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【薬物エッセイ】なぜ幻覚剤をやるのか?

私は他者からの影響を非常に受けやすい人間で、古のインテリ達が「幻覚剤は素晴らしい」などと言ってると、なるほどやってみたいなと思い、うかつに手を出してしまう。実に浅ましい人間です。

幻覚剤に対する“最初の憧れ”を醸造したのは『知覚の扉』という1954年の本だった。
内容はオルダス・ハクスレーという学者一族のお坊ちゃんがメスカリン(幻覚剤)を飲み、酩酊し、自身の知覚変化をありありと綴っていくような薬物実況レポートで、その美しさに一瞬で虜になってしまった。
「これになりたい!」


合法ハーブや睡眠薬、その他もろもろを多量に用いて幻覚剤の代用にならないかと試行錯誤するも、どこか違う。

もう自分を騙したくない。
仕方がないので海外に行き、キメた。
実に良かった。

何かを求めて幻覚剤を摂るが、いざトリップすると、必要なのはその「求める心」自体を捨てることだな、と毎回思う。
何かストン、と執着から離れるような気がして、もう一生薬物やらなくていいや、とまで思うのだが、1週間ほど経つと元の自堕落に戻る。インスタント禅。

20歳くらいの頃は「こんなん一生やっていきたいだろ」など思い、幻覚剤を“引退”した元薬中達に懐疑的な気持ちであったが、加齢とともに、確かに幻覚剤欲は薄れていく。
目新しさより、情報過多への疲れが勝る。
もう数年やってない。
すこし寂しい。
などと書いてたら久々にやりたくなってきた。

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