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意志のある所に道は拓ける -1年のワーホリ休学を決断し、カナダ・トロントの地で培った、自分で選んだ選択は自分で正しくするということ- |ALiveRallyインタビュー#12

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今回は、この春国際教養大学(AIU)を卒業されて、現在は国内の国際協力機関で活躍されている、本間大晟(ほんま たいせい)さんにお話を伺いました!

平凡な学生生活を送ることに危機感を持った大晟さんは、大学を休学して飛び立ったカナダ、トロントの地で、果たしてどのような考え方に出会ったのか。

ワーキングホリデーに興味がある人
カナダ・トロントの生活に興味がある人
・勇気が出ず、なかなか行動できていないでいる人
に是非読んでいただきたい記事です!

【基本情報】
名前:本間大晟 (ほんま たいせい)さん
AIU入学時期:15期春入学 (2018年春)
活動内容:ワーキングホリデー
活動場所:カナダ・トロント
活動時期:2019年4月~2020年1月

1年休学を決断してワーホリに行った理由とは?

ーーはじめに、大晟さんが経験した「ワーキングホリデー」ってどんなものか教えてもらえますか?

A. ワーキングホリデー(以下、ワーホリ)は、簡単に言うと、日本と提携している国で一定期間働くことができる制度のことです。自分が行ったカナダの場合、就学は上限6ヶ月までといった制限が一部ありますが、基本は1年間の勤務が可能で、現地での活動などは各個人の自由でした。僕の場合は、渡航後初めの3ヶ月間は、トロントでホームステイをしながら語学学校に通っていました。語学学校の通学期間終盤から、ワーホリが終わるまでは、カフェやバーなど、3つのお店で働きましたね。

Toronto City Hallの写真。Torontoの文字はこの場所のアイコン的存在。年末はカウントダウンイベントがあったり、冬季期間は池が凍ってアイススケート上になる。


ーーAIUでは1年間の交換留学が卒業要件ですが、なぜ、その前に自らワーホリに行くことに決めたのですか?私だったら、留学だけでいいかなと思っちゃいそうです。

A. 一番大きい理由は、当時(大学1年生の頃)持っていた自分の英語力への危機感ですね。入学してから、自分の英語力にあまり自信がなく、授業中とかに言いたいことがあっても、うまく言えなかったり、発言できても、ちゃんと言えてるかなと不安になったり...すごくモヤモヤしていた時期がありました。大学4年間をこのまま過ごし、卒業するというのは本当にハッピーな大学生活なのかなあって。このまま平凡な大学生活送るくらいだったら、ここは一念発起して、ちょっと自分で変化を起こさないとなって、とにかく思いましたね。

あとは、「ユニークでいたい」っていう気持ちもあったかもしれない。大学に入学して以降、面白い経験や活動をしてきている人から話を聞いて「すごいなあ、面白いなあ」って思うことが多かったけど、その反面、自分はその中で埋もれている感じもしていました。「自分のやりたいことに没頭できる時間を作れるのは、大学生のうち。」「今しかできない経験をしてやろう!」と思い立ち、ワーホリを決断しました。

ーー英語力の向上だけを考えれば、ワーホリ以外の方法もあると思うのですが、どうしてワーホリを選んだんですか?気になります。

A. もちろん、英語力を伸ばすために留学や日本で勉強するっていうことも考えられたんだけど、その中でもワーホリをしようって思ったのは海外で働くことへの好奇心が、大きなきっかけですね。

1年の春学期に国際協力に関心を持つようになって、それまでもっていた海外で働くことへの漠然とした憧れが、「国際協力の分野で世界を舞台に働く」という、より具体的な夢に変わりました。でも、「この夢って実際どういう風に実現できるんだろう?」とも悩んでいて。

フルタイムで働いたこともなかったし、ましてや海外で働いた経験がなかったので、そのイメージが全くつかなかった。それじゃあ、まずワーホリでその経験を得てみようかな、と。海外で様々なバックグラウンドを持った人と働く経験ができて、かつ、ワーホリだとお給料も出るので経済的負担も比較的小さい。当時の自分にはぴったりだと思いました。

ーー1年間という長期間に渡って、見知らぬ土地で働くという大きな決断をするのには相当な勇気が必要だったと思いますが...その行動力や決断力はどこから来たんですか?

