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大きな物語(ジャン=フランソワ・リオタール)

 人間とは「虚構を構築し、共有し、分業する事」により頂点にたった生き物である。(ユヴァル・ノア・ハラリ氏)

 虚構とは、例えば国、貨幣、法律、などなど。
 共有された、とは範囲の事であり、共同体をさす。
 そして「大きな物語」というのは「共同体内部で共有された虚構」の事をいう。それは例えば正しさや道徳という言葉で表現をされており、つまり人が生きる上での土台となっているモノである。ロールモデルと言っても過言ではない。
 この「大きな物語」とは「普遍性があるものが生き残っていく」という性質を持っている。(そうでないと個人間のすり合わせが出来ないので)
 つまり、共同体の数だけ物語があり、その数だけ自己がある、という事である。

 では、大きな物語の変革はどうだろう。

 昔々は神であった。共同体単位で異なる神が存在し、そしてその分だけたくさんの物語が存在した。
 そこから支配者(つまり王様や殿様的な)から国家に、そして科学の時代へと、共同体は拡大の一途を辿っていき、そのうち世界に国家が1つになるような勢いだった。(科学の登場により、世界全体で共有できる普遍的な物語が構築出来るようになった事もある)
 しかしながら、二次大戦の全体主義(ナチスやイタリア、日本帝国など)に対する問題意識から、縮小の一途を辿っている。
 そして現代は自由や差別撤廃、ハラスメントという言葉によって、個人へと還元されている最中である。

 時間軸で考えてみよう。
 農業革命から産業革命まで、約1万年時間をかけて物語はゆるゆると拡大していった。これを人生で考えると、生まれてから死ぬまでの間、物語は殆ど変化していない状態、であった。
 そして2次大戦後以降の物語の縮小(物語の崩壊)はとてもびっくりするくらい急激である。因みにまだ100年経っていない。例えば1989年、世界の時価総額ランキングに日本企業は32社はいっていた。それが2019年には僅か1社、その間、たった20年である。
 これは人生で考えるならば、生きている間に物語(正しさ)が急激に変化し続ける時代、という事である。(それを端的に表す言葉として「老害」という言葉がある、と思う)

 現代は、人類にとってシフトの速さ、物語の細分化、という意味で初の試みである。

 物語の細分化は何を引き起こすのか?
 物語が個人に還元され、異なる物語が乱立する状態となり、物語間の葛藤を生み出す。
 1つ目は、「人が生きる上で頼るべき物語がない」という事であり、自分の物語を自分自身で構築する力が求められる。簡単に言うと、異世界の草原に突然放り出された状態が10年置きに続く、と思って貰ってよい。かもしれない。
 2つ目は、異なる物語の乱立は、同じ物語同士よりも葛藤が生まれやすい。それは今までの歴史が(戦争という形で)証明している。
 では今後、物語が細分化されていく中で、戦争が多発する状態になるのか?というと、そうではない、と思う。というのも、今までの歴史の中で我々は「戦争以外の相互理解の方法がある」という事を知っている。

 それはどんな方法か?
 清水博氏の言葉を借りるならこんな方法である。

自己組織的な生き方とは、互いの違いを受け入れて、互いの存在意義を高めて合いながら共に生きていくこと。違いを受け入れる時に、感情に多少の波だちが生まれても、共に向かう未来の夢がそれを「おたがいさま」と飲み込んで解消してくれるような開かれた大きな夢を共有すること

 つまり、異なる物語同士が、それでも共有できる大きな物語(例えば幸福)を構築し、そこに向かって、赦し合いながら共に生きていく、という事だと理解している。

 これからの時代、我々は自分の物語を構築する力、そして赦し、が重要になるだろう。
 そしてそれは、急激に変化していく物語に対応していく為にも必要な力、だと思う。


図3


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