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決断力に繋がる「断捨離力」と「サイコパス」

大学中退、個人事業主として独立、Uターンしたかと思ったら再び東京へ、法人設立、休業などなど。人によっては人生で一度も経験しないようなことをこの短期間でたくさんやってきた。

急発信して急ブレーキを踏んで、一気に方向転換する。そんな言葉がふさわしいジェットコースター型の人間である。

今後の動き方について、ある方のもとへ報告をしに行くことに。その方からは「めちゃくちゃ良いと思う。おばたくんって“断捨離力”があるよね。普通、なかなかやめたり捨てたりできないから」と言われた。

断捨離力。不要になったものを捨てること。

何かを選ぶためには何かを捨てなければいけない。東京で活動をするということは、地元で活動することをやめるということ。僕は今後手にするものを得るために、今持っているものを捨てた。


断捨離力(決断力)に繋がる要因は何か。僕なりに考えたところ、とてつもなく大きな自分に向いた矢印だと考えた。

「自分がどう感じるか」「自分は何がしたいのか」。大きな決断になればなるほど、他人の意見や目を入れず、自分に矢印を向けて考えることが多い。相談したとしても、自分の決断の後押しをしてほしいだけ。

人のことを考えない、ある種サイコパス的な要素も持ち合わせていると思う。良い意味でも悪い意味でも。


もちろん、普段の仕事や生活において、他人の気持ちを無視しまくって自己中心的に動いているわけではない。それは上手くやっているとは思う。たぶん。

自分にとてつもない大きな矢印を向けるのは、自分にとって大きな判断をする時。会社を設立することや休業すること、拠点を変えることも基本的に自分一人で決めた。

誰かにどう思われるかではなく、自分がどうしたいか。ただそれだけだった。


自分も他の人も、結局は「自分が一番かわいい存在だと認識している」と思っているから、自分のことを一番に考えても良いと思っている。

自分が満たされていないのに、他人を満たすことなんてできないから。自己犠牲の上に他人を満たすなんておこがましいとさえ思ってしまう。

半年前の自分が体験した出来事さえ忘れてしまうのに、他人の半年前の出来事なんて覚えているわけがないじゃないか。僕がどんな決断をしようが「そういえば、あんなことをやっていたなぁ」ぐらいにしか思っていないはず。だったら、好きなように判断すれば良いかなと。

周りの人が成功しようが失敗しようが、自分に迷惑をかけられていないのであれば、極論としてはどっちでも良い。さすがに自分が関わっていたり仲の良い人たちのことだったりする場合は、どっちでも良くないけど。

存在すら知らない人の声や自分で勝手に妄想して「こんなことを思われているかもしれない」と考えることほど無意味なものはないと思う。


「みんな自分が一番かわいい」「最終判断するのは全て自分(他人の人生においては他人)」「結局忘れる」

この三本柱を持ち続けたことで、サイコパス人間が出来上がってしまった。

やりたいことをやればいいし、好きに生きたら良いと思う。それぞれの人生なんだから。

僕は僕なりに頑張って生きるし、周りの人たちも懸命に生きていくはず。その中で交わる点があれば、楽しく一緒にやれば良いだけの話。それ以上でも以下でもない。

あまりにも深刻に悩んでいる人には「他人はあんまり興味ないよ」と優しく伝えてあげようと思う。



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