A. 元々持っていた、負けず嫌いみたいなところが大きいかもしれないですね。英語力に関して言えば、「英語力で他の学生に負けたくない」っていう思いもありましたし、「他のユニークな人たちには負けられない、自分も面白いことたくさんしたい」っていう強い気持ちがありました。

ーーワーホリに行くと決まってから、準備などにはどれくらいの時間がかかりましたか?

A. 1年生の9月から約7ヶ月準備しました。AIUの交換留学であれば、行き先の希望を出し、留学先が決まったら、住居契約やコース履修などの手順について大学からの支援があって、まあ不自由はないですよね。でも、ワーホリは、そういう手続きを全部1人でやらないといけないので、準備には時間がかかったなあ。1人で準備してて、不安に思うこともあったけど、この1年間休学するってのは当時すでに決めていました。なので、むしろ休学中の活動を充実させたものにするぞっていうワクワク感が大きかったです。

ーーここからは、実際にトロントでワーホリを経験された時のことを聞いていきたいと思います。働いていた場所ってどんなところだったんですか?

A. トロントのワーホリで初めて働いた場所はスポーツバーです。そのあとにタイ料理屋とカフェで働きました。その2つは日本に帰国する直前まで働いていました。職務内容はレジ、接客、掃除がメイン。タイ料理屋さんでは料理作り、カフェではバリスタとしてドリンク作りもしていました。コーヒーは好きだけど、バリスタとかやったことなかったし、ちょっとだけ不安もありましたけど、なんとか働けましたね。

カフェで磨いた大晟さんのラテアートの技術

ーー1人で海外、さらに慣れない環境でたくさんのお仕事をするという中で、何か大変な経験をされたことなどはありましたか?

A. 家も仕事もなくなったときにホームレスの人たちと共に一晩明かしたことですね。あれは大変だった...

ーーえっ!? どういうことですか?

A. 語学学校に通っていたおかげで、思ったより土地に順応出来て、ちょっと予定より早めに仕事も始めることができてたから、「あ、結構ワーホリ楽勝じゃん?」って思ってたら、最初に働いていたスポーツバーからクビにされちゃって...

ーーうわあ、そうなんですね…

A. その時ホームステイをしていたんですけど、その契約も終了し、次の家を見つけられず、一旦、近くのAirbnb(※1)に住むことになりました。結局そこに半月ぐらい住むことになったのですが、Airbnbの契約が切れる日を1日間違えていて(笑)「お前もう今日で契約終わりだろ、清掃するから出てけ」と家を追い出されました...。家も、仕事も失って、泣く泣くホームレスたちと一夜を共に過ごしました。

※1. Airbnb:個人の家を貸す民泊サービスのこと。

ーーどこに泊まったんですか?

A. 近くにあった「Tim Hortons」というカナダではスタバやマックよりも店舗数が多い、現地の安いカフェで、1泊。あれはきつかった…(笑)

ーー野宿したのかと思ったので、安心です(笑) それにしてもハードすぎますね...

A. そうだね...夜を明かせたはいいものの、そこから家探しと仕事探しに本当に難航しました。家を貸す側も(ビザの有効期限が最長1年なので)1年も住まないとわかっている外国人に家を貸したくないですし、働くことに関しても同じで、1年も働けない外国人に教育をするのが面倒という理由からか、なかなか雇ってくれませんでした。

あと、女性の方がチップ(※2)をもらいやすいっていう傾向があるらしく、男性の自分にとっては職探しは不利でしたね。そんなアウェーでハードシップだらけな状況でしたが、なんとかして家も仕事も見つけることが出来ました。そんなこと日本じゃ絶対経験することないなと思ってて。日本に住んで働く上では、日本語を話せるから、言語面で不利になることはない。しかもAIU生となると、学歴フィルター(※3)がかけられて、「結構勉強できる人なんだね」「優秀な学生さんだね」というレッテルを貼られることが比較的多い。だから日本と違って、周りの人から全くちやほやされないトロントで、仕事を見つけるのは本当に大変でした。

※2. チップ:規定料金とは別に、サービスを受けたことに対して心づけとして相手に渡す現金。主に欧米圏で見られる文化。
※3. 学歴フィルター:企業が採用活動を行う際、学歴によって採用の可否を決めること。

ーーそんな大変な思いをされて、途中で帰ろうとか、やめようとか思わなかったんですか?

