

アヌシー湖畔のキャンプ場で、殺害された一家と知り合った人々から、あの家族には女の子が2人いたことを耳にした警察が、深夜になって、クルマの後部座席の床から、恐怖に震えていた幼女を救い出したのである。

至近距離から頭に銃弾を2発受けて即死したと思われる4人から判断すると、これはプロの殺し屋の仕業なのか。それにしては、7歳の女の子が重傷のまま放置されたのは、なぜなのか。拳銃の弾が切れたせいなのか。誰もピストルの発射音を聞いていないのは、消音のためのサイレンサーが銃口についていたのか。

クルマの周りに落ちていた25個の薬莢を調べてみると、すべて同じ自動小銃から発射されたものと判明した。もっとも、これで、単独犯だと断定することはできない。

犯行に使われた銃は、かなり旧式のもので、20世紀の前半に、スイスの陸軍に支給されたものという。この銃の弾倉には8発の弾が詰め込まれるようになっているので、犯人は少なくとも弾倉を三回、取り替えたものと思われる。    

殺人とは無縁と思われる、のどかな田園風景の拡がる、フレンチ・アルプスのふもとで起こった謎の事件は、ミステリーに包まれている。裕福な行楽客を狙った、単なる強盗とは、とても思えない。

運転席に倒れていたのは、イラク生まれの英国人、フリーランスの航空エンジニア、サード・アルヒリ氏、50歳。まだ、小学生のとき、フセイン政権から逃れるため、家族とともに英国へやって来た。

後部座席にいた女性は、アルヒリ氏夫人、イクバルさん、47歳、歯科医。その横の老女は、イラクとスウェーデンのパスポートを所持している74歳の、イクバルさんの母と身元が判明した。

クルマの外で射殺されたフランス人は、シルヴァン・モリエ氏、45歳、3児の父、原子力の燃料容器に関する金属の専門家である。原子力発電所建設の大手、アレバの子会社に勤めていた。

薬剤師をしている、2番目の妻が、3ヶ月前に赤子を出産、モリエ氏は育児休暇を取得中であった。

たまたま運悪く一家の惨殺を目撃したので、口を封じるために、抹殺されたものと思われる。サイクリングに出かけたまま、帰ってこない夫の身を心配した妻が警察に連絡して、氏の身元が判明した。

それにしても、4歳の女の子、ジーナを母の死体のそばで8時間も放置したとは、フランス警察の大失態といわねばならない。

ヘリコプターから、クルマへ向かって体温検知器を当てて、生存者を探してみたが、何も反応がなかったと、フランス警察は弁明している。また、4歳の幼女に犯人と警察の区別はつかないので、犯行後もじっと、母の足元に縮こまっていたものと考えられる。

心理学の専門家をはじめ、いろんな医者が、この子の心の治療をしているが、このトラウマは、ジーナを生涯にわたって、苦しめるのではないだろうか。外傷は何もないので、その後、一家の親戚が英国に連れ帰り、三人の遺体も親戚のもとへ返された。

しかし、トラウマといえば、両親が殺害されるのを目撃し、頭部をしたたかに殴られた姉のザイナブのほうが、大きいに違いない。片方の目は失明のおそれがあると、新聞は伝えている。

頭蓋骨にヒビが入るほどの重症を負っていた、ザイナブは、グルノーブルの大学病院で手術を受け、経過は順調に回復に向かい、事件から4日後の9日には麻酔から目覚めた。

あの日、いったい何が起こったのか、ジーナは母の足元で恐怖に震えていたので、悲鳴やうめき、それに銃声を耳にしただけで、何も見ていない。唯一の目撃者は、姉のザイナブである。

しかし、麻酔から覚めたばかりなので、警察に女の子の尋問を許可するゴーサインが医者から出るまでには、まだしばらくの時間がかかると思われる。

病院関係者は、ザイナブのケガの回復ぶりに驚嘆している。マーティン氏の適切な処置のおかげであろう。結局、警察の尋問には、「悪い人が1人いた」と答えるだけで、芳しい証言はできなかった。

そして、妹のジーナの待つ英国へ、親族、護衛の警察官とともに帰った。故国でも、しばらくは入院生活が続くものと思われる。

現在も、2人の居場所は秘密にされ、厳重に保護されている。暗殺される心配があると警察は睨んでいるのであろう。

事件後、アルヒリ一家が過ごした湖畔のキャンピング・カーとテント、それに英国はサリー州にある一家の自宅では、地元の警察の応援を得て、フランス警察の捜索が続いている。

25発の銃弾が打ち込まれたクルマの中からは携帯電話が2台、その日の午前中まで過ごした、湖畔のキャンピング・カーからノートパソコンが1台、発見された。これも通話記録とハードディスクの記録内容の捜査が進んでいる。

2014年2月17日になって、事件は急展開。この日、勾留された男のほかに、少なくとも7人が逮捕される見込みと新聞は伝えている。

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