「してくれない症候群」とウェルビーイングの関係について

こんにちは。弁護士プロコーチのありです。

最近は、紫陽花の姿に日本の四季の美しさを感じております。ブルーの紫陽花はどこか懐かしく好きですが、個人的には、真っ白の紫陽花が一押しです。

さて、最近、こんなグチを連続して聞く機会がありました。

・ 上司がちゃんと教えてくれない
・部下がちゃんとやってくれない
・彼氏がすぐに返信くれない

共通するのは、「くれない」という末尾です。今日は,この「くれない」と,ウェルビーイングと関係について思うところを書いてみます。

くれない症候群に共通するもの

私は 「くれない」が繰り返される状態を、「くれない症候群」と呼んでいます。勝手に。

くれない症候群の共通点
「くれない症候群」の共通点は、やってくれて当たり前という気持ちが潜んでいることです。

・上司なんだから、丁寧に教えてくれて当たり前

・部下はちゃんとやって当たり前

・彼氏たるもの即返信が当たり前

「当たり前」の前提があると、相手がそれをやって当然だと無意識に判断するため、それが実現されない状態を「やってくれない」と表現するようになります。

当たり前の前提がないと…

他方、当たり前の前提が無い状態では、 「くれない」とはなりません。

たとえば、梅雨の日に雨が続いていたとしても,「空が晴れてくれない」とはならないでしょう。生まれたばかりの赤ちゃんに,ああこの子と手をつないで一緒に歩く日が来るんだなと思ったとしても,「歩いてくれない」と不満を感じることはないでしょう。

梅雨のときは「晴れるのが当たり前」ではありません。新生児について,「すぐに歩くの当たり前」ではありません。いずれも,「晴れて当然」「すぐに歩いて当然」という前提・思い込みがないから,「くれない症候群」は発症しないのです。

梅雨の季節に晴れ間が見えればそれだけでありがたい。赤ちゃんが少しずつ大きくなって,ある日歩いたなら,その一歩に大騒ぎ。その力強さに感激することでしょう。

このように、「当たり前」の前提が人の心を支配することを知り、相手に対する不当な要求とそれが満たされないことによる苛立ちに自覚することが必要です。ところが,そういった当たり前の前提になかなか気づけないところに難しさがあります。自分にとっては当然のことなので,特に意識していない。ただ,「くれないくれない」と頭に浮かんできて,イライラに自分自身が翻弄されるという事態に陥ってしまう。

かくいう私も心当たりがあります。新人OLのころは,「先輩が見本を見せてくれない」。弁護士になってみると「相手方が約束した資料を出してくれない」,「部下の弁護士が思ったような報告をしてくれない」」。時には,「電車が時間どおりに動いてくれない」,「コンビニ店員さんが急いで対応してくれない」,など。思い返すとずいぶん身勝手な言い分!その時の苛立ち感情が思い出されます。見事な「くれない症候群」の症例が並んでおります。

くれない症候群に気が付くことは,自分の思い込みに気づくためのサイン


くれない症候群に向き合うことは,自分が当たり前のこととして相手に要求していることが何なのか,自分は何を当然だと思い込んでいるのかを見せてくれる絶好の機会でもあります。

くれない症候群が発症してしまったなら,自分が相手に何を期待しているのか、その前提を問いかけてみてください。

ああ「・・・してくれない」と呟いたその瞬間でもOKですし,誰かに「・・・してくれなくて疲れるんだ」と愚痴った瞬間でも構いません。「くれない」と思っている自分に気が付いたらいつでもOK。私は何を当然だと思ってるのだろう?相手に何を期待しているんだろう?と問いを立てるのです。

自分に問いを立てるということは,自分にとっての当たり前を問い直すプロセスです。これは人間関係を良好にする上でも,自分を縛っている思い込みから離れて,楽に生きる上にも大切なステップです。

くれない症候群が出てきたら,自分が抱えている前提と思い込みを客観視すること。そのうえで,「やってくれて当たり前」を手放すことで,相手を責める気持ちは緩和され,ずいぶんと気持ちが和らぎます。

当たり前を手放すことで感謝が生まれる

さて,ここで強調したいことは,当たり前を手放したら楽になるだけではなく,とっても大事なことがあるということです。当たり前の思い込みを手放すと何が得られるのか?

それは「感謝の念」です。

ここが本題である「くれない症候群」とウエルビーイングとの関係のミソです。そもそも,誰かがなにかをしてくれることは決して当たり前ではありません。そのことに気が付くだけで、イライラした気持ちが消えて,あらゆることに感謝の念が湧いてきます。

考えてみたら上司が一声かけてくれることもありがたい話です。昔は誰も何も教えてくれず、背中を見て学べ!なんてことも多々ありました(いまもあるかも)。 それが良い悪いではなく、上司が何か教えてくれるのは、人類の長い歴史の中から見れば,決して当たり前とは言い切れないでしょう。

彼氏の返信も同じですね。パートナーなら,相手に常に即レスしないといけないというルールはありません。そして,即レスしなければ相手のことを大切にしていないという法則もありません。

もしも,すぐに返信くれたらラッキーだと思えるならずいぶんとハッピーです。 その思いがあれば、相手からの返事が多少遅れても、忙しいのに返信くれてありがとう!と思えるかもしれません。 それをそのまま伝えたならば,彼氏はきっと嬉しくなり、返信へのモチベーションがアップするはずです。

・電車が時間通りに来ること

・コンビニが朝から晩まで開いていること

・美味しいものが食べられること

・仕事があること

・健康であること

何事も,冷静に考えてみれば当たり前ではありません。

私は弁護士としての仕事を通じて,昨日まで普通の日常を送っていた人が突然に事故で首から下が動かなくなった会社員,信頼していた長年の取引先から裏切られて破産に至る経営者さん,仲が良かったはずの夫の浮気が発覚して悲嘆にくれる妻など。実にいろんな悲嘆を抱えた方と出会い,何事も当たり前ではないということをつくづく教えられました。

あたりまえでないことに気が付くことは,「有り難い」ことだと知ることで,「有難う」の感謝に結びつくものです。そして,感謝の思いはウェルビーイングの大きな柱になります。

というわけで,もしも自分の中に「くれない症候群」が出てきたら、実はラッキーかもしれません。その「くれない」の前提に,どんな当たり前があるのだろうか?と 問うてみましょう。 きっと気づきがあり、ちょっと気持ちが楽になり,感謝へとつながるウェルビーイングな在り方に近づくはずです。ご精読ありがとうございました。

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