A. やめようと思うことは無かったかな。 大変だったけど、その大変さすらも結構楽しんでた。1人だったら結構きつかったかもしれないけど、現地で友達もできたし、 自分なりにキツさの中にも楽しさを見つけることはできていましたね。

ーー大晟さん、強すぎません?(笑)

A. 打たれ強くはなったとは思うかな(笑)仕事がなくなったときは、レジュメ(※4)をひたすら配り歩く生活でした。1回配ったところを自分で見てわかるようにGoogleマップでピンを立てて、どれだけ渋い顔されても、次のところに行って、レジュメを配るということを繰り返しているうちに、自分の精神力は鍛えられたと思います。日本に帰った後に、インターンシップをしていて、自分が作った資料とかに、ちょっと嫌な顔をされて指摘を受けても、打たれ負けることなく、「はいはいー。やってやるぞ!」くらいの気概を持つようにはなりましたね。

※4. レジュメ: 履歴書

ーーこのピンが立ってるお店全てに足を運んでレジュメを配っていたということですよね。大変すぎる...

A. そうだね。近辺のレストランにはほとんどレジュメを配ったので「変な日本人が来たぞ!」って有名だったかも知れない(笑)最終的には、なんとか雇ってくれるところを見つけられました。

ーーおお、よかった...!そんな大変な状況でも雇ってくれたのはどうしてだったんですか?

A. 僕を雇ってくれたのは、インド人がオーナーをしているカフェでした。というのも、オーナーは移民のようで、面接のときに、外国から働きに来ている人の大変さを分かってくれているのかなって感じました。「仕事探し、ちょっと大変なんだよね」って話したりして....

あとは自分のカナダ愛をプレゼンしたことも刺さったのかもしれない。そのカフェはカナダにしかないチェーン店で、オーナーから、「なんで他の有名なチェーン店で働かないの?色々あるじゃん」って聞かれたんだけど、 「他のチェーン店なら日本でも働けるし、本当にカナダが好きだから、カナダにしかないローカルなカフェで働きたいんです!」って熱弁しました。きっとオーナーに自分の思いが伝わったんだと思います。

雇ってもらえることが決まった時は、新しいチャレンジができる場が生まれたことが純粋に嬉しかったです。新しいドアが開いた感じがしました。

日本人としてではなく、個人として、僕はどういう人間だろう。


ーーカナダは「移民の国」と呼ばれていますが、 実際一緒に働いている人たちの人種や国籍の多様性はどうでしたか?

A. ロシア人、中国人、ニュージーランド人、インド人とか、10か国以上を超える国から来ている同僚がいました。これぞ、トロントならではだと思いましたね。あと、国籍の多様性に加えて、年齢層も広かった。職場にはかなり年の離れた、人生経験豊富な人たちが沢山いました。中東から家族と一緒に移民としてカナダへやってきて、 「やっと最近カナダ国籍を手に入れたんだ」という、大学で学んでいるだけじゃ聞けないリアルな話が沢山聞けたのは、すごい貴重な経験だったかなと思います。

ーーそんな多種多様な人達がいて、人間関係はどうだったんですか?

A. めちゃくちゃ仲良くなれました。普段から遊んだりしていたけど、一番印象的なのは帰国前のことですね。最後のシフトが終わった後、一緒にその日働いていた同僚と近くのお店に飲みに行ったら、その日シフトに入っていなかった他の同僚もサプライズで駆けつけてくれていました。ケーキまで用意してくれて、謎のカクテルをみんなで一気飲みしたりして(笑) 同僚のおかげで、最高の思い出になりました。

Toronto island行きのクルーズ船に乗った時に撮った友人との一枚。


ーー素敵ですね... 日本では、まだまだ人種や国籍の多様性が低く、外国人を「ガイジン」扱いする風潮がありますが、それと比べると、とてもインクルーシブな環境だなあと感じます。

A. そうだね。日本人としてカナダに行ったから、「どうせ外国人として扱われるんだろうな」って思ってたら、そんなこともなかった。人種のモザイク(※5)とも言われるトロントでは、見た目はアジア系とかヒスパニック系でも、カナダ国籍を持った人が多くいて。アジア人とか、日本人とかいうカテゴリーで人を見ていないように感じました。どういうカテゴリーに自分が属してるかっていうよりも、自分はどういう人間なんだというのを見られてるような、個人のアイデンティティーがより重視される感じ。

「カナダ人とはこういう人だ」っていうイメージをみんなで共有していないのかなと感じてて。だからこそ、「国籍ってなんなんだろう」ってことはよく思いましたし、個人として、「僕はどういう人間なんだろう、そして周囲の人たちはどういう人間なんだ。」と深く考えるようになりました。

※5. 人種のモザイク: 多国籍の移民がおり、人口の半分がカナダ出身ではないと言われている。90以上の民族が移住し、100近くの言語が話されているとも言わている。

ーーそんな環境でお仕事を経験されたことで、何か変わったな、って思うことはありますか?

A. 働き方はずいぶん変わった気がします。「自分の仕事は自分がする、他人の仕事は他人がする」と割り切るようになりました。

日本でバイトをしていた時は、バイトの先輩が残業していたら、自分も残って手伝わないといけないなといったスタンスで働いていたし、それが当たり前だと思ってました。でも、カナダでそういうスタンスで仕事してたら、「タイセイなんで残ってんの?残業しても お金払わないから早く帰れよ?」とか言われて。

ーー確かに日本では、自分の仕事が終わっても空気を読んで残って手伝うのが暗黙の了解というか...

A. そうだよね。でも、「帰っていい」と言われてからは、「自分の仕事はちゃんと終わらせたらそれでOKだし、手伝ってって言われてない限り、必要以上に手伝わなくてもいいんだな」っていう考えに至りましたね。

ーーなるほど。

A. それが今の自分の仕事のやり方にも影響してる部分はあると思う。もちろん、手伝ってと言われたらやりますけどね(笑)

自分で選んだ選択肢を正しいものにしてやる


ーー次に、ワーホリから帰ってきた後の話について聞いていきたいと思います。「英語力の向上」が第一の目標だったと思いますが、どうでしたか?

A. ナチュラルに英語が出せるようにはなったと思います。トロントでは、第一言語が英語みたいな生活をしていたから、英語を使うことへのハードルみたいなのが払拭されました

ーー「活きた英語力」みたいなものが身についたって感じですか?

A. そうですね。日常でよく使う表現とかもたくさん学んだし、そのおかげで4年生の時に行ったイギリスへの交換留学では、英語面での苦労はあんまり無かったです。

英語力と並行して、自分のコミュニケーション力も上がったと思います。いろんな国籍の人たちと話して、仲良くなるといった経験をしたことで、海外で知らない人たちとコミュニケーションを取ることへの躊躇は無くなりました。

大晟さん(左端)と同僚のみなさん。

ーーワーホリに行く前に理想としていた「ユニークな人」にはなれましたか?

A. 当時思い描いてた通りではないかもしれないけど、ユニークさは増したな、とは思います。帰ってきた後も、AIUという枠にとらわれず、インターンに挑戦したり...コロナ禍のオンライン授業の機会も上手く活用して、授業と並行していろんなところに飛び回ったので、自称「AIU史上、1番秋田にいる時間が短い学生」だと思っています。(笑)

ーーワーホリは、大晟さんの「枠を超えて挑戦する姿勢」の第一歩になったんですね。2年生の留学前にワーホリに行くことは、大晟さんのAIU生活において良い選択だったということになるのでしょうか?

A. 卒業を間近に控えた今、当時を振り返ってみると、ワーホリは良い選択だっと胸を張って言えますね。もちろん、新しい環境に飛び込むことは簡単じゃないですし、腰を持ち上げるのは億劫になりがち。いざ飛び込んでみても、「この選択肢って自分にとって正しいのかな」って考えるかもしれない。だけど、一番大事なのは、 「その選択肢を正しいものにしてやるぞ」っていう覚悟を持てるかっていうことだと自分は思います。

ーー自分で自分の選択を正しいものにする....まさに、今の自分にめちゃくちゃ響きます。

ー-ワーホリ等、様々なユニークな経験を経て、これから社会人になられると思うのですが、そんな大晟さんの今後の挑戦について教えてください!

A. ある国際協力機関への就職が決まっているので、今後は当面組織の中で動いていくことになります。その組織のことも考えないといけないけど、でもやっぱり個人として、どういった結果が出せるかっていうのは、しっかり考えていきたいなっていう意識はあります。だから、しばらくの間は下積み期間。ワーホリに端を発した学生時代の多様な活動で培った「行動力」は、 誰にも負けないような強みだと思っています。なので、この力を活かしていろんな人を巻き込みながら仕事を頑張っていきたいです。

ーーいつか、カナダに戻ってみたいっていう思いはありますか?

A. 将来カナダに住みたいってのはめっちゃ思ってます。留学では、学びたい学問分野を深めるためにイギリスの大学に行ったけど、カナダでの経験が楽しすぎて、トロント大学に留学行きたいなとも思ったぐらいだった(笑) いつになるかわからないですけど、老後にトロントでカフェとかでも開けたら素晴らしいなとは思いますね。

ーーそれぐらいまた行きたいって思う街だったってことですね。

Toronto island行きのクルーズ船に乗った時の写真。オンタリオ湖の夕陽は絶景。

A. そう。観光地っていうより、住む場所として本当に素晴らしいなって思ってたから、もし可能なら住みたいなって思ってます。

ーー大晟さんのカフェで、あったかいコーヒーが飲みたくなりました。(笑)最後に読んでいる人に伝えたいことはありますか?

A.  とりあえず迷ったら、行動した方がいいよって思いますね。 
今までの人生でも、(受験勉強とか)それなりにキツいことってみんな経験したことがあると思います。でも、キツいことも、一定期間頑張ったら、後々美談になったり、面白話になったりするもの。実際ワーホリでも、ホームレスと一夜明かしたこと、家も仕事もない(無収入多支出)スペンディングホリデーみたいな状況は、当時はめちゃめちゃキツかったけど、おもしろエピソードとして残ってる。

だから、迷ってるくらいならとりあえず行動してみて、後々の自分の行動次第でなんとかする!「ナヨナヨしてないで、行動してみよう!」っていうことですかね!

あと、ワーホリを真剣にやってみたい!という人がいれば、いつでも連絡してください!自分も情報集めとかに苦戦したし、ワーホリ経験者の先輩を見つけるのがとても大変だったので、何か力になれればいいなあと思います。

【編集後記】
ALiveRallyメンバーとしても活動していた大晟さん。楽観的な視野を持ちながらも、自分に与えられた仕事は決して怠らないという姿勢は、トロントのワーホリでの経験が土台を作っていたんだなあと、インタビューを通して私の中で初めて繋がりました。

とにかくまずは行動に出て、「自分の選択を正しいものにしてやる」という強い気概は、私を含めた多くの後輩たちにとって大きな励みになってくれると思います。

持ち前の行動力と、キツさの中に楽しさをも見出してしまう強靭な心を持つ大晟さんのこれからの活躍が楽しみです。

Interviewer: Mone Todo, Kyoko Fukuyama
Writer: Mone Todo, Kyoko Fukuyama
Editor: Kyoko Fukuyama, Ryohei Yamada, Moe Honda
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